You May Dream
第三話 夢
=居酒屋にて=
「俺の彼女だよ」
彼の一言に美子は驚きの表情を隠そうとしない。口は半開きになり、アウアウ言っている。
「そんなに驚くこと無いだろ? 俺にだって彼女ぐらいいるよ」
彼は苦笑いを浮かべながら美子のことを見ているが、恐らく彼女は彼に憧れていたんじゃないかしら?
「いえ……そうですよね、主任にだって彼女ぐらい……いますよね?」
美子の表情がかげる。
前言撤回、憧れじゃなかったみたいね?
京子は美子のその表情の変化に気がつく。
「はじめまして、朝比奈京子です」
京子は美子に対して宣戦布告するように手を差し出す。
「す、すみません、神田美子です、主任にはいつもお世話になっています」
美子はペコリと頭を下げて京子の差し出した手を握る。
「美子姉ちゃんはたまにパパのお手伝いに来るんだよ」
芽衣はニッコリと微笑みながら豚くしにかぶりついている、が、その一言に京子の表情が変化する。
「それって……」
そう、京子の目はつりあがる。
「ご、誤解しないでくださいね、資料作りとかでお邪魔するだけですし……そんなのじゃありませんし……」
美子は顔を赤らめながら京子が持った疑惑を全面否定する。
「そ、そうだよ、別にやましい事なんて何もない」
彼も慌てた様子で京子の事を見る。
「ふぅ〜ん……」
京子はわざとらしく彼と美子の顔を交互に見る。
「京子?」
彼の言葉を遮るように京子は言葉を発する。
「ねぇ、ひとつ確認させて」
京子はそう言いながら美子の顔を見つめる。
「は、ハイ」
美子は緊張した面持ちで京子の顔を見る。その隣で彼もちょっと緊張しているような表情を浮かべている。
「……彼は会社ではあなたの良い上司?」
京子の表情はやさしく美子を見つめている、そしてその視線の先の美子においては最初こそ呆気にとられたような表情を浮かべていたが次第に笑顔に変わってゆく。
「ハイ! 素敵な上司です」
フーン、良い笑顔ね?
「あら?」
芽衣は京子の横で喋りながら食べていたと思ったらいつの間にかコックリコックリと船を漕ぎ出している。
アハ、やっぱり子供なのね? こんな時間に起きていられないなんて。
時計をみると時間は九時を回ったところだ……まぁ、十歳の女の子をこんな時間まで付き合わせるのもどうかと思うが。
「何だ、芽衣眠いのか?」
いつの間にか彼の会社の人たちと合流して一緒に飲んでいる、当然美子も一緒だ。
「ふりゅぅ〜、眠いかも……」
そういっているのは既に寝言ではないかとも思われるほど芽衣のまぶたは落ちている。
「そうか、もうこんな時間だ……悪いけれど帰るよ」
彼はそう言いながら荷物を取る。
「あぁ、主任すみません付き合わせちゃって」
美子が申し訳なさそうに彼の顔を見るが、その表情は心底残念そうな表情でもある。
「いや、皆も帰れるうちに帰れよ、電車なくなると悲惨だからな」
意地の悪い顔で彼は一同に言い、財布からお札を取り出し若い男に手渡す。
「俺はこれだけ払うから、足りない分は皆で割り勘にしろよ」
そう言いながら彼は芽衣のことを背負う。
「主任、ゴチになります!」
若い男性は嬉しそうにそういうと一同も頭を下げる。
フーン、良い上司ではあるようね、皆からも信頼されているみたいだし、それに、良い父親でもあるみたい。
「ふみゅ〜、ぱぁぱ……眠いよ」
彼に背負われながら芽衣は既に深い眠りについたようだった。その姿は決してカッコの良い姿ではないものの、頼りがいのある父親の姿でもあった。
「重くない?」
店を出たところで京子は彼に声をかける。
「大丈夫だよ……まだまだ軽いさ……」
そういう彼の横顔にはちょっと寂しさのような物が浮かんでいた。
「ねぇ、ひとつ確認させて?」
京子はそう言いながら彼の顔を覗き込む。
「ん? なんだい?」
京子の視線にニッコリと微笑む彼。
なんだろう、なんだか幸せな感覚って言うのかしら? 子供がいて、彼がいて、そしてその彼の仲間がいて……皆が彼らを認めている。
「ねぇ、美子ちゃんと……」
京子がその名前を出したとたん、彼の顔が引きつる。
「誤解しないでくれよ……」
懇願するような表情の彼に対して京子は徐々に意地の悪い顔を向ける。
「ウフ、大丈夫よ、あたしは誤解していないから……でも彼女はどうかしらね?」
きっとこのカンは当っているであろう、きっと彼女はあなたに対して憧れ以上のものを持っていたと思う。
「……なんとも思っていないでしょ? 彼女はまだ二十歳を過ぎたばかりだし、俺なんかと歳が違いすぎるよ」
彼はなんていうことないという顔をしている、気がついていないだけなのね? あなたの事だからそうだと思ったわ、ちょっと美子ちゃんに同情するかも。
「まぁいいわ、それだけあなたがもてるって言う事で、あたしは鼻が高いわよ」
京子はそう言いながら彼の顔を覗き込むが、彼はきょとんとした顔をしながら首をかしげていた。
「お疲れ様」
京子が部屋の扉を開く。
「悪い……ほら芽衣、ちゃんと寝ないと風邪ひくぞ」
彼は芽衣の部屋に一直線で向かい、彼女をベッドに寝かしつける。
「大丈夫?」
ため息をつきながら居間に戻ってきた彼に京子は声をかける。
「アァ、ぐっすり眠っているよ……真夜中だな」
彼はやれやれといった顔でソファーに腰掛ける。
「ウフ、さてと、お風呂はどうしようかしら?」
京子はそう言いながらテレビをつける。そのテレビからはつまらないバラエティー番組をやっており、京子は眉をひそめる。
「アァ、沸いていると思うよ、先に入ってくれば?」
彼はそう言いながらテレビのチャンネルを変える。どうやら彼にもさっきの番組はお気に入りではなかったようだ。
「そう? じゃあ先にいただこうかしら」
京子はそう言いながら風呂場に向かう。
ザパァー……お湯が心地よく京子の肌をぬらしてゆく。
「フゥ……何しているんだろう、あたし……」
京子はそう言いながら窓から見える東京の夜景を眺める。すでに終了したのか昨日見た花火は今日は見えない。
別に不満はない、彼の普段の表情が見られただけでもあたしにとって収穫だった……でも、あたしの目的はこれだけではない、あたしの決心を彼に伝えたい……それだけ。別にそれを彼に強要するつもりはない、それを彼はどう受け止めてくれるのかしら?
「……夢……かぁ」
彼はそう言っていた、芽衣は俺の夢だと……あたしは? あたしはあなた達に入り込む事はできないのかしら?
「Dream……」
呟く京子に天井からの水滴が落ちてくる。
「つめた!」
その冷たさに京子は気がついた……あのダイヤモンドダストを彼と一緒に見た時のことを。
彼は黙ってうなずいてくれた。ハッピーエンドにしてと言ったあたしの台詞に対して……それを信じる。
ざばぁー。
京子は意を決したように湯船で立ち上がる。
「ハァ、良い湯加減だった……お先でした」
京子は頭にタオルを巻きながら風呂から出る。
「あ……うん、それは何より」
彼は顔を赤らめながら京子の顔を見ている。
「どうかした? 顔赤いよ……酔いが今になって回ってきたのかしら?」
京子はそう言いながら彼の顔を見ると彼は視線を京子からはずす。
「そ、そうだね……さてと俺も入ってこようかな?」
ハハァン……。
京子の顔が一気に意地の悪いものに変わる。
「背中流してあげようか?」
京子のその一声に彼は慌てた顔をして振り向く。
「ほ、本当に?」
その顔は喜んでいるような、困っているような不思議な表情……ウフフ。
「嘘に決まっているでしょ、スケベ」
京子はそう言いながら彼に舌を出すと、彼は残念そうな顔で風呂場に姿を消す。
「……いじめすぎたかな?」
京子はちょっと反省しながらテレビに視線を移す、そこには、売れないお笑い芸人であろう、がお台場を紹介している。
『ここお台場といえば、やっぱりここですねぇ』
『ハイ、フジテレビですね! いろんな意味で最近注目されています、それにレインボーブリッジでぇ〜す』
わざとらしい……なんでこんな構図なのかしら、もっと良い構図が有りそうなものだけれど、ありきたりの場所過ぎちゃって新鮮味が無いわね?
「……三十点」
京子がボソッと呟く、つい見ているテレビのレイアウトに対してハリウッド仕込の感性が厳しく採点する。
「東京かぁ」
京子はそんないまいちな画面の中にも東京という風景に見入る。
ここが彼の暮らしている街……。
「ハァ、本当にさっぱりした……京子はビール飲むかい?」
彼は頭をタオルで拭きながら冷蔵庫を開ける。
「うん、いただくわ」
京子はテレビから視線をはずし彼の顔を見る。
その姿はまったく気取っていない、普段着の彼……いや、それ以上にくつろいでいるパジャマ姿の彼なのかしら?
「そういえば、京子はいつまでこっちにいられるんだい?」
彼はビールを京子のグラスに注ぎながら言う。
「……うん、一週間ぐらいかな?」
そう、一応休暇を取ったのは一週間……でも。
「そうか、今回の来日は何かのプロモーションかい?」
彼はそう言いながら自分のグラスにもビールを注ぎ、乾杯をする。
「ウウン、今回はまったくのプライベート」
そう、あたしはあなたにあたしの決意を伝えに来た……。
京子はビールの泡を見つめながら唇をギュッと噛む。
「ね」
「そうか、明日一緒に出かけないか?」
京子の台詞を遮るように言う彼は真顔で見つめる、その表情にドキッと京子の胸が高鳴る。
「うん……いいけれど、どこに行くの?」
京子がそういうと彼の表情が不意に優しくなり、再び京子の胸がドキッと高鳴る。
彼のこんな優しい顔を見たのは初めてかもしれない……ううん、優しいというより包容力のある表情というのかしら、逞しく感じちゃった。
京子の頬が不用意に赤らむ。
「……へへ、動物園」
彼の回答は京子の想像をはるかに裏切るものだった。
「ど、動物園?」
京子の声が裏返る、危なく口に含んだビールを噴き出すところだった。
「うん! 芽衣と一緒だけれど……って、嫌だった?」
彼は京子の表情を見てちょっと寂しそうな顔をする。
嫌じゃないけれど……むしろ芽衣ちゃんと一緒なんて嬉しいかもしれないけれど……でも、せっかく会えたのに二人で出かけられないなんて。
そんな気持ちは京子の表情に浮かび上がったのだろう、彼はうつむきながら大きなため息をつく。
「……ゴメン、ただ明日は芽衣と一緒なんだ……」
彼はペコリと頭をさげる、意味ありげな感じがする。
「……一つ確認させてもらってもいい?」
京子はそう言いながら彼の顔を見つめる。彼はそんな京子の視線に対峙する様に見据え口を開く。
「あぁ……明日の五月一日は、芽衣の誕生日なんだ」
京子はそれを聞いてハッとする。
「芽衣ちゃんの……誕生日……」
五月一日生まれで芽衣……わかりやすい名前……まさかお母さんはアメリカの人だったりして……そんなわけないか?
京子は神妙な彼の顔を覗き込む。
「フーン……彼女より、芽衣ちゃんのことを取るんだぁ」
京子は意地の悪い顔をして彼から顔を離す。
「きょ、京子?」
彼はきっと予想していた反応とは違った京子の回答にちょっと戸惑っているようだった。
「せっかくアメリカから出てきた彼女をないがしろにするなんて……」
京子はわざとらしく手で顔を覆う。
「いや、だから……その、京子が大切じゃない訳じゃなくって、でも、芽衣に悲しい思いをさせたくないし、でも京子はいるし、だったら一緒にって……」
彼は慌てふためいたように手をばたつかせながら言い訳のようなことを口走っている。
さすがあなたよね? 簡単に言えるものじゃないわよ『芽衣を悲しませたくない』だなんて。
「……焼きもち妬いてもいいかしら? 芽衣ちゃんに……」
京子はそう言いながら彼の顔を見つめる、しかしその表情は柔らかいものだった。
「京子?」
「……嘘よ、芽衣ちゃんにかなう訳ないわよね?」
そう、彼女に勝てる訳がない、たとえ義理とはいえ彼女は彼の肉親に変わりはない……そして、あたしは……。
「……いや、違うよ」
彼はそう言いながら手元にあるグラスを弄ぶ。京子はそんな彼を見つめる。
「京子は京子だよ……かけがえのない俺の彼女だ」
彼のその一言に視界が一気に滲む。
「あなた……」
思わず彼の肩に頭をのせる……頼りがいのある彼の肩先……。
「……京子」
京子の肩に彼の手が触れる。
「ぱぁぱ……おしっこ」
芽衣の声が聞こえたかと思うと彼の温もりがいきなりなくなる。
「寝ぼけるな! トイレはこっちだ」
やっぱり芽衣ちゃんにはかなわないのかもしれないなぁ。
=思いがけない……=
「フワァァ〜……眠……」
目覚ましを止め、大きく伸びをする……カーテンの隙間からは朝日がまだ眠たそうに光を提供している。
やっと時差ボケが治ったのかしら? こんな時間に目が覚めるなんて……といっても起きられなければ意味がないんだけれどね?
京子はそんな事を思いつつ恨めしそうに目覚ましを睨みつける。
「さてと、一丁頑張りますか?」
ガバッと京子はかけている毛布を払いのけ、枕元に置いてあるメガネを手にする。
「フワァァ……本当に眠いかもしれないわね?」
キッチンに立ちながら京子は大きなあくびを一つする。目の前にあるフライパンにバターを落としいい香りが周囲に漂う。
「うん! いい香り……卵を……を? を? うぉお?」
徐々にフライパンの煙は白から黒っぽく変化してゆく。
「……火を止めて、フライパンを一旦濡れ布巾に乗せて熱を取る」
どこからともなく聞えてくる声に京子は素直に反応する。
「ハイ……こう?」
京子は素直に指示されたとおりに動く。
「そう、そうしたら塩コショウをして、フライパンの淵にそれを押し付けるようにして、反す!」
ポン!
「やったぁ」
京子は素直に喜びその声の主に対して手を取って喜ぶ。
「ハハハ、上達したじゃないか」
そうその声の主は、彼だった。
「失礼ねぇ、こう見えても向こうじゃあちゃんと自炊していたんだからね」
そう、ちゃんとご飯は自分で作っていた。何回か失敗はしたものの、最近では友達に提供できるまで上達したつもりでいるわよ?
「それは心強いな、それでお弁当を作ろうと?」
彼はテーブルの上におかれているお弁当グッズ一式を見ながら微笑む。
「そ、やっぱりお出かけするんだったらお弁当ははずせないアイテムのひとつよ、それに今日は暖かくなるって言っていたし」
京子はそう言いながらご飯を手で丸める。
「うん、じゃあ俺も手伝うよ……本当は俺が作ろうと思っていたんだけれどね?」
彼はそう言いながら腕まくりする。
「あなたが作るの? 大丈夫?」
彼の腕前は以前作ってもらったことがあるからよく知っている、きっとあたしなんかよりずっと美味しくちょっとへこんだ。
「任せておいてよ、さて、俺は何作ろうか?」
彼はそのテーブルを見回しながら首をかしげる。
「じゃあ、このウィンナーを切っておいてもらって良いかしら……タコさんの形で」
タコさんウィンナー……ちょっと憧れていたりして。
「お任せください」
彼はそう言いながらまな板に向かう。
「芽衣ちゃんおはよう」
弁当作りを一段楽して彼と二人でコーヒーを飲んでいると可愛らしいパジャマを着ている芽衣がちょっと眠たそうに起きてくる。
「お姉ちゃん、おはよう……ふわぁ」
あくびをしながらいつもの席に座ると芽衣の目が見開かれる。
「これはお弁当? どこかに行くの?」
芽衣はテーブルに置かれている包みを見て笑顔が溢れる。
「そうよ、今日はパパがいい所に連れて行ってくれるらしいから早く顔を洗って、着替えていらっしゃい」
京子がそう言うと芽衣は満面の笑顔で首を縦に振り、小走りに洗面所に消える。
可愛いなぁ、素直というのか……それに彼のことをパパと素直に言えるようになってきたかも……ちょっと照れちゃうわね? ふとため息をつき視線を彼に戻すとそこにもちょっと照れたような表情を浮かべた彼の顔がある。
「どうかした?」
京子は小首をかしげながらコーヒーを口に含む。
「いや……なんだか京子が芽衣の母親に一瞬見えたよ」
危なくコーヒーを吹き出すところだった……何言っているのよ、照れるじゃない、でも、芽衣ちゃんの母親かぁ……。
「パパ、どこに行くの?」
芽衣は洗面所から顔を出し彼の顔を見る。
「芽衣の大好きなところだよ」
そういう彼の顔は今までの彼の表情と違い父親の表情だった。
「はぁ、楽しかったなぁ……ペンギンさん可愛かったよね?」
帰りの電車の中で芽衣は京子の腕にしがみつきながら顔を向けるが、京子は苦笑いを浮かべるだけだった。
「そうね?」
疲れた……自分とこうも歳が離れている娘と一緒に歩くということがこんなに疲れるなんて思ってもいなかった……体力の差かな?
ぐったりとした顔をしている京子を見て彼は微笑む。
「京子もわかったでしょ? これぐらいの子は体力が有り余っているっていうことを」
十分にわかったわよ……坂道を平気な顔をして駆け上っていくし、急な進路変更は当たり前、挙句の果てはよく見えないからと潤んだ瞳を投げかける……負けよね?
今日一日の芽衣の行動にウンザリした京子はどっかりと電車の椅子に座り込む。
「ゴメンね? 疲れちゃった?」
芽衣はそう言いながら京子の顔を申し訳なさそうな表情で覗き込む。
そんな顔をしないでよぉ、弱いんだから。
「大丈夫よ、さて、帰りにお買い物してから帰りましょうね? 今日はあたしが腕によりをかけて作るわよ!」
その一言に芽衣の笑顔が膨らむ、うん! いい笑顔。
「ハンバーグかぁ、やっぱり子供よね?」
いつものスーパーで買い物を終え家路の道すがら、疲れを知らない芽衣はマンションに向かって駆けてゆき、その後姿を二人は眺める。
「……そう? 俺も好きだよハンバーグ」
あのねぇ……。
「まっ、まぁいいわ……今日はあたしが作るから」
京子はそう言いながら彼の顔を見る。
「大丈夫かい?」
彼はちょっと不安げな表情を浮かべるが、どういう意味なのよ!
「任せて! ニコルが好きだから良く作っているのよ」
「ニコル?」
彼は怪訝な顔で京子の顔を見る。
「あぁ、映画仲間なの、あたしの助手をしてくれているのよ、アメリカ版のあなたよね?」
京子がそういうと彼の顔が不機嫌なものに変わる。
「……フーン」
ひょっとして誤解しているのかしら? 彼ってば……焼きもち妬いてくれているのね?
「誤解していない? ニコルは女の子よ?」
その一言に彼の顔はきょとんとする。
「アカデミーで同室で意気投合したの、彼女は大の親日派でね、いつかは来たいと言っていたわ……それにあなたにも会ってみたいと言っていた」
アメリカに行ったとき同じ部屋になったのがジェニファーニコルソン、可愛らしいアメリカ娘といった所かしら?
「そうか……なんだ……ハハ、そうなんだ」
彼はそう言いながらはぐらかしたような笑顔を浮かべる。
「妬いた?」
「何が?」
「アハ、妬いたんでしょ、ニコルが男だと思って」
京子は意地の悪い顔をして彼の顔を覗き込むと彼はちょっと頬を赤らめていた。
「ちょっとね?」
うふ、やっぱり彼が一番よ……。
そういう二人の視線の先に彼のマンションが見えてくる。
「あれ?」
マンションの入口に金髪の女性が困ったような表情を浮かべ立っている。
「外人さんだよ、パパ」
芽衣はそう言いながらもちょっと不安な表情を浮かべながらその金髪女性を見ている。
「あぁ……」
彼の表情も変わる……今まで見た事のない彼の表情は硬く、怖ささえ感じるほどだった。彼は芽衣を背後に隠すように彼女の前に立ちはだかる。
「……なに?」
京子はそういうとほぼ同時にその金髪女性が彼と芽衣の顔を見て笑顔を膨らませる。
「May!」
明らかに英語だ、ちょっと懐かしさえ感じる金髪女性の発音は見事なまでのアメリカンイングリッシュだった。
「……ロキシー」
彼の顔からは殺気すら感じるほどだった……怖い。彼の事が怖いと無意識に感じる。
「……」
ロキシーと呼ばれた金髪女性は彼の名前を呟くように言う。
「……何しに来た」
彼の言葉は物静かに言っているが、その台詞には迫力があるほどだった。
「Why? ナゼ私の娘に会いに来ていけない?」
娘? 今彼女はそう言った……まさか彼女が……。
「……いけないといっているだろう、あんたは芽衣と兄貴を捨ててこの国からいなくなったんだ、今更母親面するな!」
彼の言葉は静かなものの、厳しい言葉を彼女に投げかけている。
「……あなたにはわからないはず、Mayには母親が必要だという事が」
片言なれど上手な日本語を操る彼女は京子の顔をちらりと見る。
「……彼女はあなたのGirl Friend?」
意地の悪い顔を京子に向ける。
感じ悪いわね? ヤンキー娘ならもっと隠さずに言いなさいよね?
京子の視線も厳しくなる。
「……あぁ、俺の大切な人だ」
彼は真っ直ぐに彼女の目を見てそう言う。
「あ、あなた……」
その台詞にロキシーは鼻で笑う。
「フフン、ならば簡単です、Mayは私が引き取りあなたは彼女と仲良くすれば言いだけです何もないNo Problemでぇす」
かんじわるぅ〜。
にこやかに微笑む彼女に対して彼の顔は厳しくなるだけだった。
「ふざけるな! 芽衣は俺の子供だ、お前なんかには渡さない! とっととうせやがれ!」
彼の声が周囲に響き渡る。
「あなた……?」
京子ははじめてみる彼の怒った顔に戸惑いながらも腕を取る。
「でも、子持ちだと彼女も困るんじゃないのかしら?」
しれっとした顔でロキシーは京子の顔を見る。
本当に感じの悪い女ね?
京子の表情に嫌悪感が浮かぶ。
「そ、そんな事はない、彼女は……」
ちょっと躊躇する彼は、京子の顔を見る。
「……一つ確認させて?」
京子はロキシーに対して人差し指を突きつける。
「What?」
その勢いに気押されたかのようにロキシーは後ずさりする。
「あなたはなぜ彼女を捨て祖国に帰ったの?」
「……それは」
ロキシーの顔から余裕が消える。
「どうしてあなたが愛して止まない彼女を置いていったのか説明して」
「……」
京子の一言にロキシーは狼狽している。
「……少なくともあなたは一度彼女の事を見捨てたといっても過言ではない、そんな人が彼女の母親を名乗る資格はない!」
厳しい顔をした顔の京子はロキシーに対し英語でそういう。
「?」
「?」
隣にいる芽衣と彼はきょとんとした顔で二人の事を見ている。
「でも、あたしは芽衣の事が……」
「お黙り! 愛するなんていくらでも口で言えるの、でもそれが行動に伴わなければ意味がない、少なくともあなたからその行動や誠実さを感じない、そんな人に芽衣を渡すことはできないわ、出直してきなさい」
英語でロキシーを罵倒する京子は途中で自分でもなんだかわからない感情になる。
冗談じゃない、こんな仲の良い親子を離れさせる訳にはいかない!
「……ロキシー」
憤然極まりない京子の肩をポンッと叩く彼は優しい笑顔を浮かべている。
「新しい芽衣の母親はもう決まっているんだ」
彼はそう言いながら京子の顔を見る。
「芽衣の母親は彼女しかいない……」
彼のその一言に芽衣をはじめとした全員の顔が彼に向う。
「パパ……」
芽衣は驚きながらもそれを歓迎するような表情で彼を見上げる。
「……」
ロキシーは唖然とした顔で彼の名前を呟く。
「……あなた」
京子のメガネの奥の瞳は熱く潤む。
「そういうことだ……ロキシー、俺はあんたに感謝するよ」
そう言いながら彼はロキシーに対して頭をさげる。
「?」
三人は訳がわからないといった表情で彼を見る。
「彼女を……芽衣をこの世に生み出してくれたのはお前だ、それには感謝する、しかし、お前に親を名乗ってもらいたくない……分ってくれるかな? これからは親子三人で頑張るから応援してくれ」
彼はそう言いながら二人の肩を抱きながらマンションに入ってゆく、その後ろからは、ロキシーの怒りの声が聞こえてくる。
=エピローグ=
「じゃぁ、またね?」
成田空港出発ロビーで京子は彼と芽衣に対して手を振る。
「あぁ、片付いたら早く来てくれ」
彼は優しい目をして京子の事を見る。
「うん」
京子の瞳に涙がにじむ。
「えぇっ〜っと……」
彼の隣で芽衣は京子の顔を見る。
「どうしたの、芽衣ちゃん」
京子は腰をかがめて芽衣の視線まで顔を下ろす。
「うぅ〜……」
芽衣は戸惑った顔をしながら京子の事を見る。
「芽衣?」
彼も心配顔で芽衣の事を見るが、芽衣はその場に固まったように動く事が出来なくなっているようだった。
「……」
「……芽衣ちゃん?」
京子はそう言いながら再び芽衣の顔を覗き込む、そしてその顔に驚く。
「ウッ、クゥ……」
芽衣の瞳からはそんなに出るのかというほどの涙が零れ落ちていた。
「芽衣ちゃん!」
京子は無意識に芽衣の事を抱きしめると一緒になって涙をこぼす。
「……ママ……」
芽衣ちゃん?
芽衣は涙のせいで開く事の出来ない瞳を無理やり開いて京子の事を見る。
今、彼女はあたしの事を『ママ』と呼んでくれた……彼女の中であたしは彼女の母親になれたのかしら?
感慨深い気持ちになり芽衣の顔を見つめる京子。
「パパの事をよろしくね? そして……あたしはママの子供だよ、これからもずっとあたしはママの子供だよ」
芽衣はあたしのことを母親として認めてくれた……。ううん、あたしの事をママと呼んでくれることだけで嬉しいかも。
京子と彼はその一言に顔を見合わせながら再び泣きじゃくる芽衣の事を見る。
「……芽衣」
「芽衣ちゃん……」
二人は異口同音の言葉を発すると不意に芽衣の顔に笑顔が戻る。
「ママ! そんな顔をしていると美子姉ちゃんに取られちゃうぞ」
芽衣はそう言いながら京子のわき腹を突っつく。
「美子姉ちゃんって……」
京子はそう呟きながら彼の事を見ると、彼は首を横に振りながら京子の顔を見つめている。
「嘘よ……ママ、早く帰ってきてまた一緒にお買い物しようよ」
意地の悪い表情を浮かべる芽衣は十歳という感じはなく、すっかりと大人びた表情だった。
「うん! 今度はもっといい洋服買ってあげるわよ」
京子はそう言いながら芽衣にウィンクを送ると、不器用な感じで芽衣もウィンクを返す素振りを見せる。
「うん、待っている……ねぇ?」
芽衣はそう言いながら京子に耳打ちをする。
「ウフ……アハハ、大丈夫よ! 心配しないで、夏になる前に帰って来る、荷物をまとめてね?」
京子はそう言いながら彼のことを見つめる。
「そう……今度帰ってきたらあたしの故郷、北海道を案内するね、芽衣ちゃん!」
そういっている京子の頭上からは京子の乗る便の案内放送が鳴り響く。
「うん、楽しみにしているよ……ママ!」
芽衣はそう言いながら搭乗口に向う京子の背中を涙をこぼしながら見送る。
経緯はどうであれ、あたしの『決意』はここに結実した形になる……そう、あたしが思い描きハリウッドよりも大切になってしまった夢は……これだった。
「ママ、いってきまぁ〜す」
玄関先でセーラー服を着た芽衣と、
「行ってくるよ」
背広姿の彼。
「パパ、今日は芽衣バイトで遅くなるからね?」
「うん、わかっている……変な男についてゆくなよ?」
「……パパ、考えすぎ……」
苦笑いを浮かべる芽衣に対して真剣に心配そうな表情の彼……ううん、あたしの旦那様。
「さてと、洗濯物しなきゃだわね?」
京子はそんな二人の後姿を見ながらため息をつく。
これがきっとあたしの夢だったのかもしれないな?
Fin