雪の石畳の路……
第十四話 のぼりべつ
=Enjoy Holiday?=
「今日の予定は?」
千草がセカンドシートに乗り込みながら運転席に座る勇斗に声をかけてくる。
「あぁ、今日は『クマ牧場』と『マリンパークニクス』に行ってみようかなと思っているんだ、やっぱり登別といえばクマ牧場だな……可愛いぞ?」
ルームミラー越しに千草の顔を見る。
「クマ牧場?」
千草は首を捻る。
「正式には『のぼりべつクマ牧場』と言うんです、昭和三十三年に開園したクマだけの動物園ですね、クマのショーがあったり資料館があったりしてクマのテーマパークみたいですよ?」
サードシートに座りながら目をキラキラさせている一葉もなんだか楽しみにしているようだ。
「でも、熊ってなんか怖いイメージがあるけれどな」
その隣に座っている夏穂が首を伸ばしながら声を上げる。
「まぁ、熊イコール怖いというイメージがあるけれどね、仕草が可愛いからみてのお楽しみだよ」
勇斗はそう言いながらハンドルを握りホテルの従業員に見送られながら車を発進させる。
「ロープウェイで行くの?」
夏穂が勇斗の腕を取りながら顔を見上げる。
「ウン、そもそもこの『クマ牧場』はこのロープウェイの会社が経営しているんだよ」
そう言いながら、ロープウェイ乗り場に一向は足を向ける。
「ちょっと可愛いかな?」
赤いゴンドラが勇斗たちの目の前に止まり招き入れるかのように扉を開く。
「それでは分かれて乗車してください」
係りの人が勇斗たちに指示を出す。
「じゃあ、あたし達先に乗りますね?」
穂波に勇斗が先に乗り込むと千草が飛び込むように乗り込んでくる。
「うぁ、あたしこんなに小さいゴンドラに乗るの初めて、なんだか遊園地の観覧車みたいね?」
千草はしてやったりといったような表情で穂波の顔を見る。それに対して穂波な残念そうな表情で、そして勇斗は苦笑いを浮かべるだけだった。
「このロープウェイは昭和三十二年に北海道内で初めて出来たんだ、この新しいゴンドラは平成二年に出来たものだそうだ」
勇斗は話題を変えるように説明を始める。
「先輩、あの湖は?」
車窓風景左側に大きな湖が見える。
「あぁ、あれはクッタラ湖だね、周囲は約八キロのカルデラ湖だよ、その昔にクッタラ山の山頂が陥没して出来た湖という説が有力らしい」
きらきらした湖面を眺めながら勇斗は微笑む。
「あの湖の水質は日本一と呼ばれていて透明度は約二十八メートルもある、ようは潜ると二十八メートル先のものまで見えるらしい……それだけ水が澄んでいるということなんだ」
綺麗な色をした湖面を穂波も眺めている。
「綺麗ですよね」
ちょっと憂いのあるような表情を浮かべながら穂波はその湖面を眺めている。
「あぁ……」
勇斗はその穂波の表情に戸惑いながら他の風景を見つめる。
「ちょっと寒いな」
ロープウェイを降りると麓とは違いヒヤッとした空気が流れている、既に観光シーズンが過ぎたせいか園内に人影が少ない。
「はい、寒いですね、なんだかモヤまでかかっているし」
穂波も体を縮めながら身体をゆすっている。
「下は天気が良かったのに」
千草はわざとらしく勇斗の腕にしがみつく。その時ちょうど次のゴンドラに乗っていた和也や夏穂、一葉が降りてくる。
「さむいぃ」
夏穂も体を縮みこませながら勇斗の腕に絡み付いてくる。
「なんだよ、兄貴だけ」
和也の一言は一葉だけに聞こえていたようで一葉はそんな和也の顔を見てニッコリと微笑む。
「モテモテですね?」
意地の悪い顔をしながら一葉は和也の腕に自分の腕を絡める。
「か、一葉さん?」
動揺を隠せない和也に対して一葉はニッコリと微笑んでいる。
「かわいぃ〜」
坂を上り飼育所を眺めると熊達と視線が合う。
「ふぐぅ」
熊たちは鼻息なのかこもった声を発しながら勇斗たちを見上げる。
「ほらほらぁ」
いつの間にか千草の手には熊の餌が持たれ、その餌を見せびらかすように振る。
「フン! フン!」
熊はその餌をほしがるように手を広げたり、まるでおねだりするかのように手を合わせたりしている。
「あはは、ほらぁ」
千草の投げ入れた餌は寝そべっている熊の額にあたり、その近くにいた熊が取り上げる。
「あぁ、そんなところで不精して寝っころがっているからよ、ほら次!」
千草は再度餌を振る。
「可愛いですねぇ」
勇斗の隣では穂波が愛しそうな目で熊達を見ている。
「穂波もあげるか、餌」
勇斗のその一言にまるで子供のような無邪気な笑顔で穂波がうなずく。
「ほらぁ……アハハハ、上手だよぉ」
穂波は嬉しそうに熊たちに餌を投げ入れている。
「がぁお」
本当に無邪気だな、こんな一面が穂波にあったとは思わなかったよ。
「おにいちゃぁ〜ん、こっちでアヒルのレースやるって!」
坂の上から夏穂の声がする、その表情もこの旅行を満喫している表情だった。
=マリンパーク=
「ここは?」
山道を降りること約十分、それまでの山間の景色から一気に街中に戻ってきたような感じに陥ると駅前といっても過言ではない場所に次の目的地が現れる。
「ここは『マリンパークニクス』といっていわゆる水族館だよ」
テーマパークのような門構えに千草がため息をつく。
「何でまたこんな所に水族館が?」
俺もそう思うよ、海に近い訳でもないし、場違いな気もする。
「でも綺麗だよ」
夏穂はそう言いながらメインエントランスに駆け寄る。
「まぁ、水族館には癒しの効果もあるようですから、みんなで癒されるのもいいかもしれませんね?」
一葉も苦笑いを浮かべる。
「北欧ロマンと海洋ファンタジーかぁ……」
大袈裟なまでのキャッチコピーに勇斗は苦笑いを浮かべるが、園内に入ってその意味が理解できる。
「1990年に開設されたいわゆるテーマパークだな……このバブリーな趣がその時代を象徴しているようだ」
勇斗はゲートを抜けながら苦笑いを浮かべる。
「でも綺麗です」
ウットリとしたような表情の穂波の視線の先には北欧のお城のような建物がそびえ立つ。
「このお城は『ニクス城』とも呼ばれているみたいですね? デンマークにあるオーデンセ市という所にある水上城郭『イーエスコー城』をモチーフに作られたらしいです」
案内を見ながら一葉が説明するが、レンガ色のこのお城の存在感は確かに北欧の雰囲気をかもし出すには十分なつくりだが、どう見ても水族館というイメージが無くお菓子のお城とか言う方が似合っているような感じかもしれないな。
「ちょっとロマンチックね」
千草はそう言いながら苦笑いを浮かべ城を見上げている勇斗の腕にしがみついてくる。その様子を穂波はつまらなそうに見つめている。
「うぁ〜すごい、大きな水槽」
ニクス城に入ると正面には吹き抜けになったホールに二階まである水槽が出迎えてくれる。いや、入ってきた場所が二階なのだから正確には三階まである水槽なのか?
「この水槽は『クリスタルタワー』と呼ばれているみたいですね、南海の生物が飼育されているようです」
ようやくここに来て水族館らしくなってきたかな?
感心した顔で水槽を見つめる勇斗の隣で一葉は説明文を読む。
「ヘェ〜、アッ、ナポレオンフィッシュだ!」
夏穂が水槽に駆け寄り、その水槽の上に優雅に泳いでいる魚を見つめる。
「ナポレオンフィッシュ?」
勇斗はその魚を見るとやたらと唇の厚さが目に付く滑稽な顔をした魚だった。大学時代の同級生を彷彿とする顔立ちに勇斗の頬が緩む。
「和名は『メガネモチウオ』と呼ばれている世界最大のベラ科の魚、成長すると頭にあるこぶが大きくなってきてその形状が昔のフランスの将軍帽を連想させるため『ナポレオンフィッシュ』と呼ばれているの」
夏穂はそう言いながらウットリした目でナポレオンフィッシュを眺めている。その横顔は今までの幼さよりもちょっと大人っぽいものでちょっとドキッとする。
魚の事に詳しいんだな夏穂ちゃんは……ちょっと意外な一面を見たような気がするよ。
「いつかナポレオンフィッシュと一緒に泳ぎたいな」
どこかで聞いたような台詞だが……。
「エスカレーターで一気に最上階まで上がるんですね? わぁ、下に大きな水槽が」
一葉は楽しそうにエスカレーターの左右を見る。
「でも、ちょっと怖い感じ?」
穂波は勇斗の後ろに立ち勇斗のシャツの裾を握り締める。
確かに薄暗い館内は、水族館というよりも、ちょっとお化け屋敷みたいな感じかもしれないな、しかも水の流れる音と、生暖かい磯風が雰囲気を盛り上げるようだ。
エスカレーターを降りると薄暗いもののやっと水族館っぽく水槽が並び子供達の歓声が響き渡っている。
「これはヒトデ?」
星型のプールが置かれそこには数人の先客が集まり歓声を上げている。
「ヘェ〜、色々な色のヒトデがいるんだな……綺麗というよりちょっとさわるには躊躇する色のもいるよ」
夏穂は恐る恐るそのプールにいるヒトデに触れようとする。確かにそうかもしれない、紫色というか毒々しい色をしたものなど居り、今にも噛み付かれそうな気になる。
「毒をもっているものに手を触れさせるはず無いから大丈夫よ、この『キヒトデ』なんて綺麗な色をしていない?」
一葉はそう言いながら平気な顔をしてそのヒトデ達に人差し指で突っつく。
「次も……ちょっと暗いですねぇ」
穂波は再び薄暗くなる館内に躊躇する。
「ほら、行くよ」
勇斗の差し出す手に穂波は嬉しそうな表情を浮かべその手を握る。
「これが『コクテンフグ』で『ハコフグ』にちょっと似ているのかな? こっちにいるのは『フリソデエビ』だって、綺麗」
夏穂はそう言いながら水槽に頭を擦り付ける。
「知っている? この『フリソデエビ』の好物はさっき見たヒトデなんだって」
「そうなの?」
「まるでヒトデに乗っているだけのように見えるけれど実はそのヒトデを食べているんだって、これが降りた後にヒトデにかじったような痕があるんだって」
一葉は夏穂と共にまるで少女のような目をしながら水槽を見つめる。
「ヘェ〜、アッ『ハコフグ』発見! 可愛いなぁ」
「夏穂ちゃん『ハコフグ』の表面にはバフトキシンという粘液毒があるの、小さな魚を殺す程度の弱い毒なんだけれどね? でも焼いて食べたりすると美味しいらしいわよ……」
おいおい、いきなり現実味を帯びた会話になったな?
夏穂は水槽一つ一つを丁寧に見ながらその感想を述べる、その隣には一葉が寄り添い解説したり、一緒になってわいわい言っている。ちょっと一葉の意外な一面を見たような気がする。
やけに魚の事に詳しいな? 一葉さんって。
「ネコザメだって……可愛いなぁ」
夏穂は疲れを忘れたように館内を右往左往している。
「サメが可愛いの?」
穂波は恐る恐るとその水槽を眺める。
「可愛いじゃん、目が猫目だよ? ラブリーだよぉ」
愛しそうに夏穂はそのサメを見つめる。
「さわれるの?」
勇斗もちょっとぎょっとしながらその水槽を見る、そこには予想していたサメとは大幅に違い小さな魚がジッとしている。
「ヘヘ、生まれて初めて『鮫肌』にさわっちゃうよ……わぁ本当に鮫肌だぁ」
夏穂は嬉しそうな顔をしながらその魚の表面に触れる。
「本当だ、ざらついているというか、ごわごわしているというか……あまりさわり心地のいいものじゃないわね」
穂波も恐る恐るさわり魚に対して非常に失礼な意見を述べる。
「よくお寿司のワサビはこの鮫肌で下ろした物が良いなんて言うけれど、本当にこれで下ろせそうね?」
千草が触れているといきなり飛び跳ねるようにそのネコザメが動き出す。
「きゃ!」
驚きのあまり千草は近くにいた和也に抱きつく。
「大丈夫?」
和也は真っ赤な顔をして千草の肩を抱いている。
「アハハ、びっくりしちゃったよ」
千草は何事もないように和也から離れるが、和也においてはまるで余韻を楽しむようにその場に立ちすくんでいる。
「水のトンネルだぁ」
ぽっかりと開いた通路に足を踏み入れるとそこはまるで水中を歩いているようだ。周りを様々な魚が回遊してその中には大きなサメもいる。
「先輩サメですよ! 大きなサメ!」
穂波がそう言いながらおびえたような表情を浮かべる、そのサメの表情はさっき見たネコザメのようなおっとりしたものではなくどう猛な顔をした面構えだった。
「あれは『シロワニ』という種類のサメです怖い顔をしていますが本人はいたって大人しい性格らしいですよ」
本人はって……。
「でもあんなのに海の中で出会ったらきっと後ずさりしてしまうかも」
夏穂はちょっとおっかなびっくりな顔をしながらその悠然とした泳ぎを見つめる。
「確かにそうかもしれないけれど、そもそも人を襲うサメなんてほとんどいないの、そういうイメージを作ったのは映画とかのせいだと思うわよ、本当は大人しい魚なの」
一葉はそう言いながら水槽を眺め見る。
「ハァ、綺麗だったよね……綺麗な魚がいっぱい、やっぱり南の海に行ってみたいかも」
恍惚の表情を浮かべながら夏穂はニクス城を眺める。
「一葉さんは魚の事に詳しいんですね?」
さっき勇斗が疑問に思ったことを穂波が質問してくれる。
「本当だよ、あたしも色々勉強しているけれど一葉さんってすごいよ」
夏穂もそう言いながら一葉に対し尊敬のまなざしを浮かべている。
「昔バイトで小笠原に行ったから……」
ちょっと遠い目をしながら一葉が言うと、その一言に夏穂は目を輝かせる。
「一葉さん潜れるの?」
その表情に気おされた様に一葉はうなずく。
「昔ね?」
「いいなぁ、あたしも南の海に潜るのが夢なの、その時は一葉さん一緒に潜ってね?」
夏穂はにっこりと微笑みながら一葉の顔を見る。
「本当ね? 南の海はいいわよ……気持ちが落ち着くわ」
ちょっと意味深な表情を浮かべているような気がするけれど、ここは触れない方が良さそうだな。
「先輩! ペンギンさんです!」
広場を歩く一行の前をペンギンが歩いてゆく。その姿はまるでペチペチという音が聞こえて来そうな歩き方で穂波の前を通過してゆく。
「いやぁん、かわいいぃ」
その姿に穂波の目はなくなってしまったのではないいかというほど細くなる。
「ちょっと穂波?」
ヨチヨチと歩くペンギンにまるで取り付かれたように歩き出す穂波はまるで夢遊病にかかったようだ。
「先輩、ペンギンさん可愛いですよぉ」
「わかった、わかったからこっちの世界に返ってこい!」
勇斗は強引に穂波の腕を引く。
「ハッ! 先輩? あたし一体……?」
この姉妹は一体どういう性格なんだ?
勇斗はガックリと肩を落とす。
「いいからほら行くよ」
勇斗が声をかけると穂波はちょっと照れたような笑顔を浮かべる。
「ペンギンのヌイグルミがいいかな……」
多分にもれずグッズショップに足を踏み入れると女性陣は三々五々に散ってゆく。
「はは、こうなる事は予想できたよ……なぁ和也」
勇斗が隣に和也がいるであろうと予想した位置には誰もおらず代わりにペンギンのポスターがそこにかかっている。
ペンギンに向って話してしまったではないか……。
「千草さん、これなんか良くないですか?」
いつの間にか和也は千草と一緒にグッズを眺めている。
「先輩、これ!」
勇斗の目の前に再びペンギンが現れる。
「可愛くないですか? あたし一目見て惚れてしまいました」
穂波はよほどペンギンが好きなのであろう、既にそのヌイグルミを抱きしめている。
「プレゼントしようか?」
勇斗の一言に穂波の顔に困惑したような表情が生まれる。
「で、でもプレゼントを貰う理由ないし……」
困り果てながらも頬を赤くする穂波。
「理由なんてどうでもいいじゃないか、俺がプレゼントしたい、それが理由だろ」
穂波はその一言に顔を赤らめながらそのぬいぐるみを抱きしめる。
「ありがとうございます……また宝物ができました」
ニッコリと微笑む穂波に勇斗は優しい視線を送る。
=帰り道=
「帰りは国道で帰ろうか、まだ時間あるし」
勇斗はそう言いながら車を一般道にのせる。
「エェ? 時間かかるんじゃないの?」
セカンドシートでは千草が声を上げる。
「ウフ、いいことじゃないんですけれど、北海道の道って結構みんなスピードを出すんです、東京と違って渋滞もしませんから高速使うのと大して時間が変わらないんです」
助手席の穂波はさっき買ったペンギンのぬいぐるみをひざの上に乗せながら微笑む。
「それに高速よりも景色はこっちの方が良いしな」
車はしばらく走ると海沿いに出る。
「わぁ、雄大な景色ね……これは、太平洋?」
自身なさげに千草が言うのをバックミラーで勇斗は確認して微笑む。
「そうだよ、これこそ正真正銘の太平洋だ」
その一言に千草のホッとしたため息が聞こえてくる。
「先輩、トンネルを抜けたら右折ですよ」
なんとなくナビゲートする穂波の言葉尻にトゲを感じるのはなぜだろう。
「ほいほい」
勇斗はそう言いながら車を右折車線に誘う。
「うぁー、綺麗な橋ね?」
進路左側、石油コンビナート群の奥に白い大きなつり橋が見え隠れする。
「白鳥大橋です、東日本最大のつり橋ですね? 平成十年に完成した橋で世界第二十六位の大きさなんですよ」
助手席から穂波がまるで勝ち誇ったように話し出す。
「橋の袂に直径三十八メートルもある風車が二つあり、その風力で発電し、ライトアップを行っているんです」
良くご存知で……。
勇斗は感心した顔をしながら車の正面を見据える。
「東日本最大ということは『ベイブリッジ』や『レインボーブリッジ』より大きいの?」
千草はそう言いながら白鳥をイメージしたといわれる橋を見つめている。
「あぁ、あれは立地条件がいいだけでそう大きいものではないよ」
勇斗がそういうと、千草のため息が再び聞こえてきた。
「ここでも負け……かぁ」
そんな呟きはロードノイズにかき消されていた。