雪の石畳の路……

Autumn Edition

第十話 新しい物語



=NewFace=

「いらっしゃいませぇ〜」

 季節が秋から冬に変わった事を示すように、店先には雪が積もっており、そのお店の中からは元気な真央の声が聞こえる。

 既に十二月に入り親父が何とか人を探してくれる様な事を言っていたが、これからクリスマスや年末にかけての書き入れ時に人が足らないのはやはりきつい。

 クリスマスイルミネーションが始まった街中に観光客が増え始め、穂波と二人だけの午前中のお客の数も増えてきた。

「勇斗さん、これを補充しておきたいんですけれど」

 お客が途切れ、店先で商品を並べなおしていた穂波は今までと変わらない様子で勇斗に声をかける。

「もぉ〜、穂波先輩、なんで『勇斗さん』なんですか?」

 試験休みを利用して手伝いに来ている真央が頬を膨らませながら二人の顔を見つめている。

「な、なんでって?」

 ドギマギしながら穂波は頬を染める。

「だって、勇斗先輩と結婚したんでしょ? だったら『あ・な・た』とか『ご主人様』とかじゃないんですか?」

 ご、ご主人様はきっと違うと思うぞ?

 勇斗はがっくりとうなだれているが、穂波はそんな真央の言葉を真剣に聞き入れている。

「エッと……そうかな?」

 あの後、話はとんとん拍子に進み、互いに血縁関係では無いという事で、法律上の問題をクリアーし、めでたく勇斗と穂波は籍を共にすることができたが、とくに式を挙げるというようなことはせずに、身内と関係者だけでお祝いをした。

「いや、その今までそうだったから……なぁ穂波」

 勇斗は顔を赤らめながら穂波の顔を見るが、穂波はちょっと思案顔を浮かべていた。

「そうですよね?」

 何を納得しているんですか? 穂波さん……。

 穂波は真っ赤な顔のまま勇斗に向き直る。

「あなた……これを補充したいんですが」

 その一言に勇斗の頭に一気に血が上ったような顔色になる。

「もぉ〜、そうじゃないでしょ?」

 店先からの声に三人が振り向くと、そこには腰に手をやりながら睨みつけながら立っている。

「新婚なんだから、こうやって『ダ〜リン、これを取ってちょ・う・だ・い』って……」

 そう言いながらその人物は勇斗に抱きついてくると、穂波の目が一気につりあがる。

「千草さん! 人の旦那を誘惑するような事をしないで下さい!」

 そう言いながら穂波は千草の腕を引くが、それにはまったく応えないかのように千草はべったりと勇斗にしがみついて離れない。

「おい千草ぁ〜、なつくなよ」

 苦笑いを浮かべる勇斗に対して、穂波の怒りの矛先が勇斗に向かう。

「勇斗さんも、そんなだらしない顔をしていないで下さい!」

 ぴしゃりという穂波に勇斗の背筋が伸びるが、当の千草はまるでネコのように勇斗にすがり付いている。

「あらあら、若女将の前でそんなことをしていて良いんですか?」

 冷やかすかのように店先からは一葉の声が聞こえる。

「いいわけないですよ……一葉さん何とかしてくださいよぉ〜」

 泣きつくような勇斗に対して一葉は意地の悪い顔をして今度は穂波の顔を見る。

「フ〜ン……一人も二人も変わりませんかね? 若女将?」

 一葉のその一言に穂波は一瞬思案顔になるが、やがてその意味に気がついたのか、一葉に対して穂波は膨れっ面を見せる。

「いいわけありません!」

 トホホ、千草は諦めたかと思ったのに、あの夜の次の日にはいつもと同じようにちょっかい出してくるし、一葉さんは穂乃美さんの家事手伝いと言うことで再び親父の家に戻ったまでは良いけれど、なんだか最近は千草と一緒になって穂波を挑発するような言動が増えたような気がするよ……。

「って、それよりこんな時間にどうしたんですか?」

 穂波はハタと我に返り、珍しくこの時間にお店に顔を出す一葉の顔を見て首をかしげる。

「あぁ、忘れていました、新しい従業員さんが決まったそうです、お店が終わったら家まで来て下さいとのことです」

 わざとなのか、それとも本当に忘れていたのかはよくわからないが、一葉はそう言いながらペロッと舌を出す。



「――なんでお前がここにいるんだよ……」

 勇斗の呆気に取られた視線の先には、ニカっと笑う厳つい顔。

「ガハハ、ダメモトで電話してみたら採用してもらったぞ、これでやっと俺も社会人だ」

 見覚えがあり、いささかくたびれた背広を着ているその厳つい顔には満面の笑みがこぼれており、その隣にいる鉄平も嬉しそうな顔をして勇斗たちを見ているが、その視線の先にいる勇斗と穂波は明らかに動揺する。

 よりによってなんだって新しい店員がお前なんだよ……それよりなんでここの電話を知っているんだ?

 勇斗の浮かべているクエスチョンに気が付いたのか、その様子を見ていた一葉がニッコリと微笑みながらその理由を説明してくれる。

「お店の問い合わせがあってその時にお教えしました、ちょうど人でも足りなくってちょうどいいからと旦那さんが言っておられましたし……」

 そう言う問題ではないような気もするんですが……それに親父はもう少し面接をするのならましな人材を採用した方がいいと思うけれど。

うなだれる勇斗の肩を穂波が優しくぽんぽんと叩く。

「穂波さん! ご無沙汰しております大山光明(おおやまこうめい)です、おぼえていてくれましたでしょうか?」

 そんな光明の勢いに面食らったような表情を浮かべる穂波は、助けを請うような目を勇斗に向ける。

「光明やめろ、俺の嫁が怖がっている」

 勇斗の一言に光明は気がつかないように穂波の手をとりながらその手をブンブンと振る。

「ガハハ、気にするなお前の嫁が怖がろうが……ん?」

 光明はそこまで言って動きが止まる。

 お前の脳みそに指令が行き渡るまで一体どれだけ時間がかかるんだ? まるで恐竜並の鈍さではないのか?

 苦笑いの勇斗に対して光明の笑顔が引き攣ってゆく。

 さて、穂波に惚れたといってここまで来た光明になんと言って説明すればいいのか。

 勇斗と穂波は顔を見合わせながら、互いにその後に起こりうるであろう様々なトラブルに対して脳内シミュレートする。

「勇斗……の嫁?」

 ギギィ〜っとまるで油の切れたロボットのような動きをする光明に対して勇斗は作り笑いを浮かべるしかなかった。

 さて、どこから説明すればいいかな?

 諦めきったような表情の勇斗の後ろに穂波は座りなおす。

「あぁ、ついこの間婚姻届を出した、めでたく俺は所帯持ちになったということだ」

 チラッと穂波の事を見ると、その穂波は恥ずかしそうにうつむいている。

「お前が結婚したという事なのか?」

 驚きの表情で光明は勇斗の顔をギロっという擬音が聞こえてきそうな視線で見つめる。

「手っ取り早くいうとそう言う事になるな?」

 ゴク。息を呑む声が聞こえる。

「――そうか……お前が所帯持ちにめでたい、いやぁ、これまためでたいですね、社長!」

 光明はそう言いながら鉄平と穂乃美の顔を見る。

「ウム、俺としてもこれからの店のためには非常に良い事だと思って賛成したんだ」

「エェ、やはりずっと一緒にいたいという気持ちは大切だと思いますわ」

 鉄平はグラスに入った水割りを美味そうに飲み干しながら光明を見据え、穂乃美は大きくなり始めたお腹をかばうようにしながら微笑む。

 何だ? なんだか変な展開になってきたぞ、光明は穂波の事を追って函館まで来たんじゃないのか? 俺の勘違いだったのか?

 思わない方向に話がずれていった事に勇斗はちょっと呆気に取られながら穂波を見るが、穂波はちょっとホッとしたような表情を浮かべていた。

「そうですね? やはり好きな人と一緒にいるということが必要なんですよ……勇斗君がそこまで潔いとは思っていなかったなぁ」

 勇斗君? 今言ったのはお前のその大きな口か?

 まず聞いた事のない光明の一言に一瞬勇斗の思考が停止する。

「そうだ、光明君のアパートは手配しておいた、荷物は既に運び込んであるからゆっくりとするがいい、仕事には明日から手伝ってもらう事になっている」

 鉄平はそう言いながら、空になったグラスを一葉に渡す。

「はい! わかりました、店長明日からよろしくお願いします」

 なんだか物分りがいいなぁ……気味が悪いぐらいだ。

 怪訝な顔で勇斗が光明の顔を見ると、それに気が付いた光明は再びニッコリと不器用な笑顔を勇斗に向ける。

「――よろしく頼んだぜ」

 諦め顔で勇斗がいうと、光明は再びニカッと笑いながら勇斗の背中をパンパンと叩く。

 だから痛いってば、手加減という行動をとったことがないのであろう、この男は……。

「よろしくお願いしますよ、お義兄さん」

 光明の一言に勇斗は思わず脱力してその場にへたり込むと、穂波も疲れきったような表情を浮かべながら勇斗に手を向ける。

 やっぱりわかっていなかったか……この男は……まったく鈍感と言うか、脳みそまで筋肉で覆われているのではないか、ハァ。

 勇斗がため息をつくと、穂波は意を決したような顔で光明の顔を睨み付ける。

「あの、勇斗さんの奥さんは……あ、あた……」

 それまでの勢いはどうしたのか、穂波は途中まで言いかけると顔を真っ赤にしてその言葉が尻切れトンボになってしまう。

「ん? あた? 勇斗の奥さんは八神……いや、千草だろ?」

 悪びれる様子もなくそう言いながら周囲を見渡すと、一葉は呆れたように手で顔を覆っているし、鉄平は楽しそうに笑っている。

「ちっ」

「違います! 勇斗さんの奥さんはあたしなんです!」

 一息に言い切った穂波は、それで力を使いきったようにその場に座り込みどことなく息を切らしている。

 よく言った!

 勇斗は心の中で隣に座り込んでいる穂波を賞賛し、労を労うようにその頭を優しく撫でる。

「――エッと……へっ?」

 その台詞の意味をいまいち理解できていない光明の顔は明らかに腑抜けたようなものになっており、恐らくフリーズ寸前になっているのであろう。

「だから、俺の嫁は穂波なんだ……わかるか?」

 勇斗はやっと体制を整えながら光明のその厳つい顔を覗き込むが、その瞳は何か答えを見つけようとせわしなく動き回っている。

「違う……穂波ちゃんは勇斗の妹だろ?」

 その事を認めたくないのか、思考が混乱しているのか、光明は呟くように言う。

「確かにそうだった、しかし血が繋がっていなくって……」

 勇斗の説明はそれからおよそ二時間近くかかった。



=石畳の路=

「よかったですね? 理解してくれて」

 既に日付が変わろうとしている時間、自宅に向かう帰り道、勇斗に寄り添う穂波はホッとした表情を浮かべながら顔を見上げてくる。

「まぁな、普通の人間なら三十分で済むけれどあの男だから説明するのに時間がかかってしまった、しかし、明日から店で働いてもらう以上は誤解を解いておかないといけないからな?」

 勇斗はヘキヘキした顔を穂波に見せると、その穂波はニッコリと微笑みながら勇斗の腕に抱きついてくる。

「エヘへ、あたしは勇斗さんの奥さんなんですよね?」

 穂波はそう言いながら今にもとろけてしまうのではないかというような笑顔を勇斗に向ける。

「そうだ、穂波は俺の奥さんで、有川穂波だ」

「それは今までとあまり変わりません」

 穂波はそう言いながらプクッと頬を膨らませる。

「そうだったな」

 勇斗もそれに対して頭を掻いてごまかすしかなかった。

「あぁ、見てください!」

 穂波がいきなり走り出したかと思うと、そこにはクリスマスイルミネーションにライトアップされた石畳の路。

「あぁ、綺麗だな」

 例年よりも雪の多い函館の街は既に雪景色に変わっている。

「はい、あなたと一緒に見た最後のこの景色も雪景色でした……それからはじめてみました」

 はじめて?

 勇斗が首をかしげると、勇斗の疑問が穂波に伝わったのであろう、ゆっくりと首を横に振り、照れくさそうな笑顔を浮かべる。

「いえ、この景色はあたしの中で止まっていたんです。勇斗さんと最後に見た景色、その時間を再び動かすのはまた勇斗さんとこの景色を見た時からとそんな気がしていたんです。だから勇斗さんが東京に行っている四年間はここには近寄りませんでした、お母さんが再婚したときはわざわざ遠回りしたりして買い物に行ったりしていたんです……エヘへ」

 穂波はミトンタイプの手袋を履いたまま鼻先を掻く。

「あなたと見る事が出来るなんて思っていませんでした、実はちょっと諦めていたんです、勇斗さんとこの景色を見る事がもう出来ないって」

 穂波はそう言いながらまっすぐにその石畳の路を見つめている。その瞳にはイルミネーションの光が写りこみまるで煌いているようにも見える。

「でも、あたしにとって最高の形でこの景色を見る事が出来ました」

 勇斗の顔を見上げる穂波の瞳はやはり煌いているが、それはイルミネーションのせいではなく、湧き出す涙のせいなのだろう。

「穂波……」

 勇斗はそんないじらしい穂波を思わずギュッと抱きしめたくなる衝動に駆られるが、その瞬間穂波の身体は勇斗から離れる。

「最後に一回だけ呼ばせてもらっていいですか?」

 クルッと勇斗に向き直る穂波は手を後ろに組みながら小首をかしげる。

「なんて?」

 勇斗もそんな穂波に首をかしげる。

「ウフフ……これが最後ですからよく聞いていてくださいね?」

 もったいぶらすような言い方をする穂波は再びクルッと後ろを向く、その視線の先には学校帰りに二人で見た景色が夜景となって広がっている。

「先輩! お帰りなさい、そうしてこれからもよろしくお願いしますね? あなた……」

 雪の積もった石畳の路に街路灯に照らされた二人の影が重なる。

 

=エピローグ=

「毎度どうも」

 今までどちらかといえば可愛らしい女性の声が響き渡っていたhakodateすばるの店先にドスの利いた怖声が響き渡る。

 ウ〜ム、ちょっとこれはこれで問題ありか?

 どことなく客が店から離れているような気がして仕方がない。

「光明! お前もう少し愛想よく出来ないのか?」

 いたたまれなくなり勇斗がそう言うが、光明は悪びれた様子もなくその台詞に対して異論を唱える。

「これで精一杯だよ」

「もっと何とかしろ、お前のその顔がいきなり店から出てきたら子供は泣くわ、お年寄りは下手すると倒れるぞ? これは店長命令だ!」

「店長、結構酷い事をポンポンと言いますね?」

 大きな身体をモジモジさせるその気持ちはわかるし、俺だって最初はそうだった、だから光明、お前も慣れるしかないんだ、そうすれば自然と作り笑いが出来るようになる。

 心の中で叱咤激励をする勇斗だが、当の光明はかなり困惑しているようだった。

「ウ〜ンと、光明さんの笑顔は可愛いと思うので、いつものように『ニパッ』と笑うのがいいと思いますよ? 子供もそうすればよってくるかも……」

 真央に接客術を聞いている光明はまるで美少女に怒られているマウンテンゴリラのようだ。

「なんだかなぁ……」

 勇斗がレジ前で苦笑いを浮かべていると、居間兼応接兼食堂から穂波の声が聞こえてくる。

「あなた、食事しちゃってくださいな」

 穂波のその言葉に光明がしっかりと食いつく。

「はい! いただきます!」

 ――おまえなぁ、昼にしっかりと食いに行っただろう?

「勇斗ぉ〜、お昼まだでしょ? 家に来て食べない? もしなんだったらそのまま休憩してもいいわよ、あたしのベッドで」

 店先から千草が声をかけてくる。

「千草さん! なに行っているんですか、あたしの目の前で口説かないで下さいよぉ〜」

 千草の声が聞こえたのか、店の奥からまるでダッシュするかのように穂波が姿を現すと、千草の顔を睨み付ける。

 相変わらず千草の声にはすばやい反応をするよな?

 苦笑いを浮かべる勇斗に対して穂波の厳しい視線が飛んでくる。

「あぁ〜! 今変な事を考えていたでしょ!」

「誤解だよ、別にそんなやましい事考えていないって」

「あら? 勇斗そんな事言って、実はそろそろなんて思っているんじゃない? あたしはいつだってOKよ」

「ダメに決まっているじゃないですか! あなたもそんなところでボォッとしていないではっきりと否定してください!」

 ハァ、なんだか結局変わっていないような気がするんだけれど……まぁ、いいかぁ〜。

 店先を見る勇斗の視線には再び降り出した雪があった。

「穂波、雪が降ってきた」

 その勇斗の一言に穂波の顔色が変わる。

「いけない! 洗濯物干したままだった、あなたいいですね? 千草さんの所に行こうなんて思わないで下さいね!」

 穂波はそう言いながら慌てて二階に上がってゆく。

「ヘイヘイわかっていますよ、千草もこんな所で油を売っていないで、ほらお客さんが入って行くぞ?」

 勇斗の視線の先にはお店の扉を開く客の姿、それに慌てたように千草は駆けながらお店の中に入ってゆく。

やれやれ……粉雪だな? この雪が根雪になるのかな?

勇斗の見上げる空からは細かい雪が止め処もなく降り続き、店の前の道を徐々に白く変えてゆく、それは長い北海道の冬の到来を告げるものだった。

「光明! 雪掻きするぞ!」

 勇斗はそう言いながら店の奥に消えてゆく。



 寒い北海道の雪はまだこれから、でも、このお店には一足早く春が来ているようだ、それはとても暖かく、そうして、必ず待っている人がいるという安心感を表すもの……。



fin