坂の街の小さな恋……

〜♪〜 はじまりの春 〜♪〜

最終話 ファーストキスの想い



=パフェの気持ち=

「幸作ぅ、フルーツパフェが食べたいぃ」

 初音がそう言いながら厨房を覗き込んでいる。

「お前なぁ、俺の誕生日に、人をこき使うなよな……あんたら鬼やぁ」

 幸作はその顔を見て笑顔を浮かべる……それに、初音や千鶴の笑い声が沸きあがる。その様子に隣にいた麻里萌はホッとした笑顔を浮かべる。

こんなやり取りを失いたくない……でも、それは俺自身の気持ちに嘘をつく事になる……麻里萌にもきっと辛い思いをさせる事になる。本当にそれでいいのか?

幸作は夜……いや朝方に自分で出した結論を再度確認する。

麻里萌につらい思いをさせたくない、しかしそれが結果であるのなら仕方が無いであろう、俺は麻里萌についてあげるしかない。なぜなら、その原因を作った張本人が俺なのだから。

「幸作、あたしバナナパフェ」

 千鶴は意地の悪い顔をして幸作を見る。

「よりによって違うものを注文するなよ、同じにしろ! 同じに!」

 幸作は抗議の顔を浮かべながら、キッと二人の顔を見る。

「マスターぁ、こんな事を言っている従業員がいるよぉ? 不良だ、不良従業員!」

 初音は容赦のない事を言う。

「まったくだ、幸作お客様の言う事は絶対だ、わがまま言うものじゃない!」

 マスター、あんたも奴らの味方かい……そして、すっかり俺は悪者ですか?

「ヘイヘイ……お前らちゃんと会計しろよ……」

 幸作はそう言いながらパフェ用のグラスを二つ取り出す。

「あれ? 幸作のおごりじゃぁ……」

「ちがぁ〜う!」

 本当にあんたら鬼や……俺は生活費を稼いでいるんだぞ!

「あは……じゃあ、幸作君、あたしと半分こにしよ」

 隣にいた麻里萌はそう言いながら幸作の顔を優しく見上げる。

 麻里萌様……あなたは、なんて慈悲深い事を言ってくれることか……それに比べるとあんたらは悪魔やぁ!

 幸作は、拝むように麻里萌を見て、そして、涙を浮かべているような表情で初音と千鶴を睨みつける。

「……ネェネェ、初音ぇ、なんだかあの二人ラブラブっぽくない?」

 千鶴がそう言いながら疑いの眼差しを幸作たちに向ける。それはコソコソというレベルではなく力いっぱい幸作たちに向けられたものであることがわかる。

「ウン、あたしもそんな感じを持ったのよねぇ……学校でもなんだか二人の距離が縮まっているような気がするし……」

 初音も切られたケーキにフォークを刺し、パクつきながら幸作の事を上目遣いで見る。

鋭いなぁ……なんで女って言うのはそういう事に敏感なんだ? 

幸作は反射的に麻里萌の顔を見るが、麻里萌のその顔も明らかに動揺し、その顔を真っ赤に染めている。

って、そんな顔をしたらばれるって……いや、でも近いうちにばれるか?

「そ、そんなわけないじゃないかぁ……アハ……アハハ」

 明らかに動揺している幸作は顔が引きつる。

「そうね、麻里萌ちゃんが、あの幸作とくっつくなんてありえないわよ。こんな優柔不断な男にこんな可愛い娘がなびくわけないじゃない」

 あのとか、こんなって……おいおい、えらい言われようだな……。

「あたしもそう思う、それは麻里萌ちゃんに失礼だったかな? ゴメンね?」

 初音が意地の悪い顔をして麻里萌の顔を見る。

「あっ、いや……その……そ、そんな……」

 麻里萌は、動揺が隠せないようにそう言うと再びうつむく。

「なんだか無茶苦茶言われているような気がするんですけれど……俺の気のせいかな?」

 幸作が苦笑いを浮かべ、二人を見ると、明らかに二人のその顔は冷やかすような表情を浮かべている。

「初音ぇ……なんだか今いい間で幸作が入ってきたような気がしない?」

 千鶴がニヤッとしながら初音を見る。

「ウン、あたしも今そう思ったところ……なんだかやっぱり怪しいなぁ」

 初音もそう言いながら近くにいる麻里萌の顔を覗き込む。

「エッ、あの……そんな……」

真っ赤な顔をしながら麻里萌は二人を見回す……気が付けばマスターも杏子さんもいない。こんなときマスターがしょうもない事を言ってくれれば場が和むのだろうが……本当に間が悪いのか良いのか……。

「あらぁ? 麻里萌ちゃん真っ赤になっているぅ……まったく否定しないなんてますます怪しいかもしれないなぁ」

 初音が容赦ない事を言い、そして、その二人の視線は一斉に幸作に向けられる。

「おっ?」

 その視線に一瞬うろたえるが幸作はそこで覚悟を決める。

「……実は……」

 幸作が一呼吸おくと口を開く。が、その前に麻里萌が口を開いていた。

「はい、あたしは幸作君の事が……好きです」

 千鶴、初音二人の目が見開かれる。

「……麻里萌……」

 幸作は麻里萌の顔を見つめる。

「麻里萌ちゃん……」

 初音が絶句する。

「正直な気持ちです……お二人の気持ちも知っています、でも、あたしも幸作君が好きなんです、その気持ちに嘘はつきたくない」

 麻里萌はエプロンの裾をぎゅっと握り締める。

「遠慮しようと思いました……だけれど、あたしの気持ちは……気持ちは……」

 ギュッと目をつぶり、うつむく麻里萌の肩はふるふると震えている。

「……遠慮なんてする必要ないじゃない?」

 ずっとうつむいていた千鶴が顔を上げる。その表情は微笑を浮かべ、まるで何かを悟ったような表情をしている。

「エッ?」

 麻里萌の目がハッと千鶴に向けられる。

「気が付いていないわけないじゃない、麻里萌ちゃんの気持ち、そばから見ていればすぐにわかるよ、ねえ? 初音」

 千鶴は優しい目をして麻里萌を見る。

「ウン、麻里萌ちゃん素直だからすぐにわかったよ、それに、幸作の気持ちだってあたしたちはわかっているよ……」

 初音は意地の悪い目をしながらため息をつき、幸作の顔を覗き込む。

「俺の気持ち?」

 幸作は素直に驚いた顔をして初音を見る。

「幸作は麻里萌ちゃんの事が好き……そうして麻里萌ちゃんも幸作のことが好き……これで相思相愛っていうやつね、本当に世話のかかる二人だこと……」

 腕組みをしていた千鶴もため息をつきながら幸作を見るが、幸作と麻里萌は起こったことがいまいち理解ができずに共にキョトンとするばかりだった。

「えぇ〜っと……へ?」

 幸作はやっとの事で口を開くが、なにから質問していいかわからなくなっている。

まず整理をしよう。麻里萌の気持ちがこの二人には分かっていた、そして俺が麻里萌に対して思っていたことも二人にはわかっている。そして俺と麻里萌が付き合い出した事も何となくわかっているようだ。

「わかっていた……の?」

 幸作より麻里萌のほうが先に整理がついたのであろう……真っ赤な顔をしながらも的確な質問を二人に投げかける。

「わからない訳ないじゃない。それに二人の距離が一気に近づいたのにも気が付いているわよ? 今日はもっと近づいているみたいだけれど」

 初音はニヤッとしながら幸作と麻里萌の距離を見る。

「ホントに告白したの? それともされたの?」

 千鶴はそう言いながら麻里萌の顔を見つめる。麻里萌はその質問に対して首筋まで真っ赤にして小さくうなずく。

「やったね? 麻里萌ちゃんおめでとう! この男の事だから気の利いた台詞なんて無かっただろうけれど、なんて言われたの?」

 初音の表情は生き生きとし、まるで芸能レポーターのような勢いで麻里萌に話しかける。

「えぇーっと……その……『好きだ』って……」

 麻里萌はうつむきながら蚊の泣くような声で初音の質問に答える。

って、そんなまじめに答えるなよぉ。

幸作はまるで顔に体中の血液が逆流してきたのではないかというぐらい真っ赤になっている。

「幸作ぅ……」

 千鶴や初音の顔が一気に幸作に向けられる。

「あなた即答だったの? あたしが告白したときはうつむくだけだったのに」

 意地悪な表情で初音が幸作を見る。しかし、その目は優しく微笑み、そしてちょっと潤んでいるようにも見える。

「本当よ、あたしのファーストキスを奪っておきながら……」

 千鶴がボソッと言うと、今度は麻里萌と初音が千鶴の事を険しい目で見る。

「ちょ、ちょっと、千鶴、それは初耳だよ? そんな事になっていたの?」

 キッと幸作の顔を見る初音。その視線には迫力すら感じられる。

「そんな話しはじめて聞きました、千鶴さんが幸作君に告白したまでは知っていたけど……」

 麻里萌はちょっと目に涙を浮かべながら無言の攻撃を幸作に向ける。

「いや……その……だって……」

 幸作は二人からのその非難の目を必死に受け止める。

言い訳をしようと思えばできるのだが、しかし、言い訳する気にはならなかった、千鶴とキスをしたのは事実だし、なんであれ、それは曲げることが出来ない事実。

「幸作ぅ……振られるよ? そんな事をしていると」

 初音は意地の悪い顔をして幸作の顔を見る。

 そんな事って、俺は一方的にだな……でも……言い訳は出来ないかな?

「振られるって……そんな」

 幸作は迷った……本当の事を言えば麻里萌はわかってくれるであろう、しかしそれを言うと千鶴の気持ちを傷つける事になってしまうだろう。

「ウフ、やっぱり幸作はいいなぁ……あたしが選んだだけの男だわ」

 千鶴はそう言いながら、麻里萌のいる目の前で幸作に抱きつく。腕に柔らかい物が当たる。

「!」

 それを見た麻里萌の優しい目がつりあがる。

「……フフ、あたしが一方的にチュってしただけ、幸作はボォーッとしていたわよ、驚いた顔でね……ゴメンね麻里萌ちゃん、でもあたしのファーストキスには変わりはないよ、幸作はあたしのファーストキスの相手、これだけは一生覚えていてあげる」

 千鶴は深々と麻里萌に頭をさげながらも幸作に意地の悪い笑顔を送る。

「でも……それが千鶴さんの気持ちなんでしょ? だったら、あたしは真正面からそれを受け止めます」

 予想以外の台詞に幸作と千鶴、初音の視線が一気に麻里萌に向く。

「だって、二人は長い付き合いの仲で幸作君に対する思いが芽生えたんだと思います、あたしがポッと出てきて幸作君の事を好きだなんて言える立場じゃないのもわかっています。でも、自分の思っている気持ちは事実、それと同じに皆さんの気持ちがある筈、千鶴さんの気持ち、初音さんの気持ち……それぞれの表し方があると思います、あたしの気持ちの表し方もあります……だから……だから、みんなライバルです、たとえ幸作君があたしの彼になったとしても皆さんがあきらめてくれない限りあたし達は友達であり、ライバルなんです……あたしは彼が初音さんの恋人になろうが、千鶴さんとキスをしようが気持ちは変わりません、幸作君のことが好きな気持ちは……あたしは幸作君のお嫁さんになることが夢になりました」

 麻里萌は一気に離し終わると力尽きたようにその場にへたり込む。

「お嫁さんって……」

 呆気に取られたように初音がその麻里萌を見る。

「……飛躍しているわね? でも、そこまで思っているのね?」

 千鶴も優しい顔でへたり込んでいる麻里萌を見る。

「でも……気持ち……かぁ、大切だよね?」

「ウン、そうだね? 気持ちだよ……幸作が麻里萌ちゃんの彼氏になろうと、どうでもいいよ、あたしの気持ちは変わらない……ううん、変わるわけがない、そんな事で好きが無くなっちゃうなんて嫌だもん」

 初音は涙を浮かべながらもにっこりと微笑み幸作の顔を見る。

「……そうね、変わってしまったらその気持ちは嘘になってしまうわね……麻里萌ちゃん、後で後悔しない様にしてね?」

 千鶴はそう言いながら麻里萌の顔を見る、その顔には泣き笑いといった表情が浮かんでいる。

「いいえ、負けません、あたしが有利な状況には間違いないですから……」

 麻里萌はそう言いながらもちょっと自身なさそうな顔をして幸作を見る。

「言ったわねぇ? 幸作、明日デートしない? あたし明日お店休みなのぉ、だからぁ、一緒に日帰り温泉行かない?」

 ムニュっとした感覚が幸作の腕に伝わらせながら初音が幸作の腕を取る。

「エッ?」

 キョトンとした顔で麻里萌は初音を見る。

「駄目だよ、幸作は明日あたしの試合見にきてくれるんだから……ね? 幸作!」

 へ? 試合? そんな約束していたっけ? 

反対の腕には千鶴が抱き付いたままに幸作の顔を見上げている。

「駄目です! 幸作君は明日もバイトです! 稼ぐんです!」

 麻里萌はそう言いながら二人から振りほどくように幸作の腕をしっかりと掴む。

なぜだか、今までのようなムニュ感が無いような感じが……いや、それ以前にだ、なんだかすごい事になってしまったような気がするんだけれど。

幸作は苦笑いを浮かべながらため息をひとつつく。

「幸作、人事みたいな顔をしていないで!」

 猫目な初音がそういうと、隣から千鶴も頬を膨らませながら幸作を睨みつける。

「そうよ! 何であんたがもてるのよぉ」

俺にそんな事を言われても困るんだけれど……。



=茜空の下で=

「……幸作君」

 いつもと同じバイトの帰りの道、春を告げるようにまだ日は完全に落ちきっていなく、西の空を茜色に染めている。函館山から見る景色はこの時間が一番綺麗だと以前麻里萌に説明したこともあったような気もするがその麻里萌はさっきから何か考え事をしているように無言だったが今やっと口を開いた。

「ん?」

 話の話題を一生懸命探していた幸作はその一言にホッとしたように顔を向けるが、対する麻里萌の顔には笑顔がない。

「あのね? あたしって、すごっくやきもち妬きっていうことに気がついたの……きっとすごいやきもち妬きかもしれない」

 言っている事が支離滅裂なんですけれど……。

 苦笑いを浮かべる幸作に対し、真剣な表情の麻里萌。

「どういうこと?」

幸作は首をかしげながらうつむいている麻里萌の顔を見る。

「さっき、千鶴さんとキスしたって……それからなんだか胸のもやもやが取れないの」

 いつも麻里萌と笑顔で別れる分かれ道、麻里萌は立ち止まり幸作の顔を見つめる。その瞳はちょっと潤み、そのまま帰してはいけないと言う幸作の心に火をつける。

「……あたし、さっきあんな事を言っておきながら、実は凄く不安なのかもしれない。幸作君がもしあの二人に心変わりしたらどうしようとか、幸作君が他の女の子と仲良くなっちゃったらどうしようかとか、色々考えちゃう……本当にこんなのであたしあなたの彼女なんてやっていけるのかしらって、すごく不安」

 不意に麻里萌の瞳から涙がこぼれおちる。きっと気勢を張っていたのであろう、恐らく凄く不安でいたに違いがない。その緊張が切れて、麻里萌は今俺の目の前で肩を震わせているのだと思う。

「そんなの嫌だ……あたしは幸作君のそばにずっといたい」

 麻里萌が人目をはばからずに幸作に抱きつく。

「当たり前だ、お前はずっと俺のそばにいる……それが運命なんだから、それ以外のなにものでもない、俺はお前のそばからいなくなるなんて言うことはないよ」

 幸作はその震えている麻里萌の肩を、愛おしそうに抱きしめる。

「……ウン、幸作君あたしの気持ちわかってね?」

 麻里萌はそう言いながらちょっと背伸びをする。

「幸作君」

 麻里萌はそう言い目をつぶり幸作の唇にその小さな唇をつける。その様子をスポットライトのように点きはじめた街灯が照らし出している。



「これで、千鶴さんとあいこだね?」

 真っ赤な顔をしてうつむく麻里萌はそういうのが精一杯のようだ。

「……あいこでいいのか?」

 幸作はそう言いながら麻里萌の肩を抱き寄せる。

「幸作君?」

 麻里萌はちょっと躊躇しながらもその力に従う。そうして、ちょっと乱暴ではあるが、幸作は自分の唇を麻里萌の唇につける。

「これが俺のファーストキスだよ……そう思っている」

幸作はそっぽを向きながらではあるが、顔を真っ赤にして麻里萌に対して断言する。

そうだ、俺の思いはこれだけだ麻里萌を思う気持ちは変わることはないだろう。

函館の少し強い潮風は二人の頬を優しい春風となって吹き抜けてゆく。



=エピローグ=

『今日は暖かい一日になるでしょう、お天気はずばり快晴です!』

 お天気お姉さんがさわやかな笑顔をテレビの向こうで浮かべているとき、幸作は制服のズボンに足を通していた。そのとき玄関先で呼び鈴がなる。

この時間に訪問者とは珍しいな? そう思いながらその音の先を見ると郁子がパタパタとスリッパを鳴らしながら対応に向かっている。

フム、任せたぞ、妹よ。

『今日の一日……最高の運勢の星座は双子座です! 今日の運勢は人生最大の幸運の日と言っても良いでしょう……』

 双子座というと俺の星座じゃないか、人生最大の幸運の日かぁ。

幸作は普段気にもしない占いに機嫌を良くしながら制服着用の最終段階であるネクタイを締める、あとは上着を着れば出発進行だ。

「ほらぁ、おにいちゃん早くしないとぉ」

 上着を取ろうと普段ハンガーにかかっている位置に移動すると、既にそれはなく、郁子の手に持たれている。

まだ、お前に早く行けといわれるまでは五分位あるだろう? まだまだ余裕のある時間じゃないのか? 

幸作は無意識に壁にかけられている時計に目を向けるが、その時間は普段と同じ時を刻んでいる。

「まだ大丈夫だべ?」

 幸作は口を尖らせながらも郁子の突き出した上着に腕を通す。既に出発準備が完了した、これで後はろくなものが入っていないカバンを持てば学校に行くしかない。

「なに言っているのよ……麻里萌さん迎えにきているよ? いつの間にそんな仲になったのかな?」

 郁子はニヤニヤとした笑みを浮かべながら幸作の顔を覗き込む。その一言に幸作が玄関先に視線を移すとそこにはこの辺りでも可愛いと評判の制服を身にまとった女の子……麻里萌の姿があり、幸作の動きが一瞬にして加速される。

「おはよ、幸作君」

 慌てて部屋を出て、靴を廊下に叩きつけながら足をほぼ強引という形でねじ込む。

「おはよ、って……どうしたの?」

 幸作は歩きながらも驚きを隠さないままに麻里萌の顔を見る。

「ウン……一緒に行きたいなって……迷惑だった?」

 麻里萌はそう言いながらうつむく。

「いや……ちょっと驚いただけ」

 幸作がそういうと、麻里萌は満面に笑顔を見せながら顔を見上げる。

「ホント? じゃあ、毎日一緒に学校に行こうよ、ネ!」

 麻里萌は、朝と言う事を忘れてしまったのではないかというぐらい晴れ晴れとした顔をして幸作の手を握る。

「ハハ、いいかもしれないね? まるでカップルみたいだ」

 幸作はその行為にちょっと頬を染め麻里萌の顔を見るが、麻里萌はそんな事お構いなしに手をつないだまま慣れた道を歩いてゆく。

「みたいじゃないんじゃない?」

 麻里萌はちょっと不服そうな表情で幸作をみる。

そうだった、昨日お互いの気持ちを知り、そして明けた今朝からは……、きっとカップルなのだろう、そう思うと照れてしまう。

「郁子ちゃん可愛いね?」

 いきなり話題がすっ飛ぶ。

……たまにあなたの話についていけないときがあるよ。

そんな麻里萌の台詞に、幸作は苦笑いを浮かべるしかできなかった。

「だって、あんな可愛いエプロンしちゃって『お兄ちゃん』なんて言ってさ、ちょっと羨ましいかも……」

 麻里萌はそう言いながらちょっと頬を膨らませる。

「別に俺にはそういう趣味はないし……生まれながら郁子にはお兄ちゃんって呼ばれているからそんな事考えたことはないよ」

 幸作はつないだ手を離すのがちょっと心苦しく、利き手ではない手で鼻先をかく。

「あたしもエプロンするよ? この間可愛いの買ったんだぁ……そうだ、今度幸作君の家にご飯作りに行ってあげようか?」

 麻里萌はそう言いながらつないだ手をブンと振り回す。

「ハハ、是非お願いするよ」

 幸作は笑顔を麻里萌に向ける。

「ウン! 今度絶対ね?」

 麻里萌はそう言いながら幸せそうな表情で幸作の顔を見上げる。その表情ははじめて会った時に見た笑顔と同じようなあどけないものだが、その笑顔が自分に向けられている事に喜びを感じる。

たかが出会って一ヶ月、まさか彼女の存在が俺の中でここまでの存在になるとは思っていなかった。



「おはよ〜」

 学校近くの電停で背後から声をかけられる。

「アッ、おはよ〜初音ちゃん」

 振り向く先にいるのは相変わらず頭にボンボンをつけた初音がにっこりと微笑んでいる。

「エヘヘ、幸作もおはよ!」

 初音は幸作にも同じ笑顔を向ける。

「アァ、おはよう、初音」

 昨日の今日で、こうやって初音と笑顔で顔を合わせることができるとは思っていなかった、あの時気丈な初音の目には涙が光っていた、きっとそれだけショックだったのかもしれない、でも、今日は笑顔だ、その笑顔に幸作は救われたような気持ちになる。

「エヘへ……エイ!」

 初音はそういうと幸作の腕に飛びつくようにすがる。

「ちょっ、ちょっと初音ちゃん?」

 麻里萌の目がつりあがる。しかし初音はそんな事お構いなしに幸作の腕に顔をすり寄せる。まるで、今までの初音とはちょっと違った印象で、麻里萌を挑発するような行動を取る。

「ヘヘヘ、言ったでしょ? あたしの気持ちはそう簡単に変わらない、たとえ麻里萌ちゃんが幸作の事を好きであろうと、幸作が麻里萌ちゃんの事が好きであろうと、あたしの気持ちは変わらない……だよ」

 初音はそういうとぎゅっと幸作の腕を抱きしめる。

む、胸が当たる……よぉ?

幸作の目尻がちょっとだけだが落ちる。

「駄目です! そんな目の前で……」

 麻里萌も幸作の腕に抱きつく。

こっちはあまり感じないなぁ……これは俺の中だけにとどめておこう。

「アァ〜!」

 ハァ……ややっこしい奴が現れたなぁ。

幸作はそう心の中で呟きながらも思わずうなだれてしまう。

「何で初音が幸作にすがり付いているんだ? 麻里萌ちゃんまで……羨ましい」

 まるで指を咥えるような顔で亮はその光景を眺めている。

「ヘヘ、亮羨ましいでしょ……代わってあげようか?」

 初音はそう言いながら自分の抱き付いている幸作の腕を亮に差し出す。

「いいのか?」

 亮の顔に満面の笑顔が生まれる、って俺に抱きつきたいのかお前は!

「やっぱり駄目!」

 初音はそう言い再び幸作の腕にすがりつく。

「初音ぇ〜、そういうことを蛇の生殺しって言うんじゃないのか? 辛いぞ……」

 亮は今にも泣き出しそうな顔で初音の顔を見る。

「だって、あたしは女の子だから許されるの、ネ! 幸作」

 初音はそう言いながら幸作の顔を見上げるが、その隣では麻里萌が頬をプックリと膨らませながら抗議の視線を初音に向けている。

「初音ちゃん、女の子だからいいとかそういう問題じゃないの!」

 幸作の胸元で初音と麻里萌の視線が火花を散らしている。

……あのぉ、歩けないんですけれど……とほほ。

「幸作、やっぱり男同士の方がいいだろ?」

 亮がその様子を楽しそうに見て幸作の肩をぽんと叩く。

そんなの……嫌だよ。

「あらあら、いつの間にかそんな事になっていたの?」

 まるで二人を引きずるようにして歩く幸作に、声がかけられる。

「留美ちゃんおはよ〜」

 長い髪の毛を春風になびかせながら堺谷留美がちょっと驚いた表情でその塊を見ている。

「……あの初音ちゃんがねぇ、そこまで積極的になるなんて驚きだわ」

 留美さん? 今なんて言いました?

「ヘヘ、留美には今まで色々相談していたからね、あたしの気持ちはよく知っているのよ」

 初音は照れたようにそういう、その頬は赤らんでいた。

「……すると知らなかったのは俺だけなのか?」

 幸作はガックリと肩を落とす。

「それだけあなたが鈍感だったって言うこと……他にもいるかもよ、身近に」

 留美はそう言いながら幸作の鼻先を指で突っつく。

「ちょっと、留美まさか……」

 初音がそう言いながら幸作から離れ、留美の後を慌てた様子で歩いてゆく。

「……やっぱり幸作君ってもてるのね?」

 麻里萌がにっこりと幸作の顔を見る。

「そんな事無いでしょ?」

 幸作はそう言いながら麻里萌の顔を見る。

「ううん、そんな事あるよ、そんな人があたしの彼になっただなんていまだに信じられない、うかうかできないかな?」

 麻里萌はそう言いながらも幸作の手をぎゅっと握り締める。暖かいその感覚は幸作の心の中にまで染み渡っていくような気がする。

「大丈夫でしょ?」

 幸作はそう言いながら麻里萌を見るが、麻里萌の頬はさっきから膨らんだままだった。

「ホントぉ〜?」

 疑うような眼差しで幸作を見る麻里萌の鼻先に幸作は人差し指を置く。

「ホント」

 幸作のその一言に麻里萌は満面の笑みを膨らませる。

「うん!」

 そう言いながら麻里萌は幸作の腕に飛びつく。暖かい麻里萌の体温が心地よくなる。

「暖かくなった、やっと函館にも春が来たな……風の強い街、坂の多いこの街にも」

 麻里萌と共に見上げる学校までの坂道には少し強い風が吹き、まるで雪のように桜が花びらを散らしている。

 坂道に積もっているのは雪ではなく桜の花びら、そしてそれを散らしている風は心地よく幸作たちの頬を撫ぜてゆく。

「春なんだなぁ……」

 幸作はその風を全身に浴びて大きく深呼吸する。その隣では麻里萌が微笑みながら幸作を見ている。

「幸作ぅ〜早くしないと遅刻するよぉ〜」

先に行った初音が手を振る、みんなが待ちわびていた春が北海道に上陸したようだ。

「いこ、幸作君!」

 麻里萌と幸作は手をつなぎながら学校に向う。まだこの先何があるかわからないけれど、この二人にも今、間違いなくはじまりの春が訪れているようだった。



FIN