第十四話 物語とは……。
=大森浜=
「――無意識に『血』が流れてしまったということだな?」
溢れ流れていた奈穂の涙が収まり始めた頃、隆二はその肩を抱きながら言うと奈穂は、口を尖らせたままコクリと頷く、その姿は小さな女の子が不満げに頷く仕草に似ている。
「やっぱり呼人も男の子という事だったんですね? お父さん嬉しいんじゃありませんか?」
意地の悪い顔をしながら紫乃は隆二の事を見ると、隆二はコホンと咳払いをするものの、その顔は素直に嬉しそうにしている。
「ちょっと待ってよ!」
今までの悲しそうな顔をしていた奈穂の顔が徐々に怒りに満ちてゆく、その顔は、さっきまでの化け物たちに向けていたものと同じでは無いかと言うほどのもので、その気迫に隆二と紫乃は気圧されている。
「何でそんなにノホホンとしていられるの? 呼人が……いなくなっちゃったんだよ? それで平気なの?」
ブウァッと奈穂の瞳から涙が溢れ、その雫は足元の砂浜に落ち、すぐに吸収される。
「奈穂さん……」
らむねが奈穂に寄り添うと、その瞳を見つめながら頷くが、その視線は再び両親に向かって厳しく向けられる。
「呼人が……いなくなっちゃったんだよ? お父さんもお母さんも平気なの? 呼人が死んじゃったんだよ?」
シャクリあげながら言う奈穂の顔を見て隆二と紫乃は呆気にとられたような顔をして互いの顔を見合わせ、そうして共に優しい笑みをこぼす、その様子にらむねは首を傾げるが、奈穂はその表情にさらに噛み付く。
「いいの? 呼人がこの世からいなくなっちゃったのが平気なの?」
叫びあげるような奈穂に、紫乃は優しくその肩に触れて、ギュッとその身体を抱きしめると、それまで泣きじゃくっていた奈穂から嗚咽が消える。
「平気な訳無いでしょ? 唯一の息子が死んだのならこんな顔が出来る筈がないじゃない」
紫乃の言葉にさらにらむねの首は傾く。
「そうだ……お前の気持ちはわからんでもないが、そこまで取り乱すな」
隆二の顔を見上げる奈穂の表情は驚いたような顔をしているが、その台詞に対しての驚きではないようで、何か確信を持っているようなそんな自慢げな表情に対してのようだ。
「エッと……少し質問させていただいてよろしいでしょうか?」
らむねは自分で出した疑問点の解決を隆二たちに委ねるように、口を開く。
「ハイ、らむねちゃんどうぞ!」
紫乃は奈穂を抱きしめながらであるが、年齢を感じさせない明るい笑顔をらむねに向けると、その表情にちょっと気圧されたようならむねは苦笑いを浮かべる。
「アノですね? さっきの紫乃様の台詞の中にあたしのメモリー内の相関図を否定するようなものが含まれていたのですが……」
虚空を見上げながららむねが言うと、その言葉に紫乃の笑みが優しいものに代わり、その答えを隆二にゆだねるように視線を向ける。
「うむ、らむねにインストールしたデータには一部改ざんを施してある、その事に対しては詫びるが、HALC社の承認は得ていることを付け加えさせていただくよ」
隆二はそう言いながらゆっくりとらむねに対して体を向ける、その顔はさっきまでの表情と違って真剣な顔で思わずらむねの背筋はピンと伸びる。
「HALCが承認しているのであれば問題ありません」
無理に微笑もうとするらむねであるが、思うようにその表情が作れなくなっており、ぎこちないまま隆二の顔を見つめている。
「その話はあたしかららむねに話す……」
紫乃に支えられながら奈穂はゆっくりと立ち上がる。その顔は何かを決心したような、そんな気持ちの固い意志を感じさせる。
「呼人とあたしは姉弟なんかじゃないの……あたしは小さい頃にある事件に巻き込まれたの、そう、今日と同じようなPHS絡みの事件に……ただ小さくってあまり記憶ははっきりしていないのよ、その時に保護をしてくれたお父さんとお母さんにあたしは育てられたの、だから呼人はあたしの実の弟じゃない……戸籍こそ一緒にしているけれど血の繋がりは無い、赤の他人と同じなの」
辛そうに言う奈穂の頬に再び涙が光る。
「あなたもさっき見たでしょ? あたしの本当の姿……奴らはあたしたちの事を『ハンター』と呼んでいるようね? 奴らの事を発見し殲滅する自然の『勘』を持ち合わせている者よ」
「そして、あたしもかつてそうだったのよ……」
奈穂の台詞をフォローするように紫乃は言い、驚いた顔をしているらむねの事をジッと見つめると、いきなりニコッと微笑む。
「この能力はね、歳と取ると共に減少してゆくみたいなのね? 認めたくない事なんだけれど、でも事実最近ではその『勘』が働かなくなってきたの……」
紫乃はペロッと舌を出しながらおどけたように言うが、その言葉は笑って話せるほどライトな話では無いとらむねは思い、真剣な表情を崩さないでいる。
「だから君たちの力を借りるべく、HALC社に製造を頼んだ……いや、年齢だけではない、子供たちがそういう『勘』を働かせる事が無くなったのか、働かなくなったのかはわからないが、最近ではその力を持つ人間が減ってきているために、君たちが必要になった」
隆二はそう言いながら、らむねの肩をポンと叩く。
「あたしたちの力と言うのは『あいあんれでぃ〜』の事ですか?」
らむねの問いかけに隆二は言葉無く頷きその顔を穏やかな表情を見せる海に向けられる。
「世界各国で起きている奇妙な事件の八割が、PHSが絡んでいると言われている、それを殲滅させるのに必要なのは奈穂のような『ハンター』の勘と、それを殲滅させる力を持つ君たち『あいあんれでぃ〜』の力が必要になる、その理想系が今のこの家庭なんだ」
胸ポケットからタバコを取り出しそれに火をつける隆二は、はるか遠くに見える漁火を見つめながらその紫煙をゆっくりと吐き出す。
「でも……ご主人様は……」
らむねは無意識に口にしてしまったその台詞を途中で飲み込みながら、そっと奈穂の顔を覗き見るが、奈穂はその表情を歪めていた。
「そうよ……理想であった家族の一人が……いなくなっちゃった……のよ?」
再び奈穂の瞳から大粒の涙が零れ落ち、それに同調するようにらむねの瞳からも涙が零れ落ち始める。
「ご主人様は……やっぱり死んじゃったんでしょうか……そんなの嫌だ……せっかく奈穂さんとご主人様や萌ちゃんたちと仲良くなって楽しい生活が出来るようになったのに……」
らむねの顔は涙に歪み、その後の台詞は嗚咽にかき消される。
「らむねちゃん、心配しなくってもいいわよ? 呼人は死んだりしていない……」
紫乃の一言に驚いたような表情を浮かべるらむねに、奈穂は首を振る。
「だったら! だったら呼人はどこに行ったの? さっきまでここにいた呼人は一体どこに行ったと言うのよぉ!」
取り乱す奈穂をそっと抱きしめる隆二の表情は柔らかく、優しい笑みを浮かべながらその長い髪の毛を撫でる。
「死んではいないよ……お前はそそっかしいな?」
隆二の一言に奈穂はハッとして顔を上げる。
「もしかして彼もあたしと同じ?」
その顔に対して隆二は笑顔で答え、隣の紫乃もコクリと優しい笑みを浮かべながら微笑む。
「そう、呼人もあなたと同じよ……きっと」
その紫乃の視線の先には真っ暗な津軽海峡が広がり、その水平線との境では漁火が所々に浮かんでいる。
「――でも、そんな事わかるわけが無いじゃない……呼人にあたしと同じ『血』が流れているなんて……そんな事誰にもわからないよ」
奈穂は一瞬浮かべた期待を打ち消すように首を力なく振る。
「へ?」
首を振る奈穂の隣で、何かの気配に気が付いたのか、らむねが視線を一点に向ける。
「どうしたの? らむね」
そんならむねの様子に気が付いた奈穂はその顔を覗き込むと、らむねの表情は徐々に今までの淀んだ表情を否定するようにその表情を明るく変化させてゆく。
「ハイ! ご主人様の反応が……」
らむねの一言の奈穂の顔色が明らかに変化する。
「呼人なの? らむねが今感じたのは呼人なの?」
奈穂の問い詰めに、らむねは驚いたような表情を浮かべながらも、その顔から笑みが消える事はなかった。
「ハイ、確かに今一瞬でしたがご主人様の感覚がありました……僅かでしたが……」
その表情に奈穂の顔に笑顔が膨れ上がり、周囲を見渡すが、その姿を認めることは無く、相変わらずに静かな砂浜で、そこにいるメンバーが増える事はない。
「呼人? ねぇ、いるの? 呼人……いるのなら返事してよ……呼人ぉ〜!」
奈穂の叫び声が静かなその砂浜にこだまする様に響き渡るが、その声に反応するものは無く、その声を掻き消すような潮騒のさざめきが周囲を覆う。
「ご主人様……」
らむねの表情は、それまで見せていた笑顔を曇らせ、自分の感じた感覚が幻だったのかと言うような顔をして周囲を見渡すが、それらしい痕跡は見当たらない。
「気のせい……?」
少しがっかりした表情を浮かべるらむねの肩を奈穂はポンと叩き、ニコッと微笑む。
「そんなわけ無い……あたしと同じ『血』を持つものならば絶対にそんな事はない……」
奈穂はらむねを励ますように言うが、その反面自分を奮い立たせる意味合いを含めながらそう言うと、それまでらむねの向いていた視線を追うと、僅かにその砂山が動くような気配を奈穂は感じ取り、無意識にそこに駆け寄る。
「呼人! 平気ならちゃんと返事しなさい!」
まるで言い聞かせるように言い、その砂山を素手で掘り起こす奈穂の姿をらむねと萌は呆気にとられたように見つめるが、やがてらむねもそれに賛同するように手をかける。
「ご主人様がここにいる……奈穂さんの『勘』ならそれは間違いがないです」
らむねの着ているメイド服は、さっきまでの戦闘でボロボロになり、今回の砂山掘りでドロドロになって見る影も無いが、その表情は真摯にその姿を見つけようとしている。
「あたしも協力するよ、呼人さんがいないこの世になんて未練は無いから……でも、呼人さんがいなかったらこの世にあたしが存在する意味がなくなっちゃう」
ネコ耳をペチャっとたらしながら萌もその爪を立てながら砂山を掘り起こす。
「ムニャ……うきゃきゃ……」
奈穂から受け取った紫乃の胸の中で既に赤ん坊に変わり果ててしまったカレンがなにやら嬉しそうな声を上げる。
「わかったのね? カレンちゃん」
その様子を納得したように紫乃がカレンに微笑みかけると、カレンは楓のような小さな手を何かをつかむように宙に舞わせる。
「アヴゥ〜……キャキャ!」
カレンの言う事はまったくわからないのだが、一児を育てた紫乃だからこそわかるのであろう、そのカレンを優しく見つめ彼女の言おうとする事を理解している。
「呼人、呼人……」
「ご主人様……ご主人さまぁ〜」
「呼人さん、呼人さん!」
三人の力が合わさり、高さを持っていたその砂山は徐々にその姿を崩し始め、周囲の景色に同化しはじめるが、それらしい痕跡はいまだに見受けられなく、三人の疲れがピークに達しているのであろう、肩で息をするようになってくる。
「アッ!」
諦め始めたように手の動きが緩慢になり始めた頃、一番動きが機敏だった萌の口から大きな声が上がり、それに二人が顔をあげ覗き込んでくる。
「これ……呼人のブレザー……という事はこの近くに!」
息を吹き返したかのように三人の手の動きが早くなり、そうしてその砂山が姿を消した頃、三人の手が止まるとその中心にそれまで元気に動いていた人間の一部が外気に触れる。
「呼人!」
奈穂は自分の顔に掛かる砂などまるで意に介さないように一心不乱に手元の砂をすくう、その白い指先からは鮮血が流れ落ちているが今見を感じないようにその作業を続行すると近くにいたらむねと萌も、汗を拭いながらそこの砂を掻く。
「ここに、ご主人様がいる……なにが何でも……」
「助ける! 呼人さんのためなら何でもするよ!」
三人の力のかいがあって、徐々に呼人のその全容が明らかになってゆくが、さっきからピクリとも反応しない事に三人の表情は曇りっぱなしになっている。
「呼人ぉ〜!」
奈穂はその身体と砂の隙間に腕をねじ込み、僅かに掛かっていた砂諸共その身体を一気に引き抜くが、ぐったりとするその身体はまったく生気を失っており、顔はまるで蝋人形のような色をしており、明らかに絶命している事が判断できる。
「そんなのイヤァ〜!」
絶叫する奈穂はその身体をギュッと抱きしめながら揺するが、それに反応する事は無く、まるで人形のようにガクガクと首を動かすだけで、生気が戻ってくる気配は無い。
「ご、ご主人様……そんな……」
らむねはガックリと膝を砂浜につき、奈穂に抱きしめられている呼人の姿を呆然と見上げ、萌は泣きじゃくりながら、呼人の足元にすがりつく。
「――らむね、緊急処置だ……ユーザーを切り替えろ……奈穂、らむねとキスをしろ!」
隆二の一言は奈穂に届いておらず、ただ取り乱したように呼人の身体をまさぐっている。
「奈穂!」
パシン!
乾いた音が潮騒に消される事無く周囲に響き渡ると、それまで聞こえていた嗚咽がやみ、周囲には再び潮騒だけが聞こえるようになる。
「お……とうさん?」
驚いた顔をして頬を触る奈穂のその手の下は赤い跡がつき、ジンジンとした痛みと共にその場所だけがやたらと火照っている。
「なにを取り乱しているんだ! そんな事では呼人の姉としては失格だぞ! お前がしっかりしなければならないんだ!」
隆二は言葉を荒げながら、険しい顔を奈穂に向けると、奈穂は申し訳なさそうな表情を浮かべながらその隆二の顔を見上げる。
「でも……呼人が……こんな事になったら……」
「――あなたの呼人に対する気持ちが、姉弟の感情と違うという事は良くわかっているわよ? だからこそあなたがしっかりしなければいけないのよ? 呼人を救う事が出来るのはあなただけなの……らむねにログインできるのは呼人と共に住んでいたあなただけなのよ……呼人の乳母としての役目はまだ終わっていないわよ?」
紫乃の一言に奈穂の目に今まであった諦めの色が消え、力強さを増すようになる。
「わかりました……」
奈穂は意を決したような顔をしてらむねに相対するが、その頬は恥ずかしさをまだ心の底に持っているのか少し紅潮し、その二人の顔の距離が徐々に近づき、その距離が互いの唇が触れるあう事によってゼロになる。その様子を興味津々な顔をして見ていた萌の目は紫乃の手によって塞がれる。
「まだ萌ちゃんには早いようね? それに、どうせ見るのなら男性と女性のそのシーンの方がいいわよ? コレはあくまでも緊急処置なの」
紫乃の手を振りほどこうとする萌だが、やがて諦めたようにその肩をガックリと落としながら深いため息をつくと紫乃はフフッと意味深な笑みを浮かべる。
「新規ユーザーを検出しました、端野奈穂のログインを許可します」
二人の顔が離れ、真っ赤な顔をしている奈穂に対してあくまでも業務的な顔をしているらむねは好対照だ。
「奈穂、らむねにコマンドを……今お前が一番したいことだ……」
さっきまでの厳しい顔が嘘のように穏やかな笑みを浮かべる隆二の顔を奈穂は一瞥し、その隣にいる紫乃の顔を見ると、そこでは穏やかな笑みを浮かべている。
「――らむね……お願い……呼人を……呼人を助けて……」
祈るような表情を浮かべながららむねを見る奈穂の顔は、まさに好きな人を救いたいと言う一念を持った少女のような表情で、その顔に複雑な思いを表情に出しながらもらむねはコクリと頷き、メイド服の背中のジッパーをおもむろに下ろし、生まれたままの姿になると横たわっている呼人の身体に抱きつく。
「ちょ、ちょっとらむね……」
今にも噛み付かんばかりの勢いの奈穂の腕は紫乃に捕まれその自由を束縛される。
「まぁ、後はらむねちゃんに任せましょうよ……ね?」
よく見れば、紫乃は片腕で奈穂の動きを抑えつつ、萌の目を塞ぎ、反対の手では鼻の下を伸ばしかかっている隆二の顔をその手でしっかりと握り締めている。
「ご主人様……」
光に包まれるらむねと呼人の身体は、あまりにも眩しすぎて直視する事が出来なくなり、奈穂はその顔をそむける。
「らむね……お願い……呼人を救って……彼がいなくなったら、あたしの想いは……」
両手を胸の前で合わせながら奈穂が祈りだすと、さらにその二人を包んでいた光はさらに強くなり、まるで昼間のような明るさが周囲を包み込み、正視する事ができなくなる
「う……ウン……」
光が消えて周囲に再び闇が訪れると、その収縮していく光の中心に徐々に見えてくるのは二人の姿……一人はその体型から女性であると言う事がわかり、もう一人はがっしりした体型のシルエットが浮かび上がるが、その二人の足はしっかりとその砂浜を踏みしめながら立っているという事がわかる。
「……呼人?」
そのシルエットになっている人物の一人が微笑んだような感じがするのは、恐らく奈穂の気のせいでは無いであろう。確かにそこにいる人物は微笑み、優しい顔をして奈穂の事を見つめている。
「――奈穂……」
奈穂はその聞き覚えのある、僅かの間であったが聞きたくて仕方が無かったその声に思わず飛びついてゆく。
「呼人ぉ〜!」
なりふり構わず奈穂はその大きな呼人の胸に抱きつき、さっきまで感じなかった呼人の体温と、その鼓動を全身に感じると、その目からはさっきとは違う涙が溢れてゆく。
「な、なんだよ、きもちわりぃなぁ……って、わぁ〜! らむね! お前なんていう格好をしているんだ!」
呼人はそれまでと寸分の変わりなく、裸のらむねから視線を逸らし、泣き崩れている奈穂の事を見ると、不思議そうにその首を傾げる。
「お帰り、呼人……」
紫乃が優しくそういうと、呼人の目はさらにまん丸になり、その現況を理解できないような顔をする。
「お、お袋? それにオヤジ……なんで?」
キョトンとする呼人の顔を見て、紫乃と隆二は顔を見合わせて、大声で笑い出す。
「アハハハ! 久しぶりの対面でそれは無いだろう……呼人」
「そうよ、あたしの大切な呼人に会いに来てそんなに珍しいの?」
意地の悪い顔をする隆二と、心底嬉しそうな顔をする紫乃の顔を交互に見る呼人の頭の上にはずっとクエスチョンマークが浮かんだままでいた。
=意外な展開=
「そんな事があったんだ……」
市民病院内にある一人部屋のベッドに横たわっている呼人は、その周囲を取り巻いているらむねや萌を見上げると、感心したようなため息をつく。
「呼人さん、心配したんですぅ〜」
萌はそう言いながらさっきから呼人の横たわるベッドにすがりつき、泣き笑いの表情を浮かべており、呼人もその頭を優しく撫ぜる。
「ゴメンね萌ちゃん……それに、ありがとう心配してくれて」
呼人のその優しい顔に対して、近くにいたらむねの顔も赤らむ。
「でも……助ける事ができなかったよな……彼女の事を……」
その優しい顔は徐々に苦痛に似たように歪めて、唯一動かす事のできる左手を握り締めると、その拳は血の気を失ったように白くなってゆく。
未里……俺は彼女の事を守ることが出来なかった、みんなを守りたいと思っていたのにもかかわらず、彼女はもうここにはいない……親父たちは仕方が無いといっていたが、仕方が無いで人がいなくなってもいい訳が無い、みんながいつもと同じになって初めて良しなのだ……。
ぐっと唇を噛み締める呼人の肩をらむねがそっと掴むとその瞳は呼人のそれを否定するようにフルフルと横に動く。
「ご主人様……あまり自分を追い詰めない方がいいと思います、彼女だってそんなご主人様の姿を見たら悲しむと思います」
キュッと呼人を抱きしめるらむねからは、初めてだけれどなんとなく懐かしい感覚が漂ってきて、それに呼人は力を委ねるように寄り添う。
「らむね……俺は……」
呼人の瞳に涙が光るものがあり、それに気がついたらむねは、それを萌から隠すように身体を割り込ませる。
「大丈夫です、ご主人様はあたしたちのご主人様です、あたしたちを守ってくれました、あたしたちをそこまで思いやってくれるその気持ちだけで十分です、あたしも彼女もきっとそう思っているはずです」
らむねの胸に抱きしめられる呼人は照れくさそうな顔をしながらも、その頬に感じる温もりに目を閉じる。
「あら? ラブシーンの真最中だったかしら?」
いきなり開かれる病室の扉からは意地悪い顔をした母親――紫乃が真っ先に顔を見せ、その後ろから少し羨ましそうな表情を浮かべている父親――隆二が続いて入ってくるが、その背後にはまるでゴゴゴと言うような擬音を背負った奈穂が鬼のような顔をして呼人を睨みつけており、その表情に呼人はらむねから離れ、背筋をピンと伸ばす。
だだでさえ切れ長な目がきつい印象なのに、そんな顔をされると余計に恐怖心をあおられるような気がするよ……気のせいか最近そんな視線を顕著に感じる気がする。
困惑した呼人の隣ではらむねが恥ずかしそうに指を弄び、ちょっとつまらなそうな顔をしながら口を尖らせている。
「フム……難しい状況かと思うが……」
隆二はコホンと咳払いをしながら、少し残念そうな顔をしてその場を取り繕うと、呼人と、その呼人に寄り添うらむね、最後に般若のような表情でその二人を睨みつけている奈穂の事を見つめる。
「アァ〜、まず今後の事なのだが……」
「呼人くん!」
「端野君!」
「呼人!」
隆二が口を開きかけたとき、ちょうど同級生三人がその病室に飛び込んでくると若菜と直也の顔は呼人のその様子を見てホッとしたような、芽衣は目に涙を浮かべながら手を胸の前で握り締めながらも安心したように小さく息をつく。
「よかった……交通事故に遭ったって……一週間面会謝絶で会うことが出来ないって……」
芽衣は頬を涙で濡らしながら、呼人の隣で泣き笑いの表情を浮かべる。
交通事故? なるほどそういう話になっているのか……何か情報操作をしたんだろうな? 親父たちが……まあ、PHSと戦って大怪我をしたといっても世間の人間は、強く頭を打ったと同情を受けるだけだろうし、とりあえずは良しとしておくか。
呼人はチラリと隆二の事を見ると、その顔は涼しげな顔を浮かべ、視線を逸らす事で呼人のその勘が当たった事を確信する。
「まぁ……情けない話だけれどね……」
適当に話をあわせる呼人に、隆二は大いに満足したような顔をしながら大きく頷くと、ギブスで固められていない左肩をポンと叩く。
「さてと……ここにいる人間は呼人の事を真剣に心配してくれている人達……いわゆる心友と言っていいのだろうな?」
心の友と書いて心友と言いたいのだろうな? 親父は……聞いているこっちが恥ずかしくなってくるよ……まあ、否定はしないけれど。
妙に目を輝かせている隆二の事を見る呼人は乾いた笑いを浮かべるが、周囲にいる直斗や若菜はそれに感銘したように頷き、芽衣はちょっと不満げな顔をしているが仕方なしに頷く。
「よろしい……それではみんなに本当の事を伝えるが、この話しはここにいる人間だけの心の内にしまっておいてもらいたいし、みんなに見守っていてもらいたい事なんだ……」
真剣な表情でみんなを見る隆二に、若菜や直斗と芽衣は思わず息を呑み、その次に発せられる台詞を待っている。
なんだ? 何を言おうとしているんだ? まさか、PHSの存在をみんなに伝えようとしているわけでもないだろうし、なにを企んでいるんだ?
呼人の頭の中になにやら悪い予感がして、無意識に身体を起こそうとするがその脳からの信号を傷ついた身体は拒否する。
「実は……奈穂と呼人は姉弟では無いんだ……二人に血の繋がりは無い」
隆二の一言に事情を知らない三人と、意味を受け入れる事の出来ない呼人は目を丸くして隆二の顔を見つめるが、事情を知っている奈穂やらむねは少し辛そうな顔をしている。
「血の繋がりが無いと言う事は……」
若菜はそう言いながら奈穂の顔を見ると、その顔は申し訳なさそうな顔をしながらその若菜の視線を受け止めている。
「――ちょ……ちょっと」
何の事だかわからないでいる呼人だが、隆二の口は次の言葉を既に発している、その言葉は、その場にいる人物全てにとってセンセーショナルすぎる台詞……。
「そうだ……奈穂は我が家の……呼人の嫁だ」
幽体離脱するかと思った……いや、間違いなく今一瞬、自分の霊体がこの身体から離れていったに違いない……。
「嫁……って……、呼人くんと、奈穂さんが夫婦と言う事なの……かな?」
若菜はその自分の言っている事を否定して欲しいと言うような顔をしながら、隆二の顔を見つめると、隆二は当たり前のような顔をしながら頷く。
ちょっと待って下さい? 今、何て言ったの? 夫婦? 誰が? 俺と奈穂が? エッ?
助けを請うように呼人は奈穂の顔を見るが、その顔も驚きを隠しきれていない。
「そうだ、結果的には君たちを騙すようになってしまった事を詫びる、学校の先生方も一部の人間しか知らないので今後も内密に願いたい」
呼人と奈穂にウィンクする隆二に対して二人が噛み付こうと口を開こうとするが、その目の前に赤ん坊になってしまったカレンの姿が差し出される。
「この娘は二人の愛の結晶なの……今まであたしたちが預かっていたんだけれど、やっぱりきちんとした親元に暮らすのがいいと思ってつれて来たの……」
紫乃はそう言いながらカレンを奈穂に差し出すと嬉しそうにその手を差し出すカレンのその小さな手に奈穂は躊躇しながらも、優しい顔をしながらその身体を抱き上げる。
「この娘は、呼人と奈穂の子供、端野華蓮(はしのかれん)……ここに証拠も在るわよ?」
紫乃の手にはしっかりと自治体が発行したであろう封筒が持たれ、その封筒が意味するその中身を知るのは容易な事だった。
=エピローグ=
「ご主人様、ご飯できましたよ?」
メイド服姿のらむねは、ソファーでくつろいでいる呼人に声をかけると、呼人は人差指を口の前に立てる。
「あらら、寝ちゃったんですね? ウフ、可愛いなぁ……」
哺乳ビンを抱くようにして、奈穂の胸でスヤスヤと寝息を立てているのは呼人と奈穂の子供と言う事になっている華蓮だった。
「今寝かしつけてくる……」
奈穂はそう言いながらそっと立ち上がり、旧客間であり現奈穂の部屋に姿を消すと、その後姿を見ながららむねは小さなため息をつく。
「どうした?」
呼人はやれやれといった顔でテレビをつけながら、らむねの顔を見ると、その顔は羨ましそうな顔をしている。
「いえ、奈穂さんなんだかんだいってもすごく幸せそうな顔をしているなと思って……」
らむねはそう言いながら再びキッチンに姿を消し、その意見になんとなく同意する呼人もため息をついてテレビに視線を向けると、その画面には今朝起きた市内の火災の様子が映し出されていた。
火事か……まさかまだ奴らがいるのか?
呼人の脳裏に過去に起きた大火災の原因が浮かび上がるが、首を振ってその結論を否定しようとする。
「――火事か……」
気がつけば華蓮を寝かしつけてきた奈穂が呼人の隣に当たり前のように座り込み、その現場の様子を真剣な顔をして見つめている。
「アァ、まだ奴らがいるのかな?」
心の中で疑問に思った事を言葉にすると、奈穂の表情が引き締まり、その表情は心配げに呼人の事を見る。
「奴らがまだいたら、呼人はまた行くのか?」
ギブスをはめた呼人のその三角巾をキュッと握る奈穂は今にも泣き出しそうな顔をして見上げてくる。
「――いくしかないだろうな? この街を守らなければいけない訳だし……なんだか正義の味方になったみたいだな?」
照れくさくなった呼人は照れ隠しに鼻先を人差指で掻くと、さらにその奈穂の瞳は潤みはじめ、呼人の顔をジッと見つめる。
「でも……あんな心配はかけないでくれ……頼む」
奈穂の表情は、前のような厳しいものは無く、真剣に呼人の事を心配しているような表情で、その表情に呼人の頬は思わず緩む。
「大丈夫だよ……うちには天下無敵のあいあんれでぃ〜がいるんだから……」
呼人はそう言いながらキッチンに視線を向けると、美味しそうな料理を持ちながららむねが二人に向かってくる所だった。
「エヘ、今日はちょっとがんばりました、呼人さんの大好きな『厚揚げの煮つけ』を作ってみました、紫乃さんのレシピを元にしましたから絶対ですよ? って?」
なぜそんな所でつまずくんだ? と言うようなところでらむねは体勢を見事に崩し、それが入っていた器が空を舞うと、その後の惨劇を予想した呼人と奈穂は思わず目を瞑る。
あちゃぁ〜……今日の夕飯はまたカップラーメンかな?
しかし、二人の耳にその後の惨劇を象徴するような破壊音は一向に聞こえてくる事はなく、そっと目を開けてそこに視線を向ける。
「――相変わらずそそっかしいわね? でも、あたしがここに来た以上はご主人様にひもじい思いをさせないわよ?」
ひもじいって……ってぇ〜?
呼人と奈穂、ひっくり返ってスカートを捲れ上がらせているらむね、三人の視線が涼しい顔をしてそこに立ち、その器を持っている人物に対して目を白黒させる。
「みっ!」
ニッコリと微笑みその顔に、奈穂は素直に驚き顔、らむねはその表情を見る見るうちに泣き顔に変化させ、呼人はホッとしたようなそんな表情をそれぞれ見せている。
「み?」
キッチンからは、しばらく滞在すると言っていた紫乃が顔を見せ、三人三様な表情を浮かべている三人を見てクスッと微笑み、それの解説をするようにその人物の隣に立つとコホンと咳払いをひとつする。
「驚いたわよね? 今日かららむねちゃんと一緒にこの家の面倒を見てくれる『夏野未里』さん、設定はらむねちゃんのお姉さんという所かしら?」
紫乃の一言に、奈穂と呼人はガックリとうなだれる。
またやりやがったな情報操作を……それにしてもお隣さんはどうするんだ? いくら情報を書き換えたからと言っても自分の娘として育てていた娘の顔を忘れるはずが無いだろう?
呼人の心の中の疑問に気がついたのか、紫乃はさらに微笑を浮かべながらその種明かしをする、その顔はどこと無く自慢げだった。
「ウフ、お隣さんの記憶はちゃんと消去しておいたから心配しないでいいわよ? だてに国家機密を扱っていないからそんな操作は容易い者よ」
――我が母成れど怖くなってきたよ……人の記憶を操作し、アンドロイドを自分の家のメイドにし、わが子に嫁を作った挙句に子持ちにしてしまうとは……。
メイド服を着込んだ未里はニッコリと微笑みながら、呼人の顔を見つめると、その頬に朱を刺すと、その様子に気がついた奈穂とらむねの頬がほぼ同時に膨れ上がる。
「エヘ、今度は『呼人様』と呼ばせてもらうね?」
長い髪の毛はひとつにまとめていないのに、姉御口調になっているのはプログラムを修正されたせいなのか?
なんとなくこれから一波瀾も二波瀾もありそうなそんな光景を浮かび上げながら呼人は苦笑いを浮かべていると、奈穂が呼人の腕をしっかりと抱きしめてくる。
「呼人はあたしの旦那様なんだからね!」
まるで小さな娘が、駄々をこねるように言う奈穂の姿にらむねと未里はちょっと呆気にとられたような顔をするが、やがてそれに対して不満げな顔をするが、らむねの表情が一変すると同時にソファーの上に置かれていたキツネのぬいぐるみが声を上げる。
「ご主人様! PHS反応です!」
らむねの一言に、呼人の顔が引き締まり、隣の奈穂の表情が少し曇る。
「やっぱりいるのか……未里も出られるか?」
「おまかせよ?」
三人はため息をつくものの、表情を引き締めながら部屋を飛び出してゆく。
「呼人……その……」
玄関先で、じれったそうに靴を履く呼人に対して、奈穂は心配そうな顔をしながらその様子を眺めている。
「――大丈夫だって、夕飯は冷えちゃうかもしれないけれど、暖めておいてもらえると嬉しいかな? すぐに帰ってくるよ」
微笑みながら言う呼人に、奈穂は頼もしいそうな顔をして、頬を赤らめながらコクリと頷く。
「ウン……早く帰ってきてね? あなた……」
奈穂はそう言うと顔をトマトのように真っ赤にしながら背を向ける。
「あなたねぇ〜……」
「ぶぅ、なんかちょっと変な気持ちですぅ」
メイド服姿の二人から冷やかしの視線を受ける呼人の顔も、浜茹でされた花咲ガニのように赤くなっているが、時は一刻を争う状況と言う事がふぉっくすからの指示によりわかってくる。
「ほら! 早く『出来損ない』退治だよ! この函館の街を守るのはお前たちだけなんだぞ!」
呼人はそう言いながら玄関を飛び出してゆき、らむねと未里もその一言に笑みを浮かべる。
「ハイ! ご主人様!」
メイド服姿の女の子を従えながら街に飛び出す呼人の頬には、それまでの凍てついた冷たさは無く、どこと無く新緑の香りが漂っているようにも感じる……。
この街はこれから春本番なんだ!
Fin