北野 スオミ
「想いの連環」
二月十四日、バレンタインデー
掛け布団がはね跳ぶような勢いで北野 スオミは上半身を起こす。
「まだこんな時間ですか」
枕もとに置いてあるペンギンの形をした目覚し時計を見ながらつぶやく。時刻は午前五時、部屋の中はまだ薄暗かった。
「目覚し時計より早く起きてしまいました」
目覚ましのアラームは五時半になるように設定してある。
「なんだか得をした気分です。早起きは三年の得ですね」
・・?・・・何だか違うような気もしますが気のせいですよね?
自分の発言に首をかしげながら自問自答して、しばらく時間が経った。
「そうでした!こんなことしている場合ではありません」
突然ベッドの上に立ち上がり、スオミは言った。
そう、半年前の夏に出会って、スオミの心を救ってくれた東京の彼と、フィンランドに帰っていたスオミが旭川で会って、今日が三日目になる。
「今日はシュークリームを作るのでした」
パジャマから部屋着に着替えたスオミは、自分に確認を取るように言って『お菓子の作り方百科』を持ち、台所に向かっていった。
「えーっと・・まず始めはですね」
『お菓子の作り方百科』のシュークリームのページをひろげ、見ながら髪をゴムで縛り、頭に白い三角頭巾を巻いたスオミは、手早く必要な道具と材料を揃える。
「あの人は食いしん坊さんですから、たくさん作ったほうがいいですね」
そう言って、三十個は作れるであろう量の材料を使って、シュークリームを作り始めた。
途中、焼き加減の間違いで何度か生地をしぼませてしまったりはしたものの、なんとか二十個の生地を作ることに成功した。
「ふう・・なんとかここまではできました。次は中のクリームですね」
一息ついているときに、ふとカレンダーに目がいく・・今日の日付のところにバレンタインデーと太字で書かれていた。
「そうです!シュークリームの中にチョコレートを入れましょう」
確か日本のバレンタインでは親しい人に義理チョコを送るという、義理人情にあふれた風習があるとテレビで言っていました。
叔母にそのことを聞いたときに苦笑いを浮かべていたのが気になりはしていたが、スオミはカスタードとチョコレートのクリームを作り始めた。
「梅屋のクリームほどではありませんが、おいしくできました」
出来上がった二つのクリームをなめて、スオミは喜笑する。
「では、早速クリームを生地にいれましょう」
完成したクリームを絞り袋に入れて、わずかに穴を開けた生地にクリームを流し込んだ。
ぶしゅっ・・
情けない音と共に生地のいたるところが裂け、クリームが開いた穴から漏れていってしまう。
「あっ!・・やってしまいました。力加減に気をつけなければいけませんね。これは私が食べてしまいましょう」
スオミはクリームの付いていない部分を慎重につかんで、一口食べる。しばらくその場で固まったと思ったら、すばやく二口、三口とあっという間に食べてしまう。
「おいしいです!これならアナタも喜んでくれるでしょうか?」
予想以上の出来に期待を膨らませながら、次の生地にクリームを入れる。
ぶしゅっ・・
「またやってしまいました。もっと慎重にやらないと・・・慎重に・・慎重に・・・」
自分に言い聞かせながら慎重にクリームを生地に流し込んでいった。
「やっと終わりました」
時々、失敗しながらも全ての生地にクリームを入れ終えてほっと一息付いて、出来上がったシュークリームをバスケットに形を崩さないように慎重に全てを収め、ふと、壁にかけられた時計に目をやる。
「もうこんな時間・・アナタとの約束の時間に遅れてしまいます」
時刻は八時四十分、彼との待ち合わせは九時・・待ち合わせの場所までは歩いて三十分位かかるため到底間に合いそうも無い。その事実に飛び上がったスオミは急いで着替え、身支度をして、シュークリームの入ったバスケットを胸の前に両手で抱えて家を飛び出していった。
「叔母さんいってきます!」
ようやく起きてきた叔母にかけた言葉は最後の方は叔母の耳には届かないくらいにすさまじい勢いで遠ざかっていった。
途中何度か足を滑らせ、つんのめり、のけぞったりしながらもシュークリームはなんとか死守して待ち合わせの場所、買物公園に面したアッシュに到着する。
疲れで上下する肩を静めて、腕時計を見る。
「ハァハァ・・八時五十五分・・ハァ・・よかった。なんとか・・ハァ・・間に合いました。フゥ・・なせば成る、ですね」
ほっと胸をなでおろし近くにあったベンチに座り、呼吸を整えながらも彼が来るのを膝に置いたバスケットを見つめて、今か今かと待った。
九時ちょうど、アッシュの中に彼が入ってきた。
それを見たスオミはすばやく立ち上がり、シュークリームの入ったバスケットを後ろに隠しながら彼の元へ行き、声をかけた。
「おはようございます」
先ほどの疲れはどこに行ったのかと思うほど落ち着いた声で、スオミは朝の挨拶をした。
「おはよう、今日も早いね!」
彼も元気よく、嬉しそうに挨拶を返す。
「フフッ、目覚し時計よりも早く起きてしまいました」
そう言い、間髪いれずに彼に聞く。
「朝ごはん、まだですよね?私、今日は良いものを作ってきたんです」
「良いもの?」
彼の問いかけに待ってましたと言わんばかりに、後ろに隠したバスケットを前に出した。
「シュークリームを焼いてみました。梅屋みたいに綺麗な形には出来ませんでしたけど・・・」
スオミはシュークリームをバスケットから一つ取り出し、手の上に置き、
「それではお一つどうぞ」
期待に満ちた笑顔を浮かべて、差し出した。
三月十四日、ホワイトデー
北野 スオミはフィンランドに戻らず、旭川に残っていた。
彼と二月に再会した最後のあの日の朝・・ダイヤモンドダストで輝く景色の中でスオミは一つの決心をした。それを果たすため、ここ・・旭川に残り、もう一度フィギュアスケートの世界への復帰を目指し、スケートへの恐怖など忘れるくらいに厳しい練習の日々を送っていた。
そうして迎えたホワイトデーの今日、彼から贈り物があった。
「いったい、何が入っているのでしょう?」
彼からのプレゼントにうきうきしながら包みを外し、蓋を開けると、そこには木製のペンダントと一枚のメッセージカードが入っていた。
ペンダントは、複雑な文様が刻まれた赤い輪が二つ繋がっていた。そのどちらにも継ぎ目は無く、持ち上げると片方の輪が静かにゆれた。
ペンダントを箱にそっと戻し、メッセージカードを手にとり、読み始める。
このペンダントは一つの木を手で削って作られたもので、刻まれた文様はアイヌ文様と呼ばれていることが書かれていた。最後に付け加えるように、夏に買ってすぐにプレゼントしようとしていたが、機会が見つからずに今日まできてしまったことに対する謝罪の言葉が書かれていた。
「ふふっ・・アナタらしいですね」
スオミは微笑を浮かべながらカードをたたんで置くと、もう一度ペンダントを手にして、見つめる。
一つの木から作られた継ぎ目の無いペンダント・・それは、いつまでも離れることの無い二人の心のようだった・・・
そう思ったスオミはペンダントを両手で優しく包み込み胸に押し付ける・・・あの時の彼の手のぬくもりを感じたような気がした。
「素敵なプレゼントをありがとうございます」
東京にいる彼に感謝の言葉をつぶやいた。
Your heart stay with My heart・・Forever・・・