雪の残る町並み



=プロローグ=

「ウン、わかったわ……じゃあ……」

 ピッ……。

 真っ暗な部屋の中に東京とつながっていた空間を閉じる電子音が響き渡る。

「……ホント、生意気な口をたたくようになったわね?」

 部屋の中には携帯のバックライトだけが浮かび上がり、その明かりに照らし出されている女性の顔は嬉しそうな顔をしているものの目からは涙が零れ落ちている。

 七歳も年下の癖に最近は生意気になってきた……でもその生意気が嫌な感じはせずに、むしろそれが嬉しくなっている気がするのは……。

 携帯をローテーブルに置き、ソファーから立ち上がるとそのまま窓辺へと身体を移動させる。その時鏡のようになっている窓に自分の顔が映り込み、その顔に苦笑いを浮かべる。

 三十を目前にした女がこんな事でこんな笑顔を浮かべていていいのかしら……まったく。

「だらしない顔をしているぞ! そんな事でどうするんだ、催馬楽笙子!」

 笙子はそう言いながらも窓に映る自分の顔を嬉しそうに見つめる。

 ついに卒業か……。



=三十路目前=

「おはよ〜」

 札幌のFM局『NorthWave』の正面玄関に笙子は足を踏み入れ、警備員に挨拶をする。既に笙子と顔馴染みになっている警備員はその言葉にちょっと呆気に取られながらも挨拶を返す。

「おはようございます、笙子さん……」

 その一言に笙子はニッコリと微笑みながらエレベーターに向って歩いていく。

「……笙子さん一体どうしたんですかね? 今日はやたらと元気じゃないですか?」

 若い警備員は初老の警備員に首をかしげながら尋ねる。

「三十路前だからな……吹っ切れたのかも知れんなぁ」

 初老の警備員はそう言いながら首を振り笙子の後姿を見ている。



「おはよぉ〜」

 スタッフルームに笙子の声が響き渡る。

「おっ、おはようございます笙子さん……」

 若手のAD手塚が呆気にとられた顔で笙子の顔を見る、その他スタッフルームにいた作家の浦岡と難しい顔をしていた永井も顔を上げる。

「やけにご機嫌だな……何かいいことあったのかい?」

 浦岡がクスッと微笑みながら笙子の顔を見る。

「さぁ、どうかしら? あったような……ネ?」

 笙子はそう言いながらバックを長椅子に投げると、鞄のポケットから一枚のメモが落ちる。

「笙子さん、何か落ちましたよ?」

 手塚がそう言いそのメモを拾い上げる。それを見た笙子は珍しく慌てた様子でそのメモを取り上げる。

「あは……アハハ、今日の夕飯の買い物メモよ……」

 ちょっと頬を赤らめている笙子に向って永井と浦岡が怪訝な表情を向ける。

「……夕飯のメモ?」

 浦岡が目をぱちくりしながら笙子を見る……まるで珍しい物でも見たような表情だった。

「……ソッ! 最近メモしておかないと忘れちゃうから……ネ? あは、アハハハ、歳かしらねぇ……アハハハ」

 明らかに動揺している笙子に対し、三人の目は冷たいものだった。

「……お前が買い物だぁ」

 永井は顔を上げながら、明らかに疑念の表情を浮かべる。

「なっ、何よ……あたしだって女なんだから、買い物ぐらいするわよ」

 思わず永井の視線をそらす笙子。

「腹抱えて笑ってもいいか?」

「……いいわけないでしょっ!」

 笙子はリスナーからのプレゼントであろう手近にあったカエルのヌイグルミを永井に投げつける。



『催馬楽笙子のカプチーノブレイク!』

 スタジオに入り、笙子は手紙を読み上げる、リスナーからのお便りを読んでいるときは一瞬にして日常を忘れる。楽しそうに笑いながら手紙を読む笙子の表情はそれまでとまったく変わらないもので、ミキシングルームにいる二人はほっと胸をなでおろす。

「順調ですね?」

 手塚がそう言いながらFAXから排紙されているお便りを見つめる。

「アァ、あいつがノッているときのほうが俺たちは怖いんだよな……何かしでかしそうで、どうだ? 何か面白そうなのは来たか?」

 永井はそう言いながらも手元のスイッチを見つめる。

「ハイ……こんなのはどうでしょうか? 笙子さんの好きそうなやつですが」

 手塚はそう言い永井にそのFAXを見せる。



『それでは妖精さんからのリクエストで『悲しい*』です』

 瞬間にCDからバラード調の曲がかかり手塚がスタジオに入る。

「浦岡さん、こんなFAX来ていますよ、どうですかね?」

 手塚はさっきのFAXを放送作家の浦岡に見せる。その紙に視線を落とす浦岡の表情は真剣だったが、そのうち微笑を浮かべる。

「いいんじゃないか? 笙子どうだ?」

 浦岡はそのFAX用紙を笙子に手渡す。

「どれ……これは……遠距離恋愛の相談……」

 笙子の顔が沈むが次の瞬間笑顔に変わる。

 彼女もあたしと同じ遠距離恋愛をしているのね? 彼女もきっと辛い思いをしている、あたしもそう、三十を目前にしている大の大人がこんなのでいいのかと思うけれど、大人も子供も人を好きになるのは関係ない、女が恋をするとこんなにまで変わるものなのかって自分で思ったぐらいよ。でも、やっぱり……。

「これ次のコーナーでいきましょうよ……笙子さんがきっちりと答えてあげる」

 笙子がウィンクをするとCM明けを知らせる声がスタジオに響きわたる。



=遠距離恋愛=

『催馬楽笙子のカプチーノブレイク、次のコーナーはお悩み相談のコーナーです』

 笙子はそう言い目の前にさっきのFAXを取り出す。

『えぇっと、これはFAXで頂きました……函館からですね、ラジオネームイカ最高さんからって……すごいラジオネームですねぇ』

 ホントすごいわね、さっきまで気にもしていなかったけれど、こんな可愛い内容にしては派手なラジオネーム。

『笙子さんこんにちは、あたし今遠距離恋愛をしています。去年の夏偶然に出会った東京の人なんですが、今ではその人の存在がとても大きくなっています……』

 あたしと同じ、去年の夏に出会った東京の人。

『彼を好きになって覚悟は出来ていたのですが、日が経つにつれ彼の存在がどんどん大きくなり、気になって仕方がありません。母親とかに東京にいい人でもいるんじゃないかなんて言われる度に気になります』

 信じているだけに余計心配になってくる……やっぱり同じ、でもね……。

『……何かいいアドバイスがあったらお願いします』

 ふぅ、きっと遠距離恋愛をしている人はみんな同じことを考えているみたいね? 近くにいない分相手のことが気になって仕方がない、会った時の喜びは格別だけれど、別れる時の寂しさもまた人一倍に寂しい、出来る事ならあんな寂しい別れをしたくない、ずっとそばにいてほしい。

 マイクに向かって笙子は少しの間黙り込む。

『……イカ最高さん』

 再び口を開く笙子に周りのスタッフはほっと胸をなでおろす。

『あなた今とても輝いていると思いますよ? 人を好きになるだけでも女というのは輝くもの、それは困難があればあるほど輝きが増すと思うの』

 笙子は言葉を選びながらマイクに向かう……いや、マイクの向こうにいるであろうイカ最高さんに向かって。

『人の恋愛にはさまざまな形があると思う、それは他人から見るといけない事も中にはあるかもしれない、でもそれは人それぞれだと思う』

 瞬間昔の自分のことを思い浮かべる。

『でも、そんな思いが通じるようにあなたの今しなければいけないことは、その人を思い続ける気持ちが大切だと思います』

 不意に笙子の目から涙が零れ落ちうなだれる、目の前にいる浦岡が驚いた顔をする。

『長距離恋愛は障害も多いけれど、焦らず。迷わず、そして諦めない事それが一番大切だと思いますよ? イカ最高さんも彼を思うという自分の気持ちに甘えてしまうのもいいかもしれませんね? だってそれがあなたの本当の気持ちなんでしょ?』

 周りがまた黙り込むと予想を覆し、笙子は淡々と話し続ける。そして再び顔を上げた笙子の顔には満面の笑顔が浮んでいた。

『それではイカ最高さんからのリクエスト……会いたい……』

 笙子がマイクのカフを下げると、スタジオ内にバラード長の曲が流れ始める。

「……いいアドバイスだな、まるで人に伝えるのではなく、自分に言い聞かせているみたいだったよ」

 浦岡がニッコリと微笑みながら笙子を見る。

「ウフフ、そう感じてくれたのなら成功ね?」

 笙子は涙を拭いながら浦岡にウィンクを送っているとスタジオに手塚が入ってくる。

「笙子さん、すごいですね? なんだか俺感動しちゃいましたよ、遠距離恋愛のマニアルを聞いているみたいでしたよ」

 マニアルって……それほめられているのかしら?

 笙子は苦笑いを浮かべ手塚を見る、その手にはたくさんのFAXの紙が待たれている。

「手塚君、それは?」

 それを笙子は不思議そうに見る。

「反響ですよ、今の……ほとんどが笙子さんの意見に賛成ばかりです、まだFAXは動きっぱなしですよ、きっと遠距離恋愛をしている人が多いのかもしれないなぁ」

 遠距離恋愛をしている人が多い……かぁ、あたしもそのうちの一人……。

「さぁ、エンディングだ、今週をきっちりと終わらせてくれ」

 浦岡がそう言いながら親指を立てる。

「OK!」

 笙子はそれに対し微笑みながら親指を立てる、それに今日これが終わったら……。

「……催馬楽笙子のカプチーノブレイク今週はここまで、また来週」

 マイクのカフをおろし、今週の放送がすべて終わった。

「お疲れ様」

 浦岡が笙子の肩をたたく、それは毎日行われている儀式みたいな物だが、今日だけは違ったように感じるのは笙子の気持ちのせいだろう。

「お疲れ様」

 笙子は慌てたように席を立ちミキシングルームに足を踏み出す、そこには手塚と永井がインターネットの書き込みのチェックを行っていた。

「アッ、笙子さん書き込み多いですよ、FAXもさっきから流れっぱなしだし、すごい反響ですよ……番組始まって以来かも……」

 嬉しそうに動き回っている手塚が笙子の顔を見ながら微笑む。

「そうだ……はい、今日の放送分です」

 手塚はそう言いMDを笙子に渡す、今日放送したものを録音したものだった。笙子はいつもこれを聞きながら自宅に帰る。

「ありがとう……じゃあ、あたしこの辺で」

 少し慌てた様子で笙子は投げ出してあった鞄を手にする。

「どうしたの? 今日はやけに慌てているみたいだけれど……ひょっとしてデートかい?」

 永井が冷やかすような目で笙子を見る。

「……な、何を根拠に?」

 少し頬を赤らめながらも動揺を隠しながら笙子は軽く永井を見る。

「……いつもより服装に気合が入っている……かな?」

 その横から浦岡が涼しい顔で笙子に言う。

 鋭い……この男知っているように言うから怖いのよね?

「ハハ、ま、まぁそんなところかしら? 笙子さんももてるのよぉ……たまにはね? って」

 笙子は苦笑いを浮かべながらスタッフを眺めると、みんな楽しそうな笑顔を浮かべている。

「あぁ〜、信用していないわねぇ」

 笙子はそう言いながらチラッと時計を見ると時間は刻一刻とメモにかかれて時間に近づいている。

「もぉ、じゃあお先!」

 笙子はそう言いながら転がり出るようにスタッフルームを出る。



=彼との再会=

「ウァー、もう着いている時間じゃないの!」

 こんな時にヒールなんて履いてくるんじゃなかった、走り難い。

 NorthWaveの入っている『新北海道ビル』から札幌駅までわずかだが、気持ちがせいている為なのか、気がつけばメモの時間を過ぎていた。

『お客様のお呼び出しをいたします……』

 雑踏が絶えない札幌駅西改札口にたどりつくと既に時間はメモの時間から五分が過ぎ、三々五々に散っていった観光客やビジネス客が散らばっている。

 どこ? どこに行ったの?

 笙子は改札に見知った顔がいないことを確認すると、慌てた様子であたりを見わたす、そこにいるのは仕事を終わらせたビジネスマンや、観光に来たのであろう仲の良さそうなグループが目に入るだけだった。

 たった五分よ? 何で日本の鉄道ってこんなに時間に正確なのかしら? もう少しルーズでもいいと思うけれど……それにしても……。

 笙子は足を止め、息を整えると再び辺りを見わたす。

「ハァ……どこに行ったの?」

 ガックリと肩を落としいていると肩を叩かれる。

「!」

 驚いた表情のままで笙子が振り向くとそこには……懐かしい彼の顔。

「……へへ、驚いた?」

 嬉しそうな笑顔を見せているその男性は笙子の顔を覗き込む。

「……」

 無言でいる笙子に対し、笑顔が引きつりだす彼。

「笙子……さん?」

 電話のスピーカー越しに聞いている彼の声が今Liveで聞こえている……そしてあたしの目の前にはまったく変わらないあなたの顔。胸の奥がキューンとせつなくなる感覚、その感覚がなんだか心地いい。

「……久しぶりね?」

 ふとした微笑を浮かべる笙子、それに対し彼は意表をつかれた様な表情を浮かべる。

「……驚かなかった?」

 つまらなそうな顔で彼が笙子の顔を見つめる。

「驚くわけないじゃない、着く時間だってわかっているのに……でも、お帰り」

 笙子はそう言いながらにっこりと彼に微笑む、その微笑みは心からのものだった。

「ウン、ただいま」

 彼はニッコリと微笑みながら笙子を見る。その顔は年下を感じさせないほど逞しくそして大人になった彼の笑顔だった。

「アハハ……さて行きましょうか?」

 何となく照れる笙子は彼のその横顔を見て充実していくような気持ちになりながら足を踏み出す。まだまだ雪の残る札幌の街に向かって。