生命と物質


 人間は多くの哺乳類や鳥類のような高等動物を「1」として認識します。それは高等動物は一種の自我を持つという以外に、個体を分割しても二つの個体にならないという特徴があるからです。例えば一匹の犬を分割して二匹になるということはありません。犬には心臓、肝臓、脳などの一つしかない重要臓器があり、全てが揃っていないと生命を保てません。例えば心臓が止まると血流が保てませんので、脳細胞はすぐに死んでしまいます。それから時間が経てば全身の細胞が死んでしまいます。このように哺乳類や鳥類のような高等動物は個体を分割することが出来ません。

 高等動物は個体単位で体内の環境を一定に保っています。これをホメオスタシスと呼んでいます。よく知られているのは体温です。体の温度を一定に保たないと、各臓器はまともに働かず高等動物は死んでしまいます。また全身に酸素を送り込むという必要があります。それには心臓が動いていて血管がしっかりしている必要があり、血流によって全身に酸素を供給することが出来ます。また血液中のグルコースも重要です。血糖が低下した状態が続くと、脳細胞は死んでしまいます。血糖は一定の範囲に保つ必要があり、高くても糖尿病になります。このように体内の環境を一定に保つことは生命の本質です。

 次は下等動物について考えます。プラナリアは原始的な扁形動物で、再生能力が高いことで知られています。頭、胴、尾の三つに分けると、三匹のプラナリアが再生します。さらに細かく切り分けても栄養条件さえ良ければ再生すると言われています。このような下等な動物になると、一つの個体を分割することが可能になってきますし、植物などは高等な植物でも株分けなどが可能です。植物や下等動物の場合、個体は最小単位ではありません。

 そこで個体に代わって分割不能な最小単位として考えられるのは一個の細胞です。動物や植物のような多細胞生物は、多くの細胞から構成されており、一個の細胞にまで分割できます。人間の細胞は単独では生きられませんが、条件を整えて培養すれば一定期間は生存させることは可能です。この場合は人工的に温度や酸素分圧などを保ち、培地や培養液も調整して、体内と同じような環境を作ります。そうすれば人間の細胞でも単独で生存できます。同じように他の多細胞生物の細胞も単独で培養可能です。また単細胞生物の場合は、一個の細胞単独でホメオスタシスを保ちます。

 ここで生物を生かしたままで分割することを考えます。単細胞生物の場合は、一個の細胞は独立して生存可能です。多細胞生物の細胞の場合、自然環境では単独で生存できない場合もありますが、条件を整えると一個の細胞を人工的に培養することは可能です。こうして生かしたままで生物を分割していくと、最終的には一個の細胞になります。これは共生している場合でも同じです。例えばミドリゾウリムシは、ゾウリムシとクロレラが共生したものですが、分割すれば一匹のゾウリムシと複数のクロレラになります。

 最終的に単離された細胞を無理に分割すると死んでしまいます。細胞は死んでしまうと二度と生き返りません。つまり細胞は分割不可能な生命の最小構成要素です。生命に分割不可能な最小単位があることは分かりました。同じような最小単位が物質にもあるのでしょうか。例えば最も硬いとされるダイヤモンドでも分割可能であって、分割しても原理的には再生可能です。炭素原子まで分解しても、炭素原子からダイヤモンドを合成できます。また炭素原子も素粒子に分解できます。物質はいくらでも分割出来るように思われますが、果たして物質に分割不能な最小単位はあるのでしょうか。

 古代ギリシャまでさかのぼって、人類の探求の歴史を見ていきます。紀元前5世紀頃にアブデラのデモクリトスは、原子を分割不能と考えました(1)。それは確かに簡単には分割できないという点で正解でした。例えば水素原子と酸素原子が結合して水が出来ますが、水を電気分解すれば水素と酸素が発生します。このように原子は簡単には変化せず、簡単に分解されることもありません。デモクリトスの原子論に基づく原子であれば、水素は分割不能であり、水素は変化せず、水素と水素はお互いに等しいとなり、プラトンの「1」としての性質を持っています。古代ギリシャでは、世界には分割不能な構成要素があるという考えが、かなり一般的だったようなので、デモクリトスも分割不能な原子を考えたのでしょう。

 19世紀までは、原子を分割不能とするのは正しい考えであり、原子論は優れた理論です。ところが20世紀になって、原子は電子と原子核から出来ていることが分かりました(2)。そこから量子力学が生まれ、原子核は陽子と中性子から出来ていることが解りました。当時は素粒子は世界を構成する基本粒子とされ、電子と陽子と中性子しか知られていませんでした。その後に核分裂という現象が発見されました。ウラン235の原子核は中性子が当たると核分裂を起こし、二つの原子核に分かれます。核分裂を利用して原子爆弾が作られました。同じ時期に湯川秀樹によって中間子が予言され、中間子は宇宙線の中から発見されました。その後に多くの種類の素粒子が発見され、今では素粒子はクォークから出来ていると考えられています。つまり原子は不変でも無く分割不能でも無いということが解りました。

 このような現象を解明する基礎になった量子力学によると、物質は波としての性質と粒子としての性質の両方を持っています。例えば光であれば、光には波長があり、波長により色が違いますし、プリズムによって屈折します。明らかに波としての性質を持っています。波はいくらでも分割可能です。例えば海の波を考えると、船や島のような障害物に当たれば二つに分かれます。分かれた波がまた障害物に当たれば、また分かれます。光は波としての性質を持っており、いくらでも分割可能なように見えます。ところが光電効果という現象が知られており、光は粒子としての性質を持っています。特に人間が光を見るには光電効果が必要です。赤、緑、青の三原色に対応した波長の光が光受容物質であるレチナールに当たります。光は光子としてレチナールに当たるので、レチナールの構造が変化し、結果的にそれぞれの色が認識されます。この場合の光子は分割不能な粒子でなければなりません。このように全ての素粒子は常に粒子と波の両方の性質を持っています。これはデモクリトスの原子論では考えられないことです。

 ここで電子について考えます。電子は基本粒子の一つと考えられています。しかしそれはデモクリトスの原子とはほど遠い物です。まず電子は波と粒子の二重の性質を持つので、電子は分割不能とは言い難く、不変でもありません。電子が不変でないことを説明する前に反物質について説明します。反物質という言葉は、どこかで聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。反物質は通常の素粒子と全く同じ物理的性質を持ち、電荷だけが反対の物質です。物質と反物質が出会うと対消滅してガンマ線を放出します。その時には全ての質量がエネルギーに変換されます。原子核を構成する陽子の反物質は、マイナスの電荷を持つ反陽子です。漫画やSFの世界ではよく知られている反陽子爆弾というものが製造出来れば、反陽子が原子核の中の陽子と反応して、それを全てエネルギーに変えるので、水爆よりも遙かに強力な兵器となります。また電子の反物質として、電子と全く同じ物理的性質を持ち、電荷だけがプラスの陽電子という粒子が知られています。電子と陽電子は対消滅してガンマ線を放出します。その逆の現象としては、エネルギーを受けて電子と陽電子が発生する対生成が知られています。そして驚くべきことに真空中でも対生成と対消滅が起こっているとされます。基本粒子が何もないところから生じたり、基本粒子が消滅したりする。そのようなことはデモクリトスの原子論における原子にはあり得ません。そう考えると「1」としての性質を持つのは生命しかないことが解ります。

 第一に全ての細胞は多くの特徴を共有しており、単一の細胞の子孫と考えられています。現に生物界の主要な3つのドメイン、細菌、古細菌、真核生物は239の遺伝子ファミリーを共有しています。これらの遺伝子は生存と遺伝子の複製に関わります。生命の基本的な特徴は、生き延びようとすること、子孫を残そうとすることであって、この二つの特徴は全ての生命が共有します。そのような特徴を持つものは他にないので、その意味では生命と生命はお互いに等しいと考えられます。第二に細胞を外から無理に分割すると、細胞は分割されて一部を失っても生存すれば、自己修復しようとします。ところが分割されて細胞が死んでしまうと修復されません。その場合には細胞は分解されてしまいます。このように考えると、細胞には生命を持っている状態か、生命を失った状態しかなく、一個の生命そのものは分割不能です。第三に細胞は常にDNAを修復して維持おり、遺伝情報を一定に保っています。その意味では細胞は不変です。こうして考えると細胞を単位とした生命はプラトンの三原則を満たしており、生命こそが「1」の原型と考えられます。

参考文献
(1) 板倉聖宣:原子論の歴史ー誕生・勝利・追放ー,仮説社(2004)
(2) スティーブン・ワインバーグ:電子と原子核の発見,本間三郎訳,ちくま学芸文庫(2006)

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