大潟村日記

 
    
ひ と

      
   大潟村に夢を抱いて入植した人たち。村は数年後に創立50年を
   迎えます。多才な人たちの横顔を紹介していきます。
    



 アマゾンにかけた夢  小林 功 さん


 




















   小林さんは昭和16年10月1日、今の新潟県新発田市の農家に、8人兄弟の5人目として生まれ、農家としてコメ作りをする父親の背中を見ながら育ちました。

 将来は農業をやりたいと思いながらも、3男坊としては難しい時代。それならばブラジルに渡り、思い切り農業をしたいと考えるようになりました。そして戦前から開拓に従事した日系人に関しての知識を広げ、広大な土地を有するブラジルで農業経営をする夢を持ちました。その夢は、中学時代の文集にも書き残されていたほどです。
 そのため高校は普通高校に進学し、東京農業大学へ入学しました。大学で教職を専攻したことを知った父親が、それまでとは打って変わって「ブラジル行きは絶対ダメだ」と言い始めました。どうしても反対する父親を説得できないまま、小林さんはブラジル行きを断念し、大学を卒業。故郷に近い越後湯沢の町立中学校で教職に就くことになりました。

 さすがにご本人の口からは出ませんでしたが、奥さんの政子さんが「今なら懲戒免職モノですよ。教職に就いた動機が『先生デモするか、先生シカなれない』のデモ、シカ先生だったの。何しろバイクを運転中に転倒して絆創膏だらけ。おまけに新任の先生やPTAの方が居並ぶ新任式の席で、ポカポカして気持ちが良くなり椅子から転倒したらしい」と笑いながら話してくれました。小林さんは内心「早くクビにしてくれないかな」と願っていたようでした。

 後年、小林さんは父親に「何故、自分がブラジルに行くことに反対したのか」とただした事がありました。それによれば、父親が新発田の農業学校時代、忘れられない理想的な先生との出会いがあったようです。小林さんが教職を選択したことを知った父親は、「是非そんな先生になって欲しい。ブラジルに渡ってもどうなるかはわからない。日本に帰ってくることもないだろう」との理由で反対した」と話したそうです。


 ちょうどこの頃、すでに第1次入植者として大潟村へ入植していた兄から、「大潟村入植者募集」の知らせを聞きました。小林さんの「農業への夢」は断ちがたく、八郎潟干拓によって誕生した大潟村への入植を「真剣に考えなければ!」と思うようになりました。農業への夢を実現するため、4年間にわたって懸命に父親を説得し続けました。さすがに父親も初めて農業への転身を認めました。その結果、昭和43年小林さんは第3次入植者として「入植者訓練所」に入所、1年間の訓練を受けて営農を始めました。入植に際しては結婚が条件でしたから、紹介で知り合った政子夫人と結婚、家庭を持ちました。

 大潟村入植後もブラジルでの農業に対する夢は消えていません。小さい頃からのあこがれを冷静に見たいと、東京農大OBや現地秋田県人会を通じ、10年前、6年前と2度にわたり、農業視察を目的としたブラジル行きに参加しました。酸性雨や温暖化の原因にもなっている木材の伐採が進む現地では、熱帯雨林の消滅防止の為の植林事業にも参加しました。アマゾンでの農業経営に成功し、東京農大時代の同期生でもある長坂優氏たちと通称「アマゾン会」を結成し、小林さんは今でもこの事業の活動を継続しています。

 教職に携わっていた経験が評価され、大潟村で教育委員を務めていた小林さんは、大潟村幼稚園の園長に推されて定年まで勤めました。「うちの父さん、あの当時のテレビドラマの先生のように人気があったの」と政子夫人。小林さんの教え子たちがこれからの村を支えていくのでしょう。

 小林さんは又、村では「キノコ採り名人」とも言われています。子供の頃から母親に連れられてよくキノコ採りに。そのためキノコに興味を持ちました。キノコに詳しい人から指導を受け、自分でも勉強をしました。若い頃にはマツタケを追い求めたこともあったようですが、現在は山に行かなくても、キクラゲなどはむしろ大潟村の中でも収穫が可能だと言います。

 私が所属する「歩くスキーの会」の会長が小林さんです。新潟で4年間教職についていた頃、冬場は体育の正課やクラブ活動でノルディック・スキーの顧問や世話役をしていました。大潟村に入植当時、「歩くスキーの会」はスキークラブに属していましたが、現在は「大潟村歩くスキーの会」として独立しました。

 いつのころからか明確ではありませんが、小林さんヒョウタンを育てています。「角がなく、丸くて輪になる」と、すっかりヒョウタンに魅せられ、色々なヒョウタンを栽培、加工してきました。長年にわたって収穫してきたヒョウタンがたくさんあり、最近は栽培を少し見合わせています。

 車庫の2階が「自然塾・小林工房」です。ここは小林さんだけのプライベート空間。工夫を凝らして作ってきた色々な品がところせましと並べられ、足の踏み場もないほどです。小林さんはここで、自然にある粗材を生かした独自のオブジェ作りを楽しんでいます。政子夫人でも立ち入らないこの「工房」で、自由に作品を創造し、それらを眺めながら好きな煙草を楽しみ、時には酒を飲み、悠々と日々の生活を楽しんでいます。

 若い頃に抱いた人生設計を、従事する場所は違っていても実現に向けて努力をし、積極的に活動をする小林功さん。自信に満ちたこの笑顔と、刻まれた深い皺に入植者世代の人生の片鱗を垣間見る思いがしました。