土佐の国・高知   (24番〜39番) 

    12日目(3/8) 26日目(3/22)15日間

海部町・南の方の旅館  〜  佐喜浜町・民宿ロッジ尾崎
第12日目 3月 8日(月)

遍路は道中が我慢の旅、修行の旅と言われる。お遍路に関する書籍はいろいろ出ているが、宿泊所利用のアドバイスの項で、いびき・歯ぎしり・近隣の騒音・食事の好み・寝具の不備・接遇・相部屋などは、我慢することが修行であると、書かれていいるのがある。

「しんどい目をしているんじゃないか、こんなことで腹を立ててどうする。今は我慢のとき。」

と考えて、不平不満の愚痴やこぼしをこらえて、出発しましょうと指摘しているが、言葉足らずと言うか、味噌も糞も一緒にしていると私は思う。

いびき・歯ぎしり・近隣の騒音・食事の好み・相部屋などは、その通りと思うが、寝具の不備(寝具をそなえていない?)・接遇などは、営利行為として旅館・民宿業しているのだから、具備されているのは当然のことで、その質を向上させる努力を惜しまないのが、経営の必須と考える。

民宿・旅館業としての怠慢・意識の欠落を、お遍路と言う名のお客に、修行の美名に問題をすり替えて、見て見ない振りして我慢して、お立ち下さいと言うことになりかねない。

人間は完全ではない、だから努力をし修行もするのである。
そして、完全なる全知全能の仏神を求め望むのだと思う。

バブル経済が終息後の有名観光地のホテル・旅館は、より一層のサービスと価格の引き下げ努力を実行している。
建物設備(部屋・風呂・トイレ)、料理の質量などの内容が、価格に反映されるものだが、これらと比べると、遍路宿・民宿の平均6、500円は、けして安いとは言えない。

大乗仏教の教えは、得心できない部分が多いが、初期仏教で我執を離れると言うことの一つに、人間関係で他人との対立・闘争から離れようとすると、おのずと他人に対する暖かい共感や同情心が現れ、さまざまな美徳・品性が湧いてくると言う。
そしてその諸々の美徳の究極が、慈悲であるとしている。

慈悲は国語辞典では、「なさけ・あわれみ・いつくしみ」「楽を与え苦を除くこと」とある。

「慈」はサンスクリット語でマイトリーと言い、「真実の友情・親愛の情」の意味で、小乗仏教では与楽(よらく)と解釈されている。

「悲」はカルナーと言い、「同情・哀憐」の意味で、抜苦(ばっく)と解釈される。
慈悲と言うのは、ただ甘やかしたり、盲愛することではなく、慈しみの故に親族といえども、詰問し叱責しなければいけないとされている。

四国に来てから、ほとんどの宿のご飯が、軟いと感じていた。
それは、お遍路さんはお年寄りが多く、歯にも胃腸にもやさしい軟いご飯で、気配りをしているのだと思っていた。
しかしそれは、私の勝手な思い過ごしであった。

徳島市・高知市・松山市・高松市内の旅館・ホテル・レストラン・食堂でのご飯の炊き方は、まともであったが、この地域以外は押し並べて、軟すぎかベチャご飯であった。
まともなご飯とは、適当に空気が入って米粒の壊れがない、オニギリが握れるご飯である。

南の方の旅館の夕食のご飯は、ベチャご飯と言うより、硬めのお粥のようで、とてもまいりました。

南の方の旅館のご亭主に遠慮しながら
「ご飯の炊き方、すこし軟すぎたのでは」
と尋ねると

「炊飯器で炊いているから、これが普通だ」
と、お客の意見に耳をむけず、自己中の言動である。

「明日の朝食ですが、ご飯のところをパンに、替えること出来ないでしょうか」
「それは出来ません」
取り付く島もありません。

流れで
「明日の朝食、私は遠慮します。いりません」

私にはご飯に対して、特別の思いがある。
その一つは子供の頃に、白いご飯をお腹一杯食べたかったと言うものである。
終戦後の食糧難の時の記憶である。

二つ目は、北海道一番の繁華街はススキノであり、そこで生まれ育ったのである。
私が独身貴族として遊んだ20代に、300m四方のススキノ地区の割烹・クラブ・キャバレイ・スタンドバー・スナックを含め、飲食店の数3,000軒と言われていた。
その一角に私の実家があり、飲食関係の店をしていたので、シャリについては子供のときから触れていたので、意識は低くはないからである。

あれやこれやで朝食抜きで、7:00南のほうの旅館を出る。
妻はJRと路線バスを乗り継ぎ、足を気遣いながらゆっくり行くと言う。
室戸佐喜浜(さきはま)町の民宿まで、34kmが今日の歩行距離だ。

JR海部駅を右前方に見ながら、左折して国道55に出る。
30分歩いたところで建設省が設置した石標があり、23番薬王寺へ43km、24番最御崎寺へ47kmと記されている。
47kmは北海道では、札幌から小樽を越えて、祝津までの距離にあたる。

室戸岬が終着ならば、遠く長い距離に思うだろうが、室戸は通過点でそのさき1000kmを歩かねばならない。
47kmが遠い距離とか、大変だと言う意識は起きない。
ただ今日も無理せずに、元気に歩くことだ。
 

海部町を出て1時間少々で、国道55沿いにめずらしくコンビニがあった。
朝食の替わりにあんパンと牛乳を買うと、お店のおばあさんは、南のほうの旅館のことを

「昔は良かったですがね。近頃はどうもねエ―」
と同情してくれたが、お遍路さんにとっては、泊まってみて初めて判るもので、宿の選定は宝くじを買うようなものである。

水床(みとこ)トンネル手前のパーキングエリアで、美しい太平洋を眺めながら、あんパンと牛乳で朝食する。

歩道の取り付け工事をしている、水床トンネルを抜けると、すでに高知県土佐の国である。

 歩道の取付工事

阿波の国を完歩完了した。
やりとげたと言う達成感に足も軽くなる。

土佐藩が参勤交代で船出をした港が、甲浦(かんのうら)で、現在は高知県東洋町と言う。
この旧宿場町に入る手前の国道55で、露天を開いていた二人のおばあちゃんから、土佐文旦のお接待をうける。
私は日ごろこの世に、果物は無くてもよいものと思っていたが、文旦の素晴らしさは、果物が苦手な私でも判った。

東洋町役場近くで、喫茶店らしきお店があったので、一休みをしてコーヒーを飲む。

相間トンネルを過ぎると15分程で、前方に真言密教独特の「南無大師遍照金剛」と宝号が書かれた、赤い幡が見えてくるが、東洋大師・明徳寺である。
番外霊場になっているので納経・読経をする。
納経帳に朱印と思ったが、留守のようなので堂を後にする。

東洋大師の野根(のね)漁港から、佐喜浜(さきはま)の港まで14kmの間は、仏海(ぶつかい)上人の墓と庵があるだけで他には何も無い。
国道55だがこの辺は1時間歩いても、出会う車は1〜2台である。もちろん人間様にはお会い出来ない。

国道のすぐ左は太平洋で、片側1車線の55号線は、南の室戸岬に向かっている。
前も後ろも見渡すかぎり、視界の中には車は無い、人も居ない、民家も無い、青いと歩道の無い一本の国道、そして同行二人、お大師と私だけである。
 
          
      前方左の室戸岬へ            国道55号

佐喜浜の港集落は、30分の歩行で通過したが、子供達が路地でバスケットをして遊んでいる。
50年前の札幌の風景が思い出される様な、どこか懐かしい昔の雰囲気を漂わせるので、スナップ写真を撮った。
その理由と了解を得る為に声をかけと、明るく笑顔で応接してくれた。

佐喜浜の港集落を抜けてから20分で、今日の宿・民宿ロッヂおざきに16:15到着する。
電車とバスを乗り継いで来ている妻は、元気で先着している。
お互い元気な姿を見て安心する。


                  3月 8日(月)の行程


海部町みなみ旅館7:00……11:45東洋大師11:50……15:25佐喜浜15:55

……16:15民宿ロッジおざき

歩行距離  3 5 km、    
巡拝札所  番外札所東洋大師・明徳寺
宿泊旅館  民宿ロッジおざき
宿泊者   私達夫婦・名古屋の矢野さん・お遍路さん3名





佐喜浜町・民宿ロッジ尾崎 〜 24番・25番・26番 〜金剛頂寺
第13日目 3月 9日(火)

今日は室戸岬の南端まで20kmを歩き、すこし戻って24番札所を打ち、この時の体調で何処まで行けるか、そして宿を何処にするかを決めることにする。

室戸岬は観光地だろうから、売店かレストランで妻と待ち合わせすることにして、私は8:00に民宿を出る。

今日も天気は快晴で気持ちが良い。
2km歩いた所に夫婦岩があり、しめ縄が張られ祀られている。
今日は気温が上がりそうなので、長シャツとズボン下の下着を脱ぐことにする。

民宿を出て1時間が過ぎた。
振り返ると路線バスが来る、あっと言う間に抜いて行く。足を痛めている妻が乗っている。

三津の集落では、後ろから軽四が寄って来て、頑張って下さいと言いながら、飴とお菓子を一握り、私の手の中に入れてくれる。
中年のご夫婦で、自分達のおやつを接待されたと思う。

お接待にはお菓子、果物、お茶・コーヒー、携帯食品、お金等々がある。
お遍路さんは、同行二人と記された白衣、菅笠を身に付けいるから、お大師さんと一緒と言う観念で施与してくれる。

お接待の目的は

1.お遍路さんを大師と見立て、お大師さんへの布施。

2.自分は出来ないので、代わりにお参りし、結願してください。

3.先祖や親類の供養を、お遍路さんに託す。

4.お遍路さんへの慰労。

と私は理解している。

        
      夫婦岩                お菓子の接待

24番札所まであと2kmの御蔵洞(みくろど)の手前に、白亜の得体の知れない空海風の巨大像が、室戸青年大師と称して建立してある。
蔑視以外の感情が起きず通過する。

後日調べると真言宗豊山派が、近年に創作したとのこ。

11:35空海が求聞持法(ぐもんじほう)を修行したと言う御蔵洞(みくらどう)を見学する。
洞穴から外を見ると、空と海しか見えない。まさしく空海である。

岬の先端に行く途中の右手に、24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)への登り口がある。
24番札所を打った後は、紀伊水道から反対の西側土佐湾に下るので、先に室戸岬と中岡慎太郎像を見学。
そこで妻と11:55再会し食堂で昼食をする。

登り口から標高差150mを30分で仁王門に着く。
土佐の国最初の札所で、ここから土佐の巡礼が始まると思うと、新たな気持ちになる。

24番札所・最御崎寺は、嵯峨天皇の勅願に始まり、歴代の天皇の崇敬を受け、特に足利尊氏は土佐の安国寺に定めていたと言う
また江戸時代は、藩主山内家の祈願所として栄えたと言う。
四国88ヶ寺中でも屈指の寺である。

それだけに納経所の応対の悪さが残念である。

それは納経帳に書かれる本尊が読めないので、記帳してくれた方に訊ねると、面倒なことを言うなと顔と身体に不快感を込めて、無言のにらみのようであった。

土地の人に道を尋ねても、親切に教えていただけるのに、仏門にある者が何たることだろう。
さらに言えば納経帳への記帳と朱印には、300円を支払っているのである。
後で判ったことだが、24番札所・最御崎寺の宿坊は、ユースホステルを兼ねていたのである。
24番札所の関係者は、仏に帰依するのではなく、金品財物に帰依しているように思われる。

25番・津照寺(しんしょうじ)まで6.8kmで1時間50分が、平均所要時間と言う。
距離・時間とも、ちょうど一歩きの範囲だ。

最御崎寺の駐車所から、室戸スカイラインを下る。
自動車道であるが、車はほとんど通らないから歩きやすい。
ヘアピンカーブを何回かこえて、海岸へ降りていく。
北海道の海の色は濃く暗いが、土佐の海は明るく青い。
素晴らしい海岸線が展開している。

お遍路の古道は国道の手前の道だが、遍路マークを見落として、一気に海岸線の国道55に出てしまった。

         
    スカイライン         24番・最御崎寺山門

14:00に24番札所を出発し、いい感じで歩けたので1時間15分で、25番津照寺の山門に到着できた。

山門から本堂へは、124段の急な石段を登るが、ここまで歩いてきたお遍路には、これくらいでは呼吸や脈拍に乱れは無く、全く気にならない。一気に登りきる。

本堂には24番札所・最御崎寺からタクシーを利用した、妻が私を待っていた。
二人揃って本堂と大師堂に納経・読経する。

名古屋の矢野さんに、大師堂で再会する。
矢野さんは足の具合が良くないので、ここ室戸市内に宿を見つけ、身体を休めると言う。
時間は午後3時半を回ったところだ。
私達は携帯電話で確認すると、26番の宿坊は空いていたのでお願いする。

26番・金剛頂寺(こんごうちょうじ)まで4kmだが、山道もあり平均所要時間は、1時間20分とされている。
26番を打ち終えても、納経帳への朱印時間に、間に合うか確信が持てない。
17時を1分過ぎても駄目で、翌朝まで待つことになる。
私達の遍路はスタンプラリーではないし、何日までにこうしなければならないと言うものが無いので、早朝の出発や日没強行の日程は取らない。

今回のお遍路の目的の第一は、88ヶ所を巡礼し大窪寺まで、完歩することである。

25番津照寺の山門を15:45に離れる。
今日はすでに山道を含めて、23kmを歩いている。足は今のところは大丈夫だ。
足に痛みを感じた時は、すでに遅いので、摩擦感や圧迫感があれば、すぐに手当てをする。
私達は毎朝出発前に、豆の出来そうな所や、擦過傷に成りやすい個所と筋に、保護のテーピングしている。
ニチバンのスポーツ用固定タイプは、多孔で蒸れ防止の工夫がされているので、お奨めの一品である。

      
    25番・津照寺       26番・金剛頂寺山門

今日の区切りとしては、26番・金剛頂寺(こんごうちょうじ)に5時前に着いて、納経を済ませたい。
足への負担を掛けないで、壊さないで速く歩くには、登り下り平地それぞれリズムで歩くことだ。
すでにここまで足を酷使しているが、壊れないで頑張っている。

一般参詣者は、何度か休息を入れる、厄除けの厄坂の石段を一気に登り、16:40に大きな草鞋がある山門に入る。
足を痛めている妻は、タクシーで先着していた。

26番金剛頂寺は、土佐藩山内家の祈願所となり、土佐藩の帰依を受けて、全盛期には今の室戸市の大部分にあたる、3500石を領有していたと言う。

妻と揃って本堂と大師堂に納経・読経を終え朱印を戴き、17:10金剛頂寺の宿坊に入る。
宿坊の宿泊者は、私達が先着一番のようだ。
お風呂は男女別で立派な大理石造りである。
風呂は若い僧の担当のようだが、準備が出来ていないので、私達でお湯を入れて入浴する。

宿坊は鉄筋コンクリート造り、立派な宿泊設備であり、お部屋は観光地の和風ホテルのようだ。
夕食は接客を知らない、近所のパートのおばさん達が、お世話するようだ。
100名近く入る大食堂である。宗教的味わいは感じられない。

                  3月 9日(火)の行程

民宿ロッヂおざき8:00……11:45室戸岬…11:55(昼食)…13:15最御崎寺13:55……

15:15津照寺15:45……16:45金剛頂寺…17:10金剛頂寺宿坊 


歩行距離   2 8 km    
巡拝札所  24番最御崎時・25番津照寺・26番金剛頂寺
宿泊旅館    金剛頂寺宿坊
宿泊者     私達夫婦 団体お遍路さん30





金剛頂寺・宿坊  〜  安田町民宿・浜吉屋
第14日目 3月10日(水)

土佐の国は、札所から札所への道のりが長い。遥かな次の札所を目指して、海岸線を歩き続ける日々が繰り返される。

足の土踏まずの筋肉が痛い、疲労痛である。
今日も足首から土踏まずと指を、丁寧にテーピングで筋肉を保護して、7:30出発。
今日も天気は快晴だ。

26番から27番・神峯寺(こうのみねじ)まで31kmは、土佐の浜街道を、ひたすら北上することになる。
はなから今日は、神峯寺を打つことを計画せず、4km手前の民宿・浜吉屋に、たどり着くことのみを目標にする。

登山を趣味とする私達にとって、歩くことは苦にならない。
しかし山道や登山道や高低差のある林道なら嬉しいが、アスファルトの道はいけません。
国道になると完全に閉口します。

今日の行程27kmは、ほとんどが国道55を歩くことになる。
妻の足の様子を見ながら、金剛頂寺から下山する。

金剛頂寺から下山し、27番札所に向かうには、山側の車道を歩いて吉良川の手前に出るルート。
西に一直線に海岸に下って吉良川に向かうルート。
同じく西に下り遠回りになるが、大師ゆかりの不動岩経由して、吉良川に向かうルートの3本がある

私達はへんろ道を確認せず、安易に昨日来た道を下り下山したので、(もと)の海岸に出てしまった。

逆戻りに歩いたことになり、1時間半の無駄をしてしまった。

行当(ぎょうとう)岬をぐるりと回った平尾で、妻は路線バスに乗り、浜吉屋のある安田町に向かうことにする。
バスが来るまで妻はバス停に残り、8:50に別れる。

   平尾のバス停

土佐の国道55は、大部分がへんろ道と重なっている。
町並みや集落が見えてきたら、国道を離れ旧道を歩くと、伝統的な家並みや、土佐漆喰の蔵を持った商家が観られる。
単調な国道歩きの中で、これらの美しい建物は、気持ちを和ましてくれる。
旧道は国道と並列しているので、道に迷うことはない。

羽根岬の手前で、民家など何も無い国道の脇に、200m位の長い工場らしき建物が見えてきた。
近づくと、魚の豊富な北海道でも、高級魚のヒラメの養殖工場なので驚きである。

食堂がないので、吉良川の旧道を歩いた時に、雑貨店で買っておいたあんパンと牛乳で、国道に並行している防潮堤に座って、土佐の海・太平洋を眺望しながら昼食にする。

26番金剛頂寺の宿坊を出てからお昼まで、お遍路さんに一人も出会わない。
団体のお遍路さん達は、ガイドさん付きのバスで、すでに高知市に入っているのだろう。

自動車でのお遍路と歩きお遍路は、次元が異なり比べるものではないが、自動車なら1時間弱で着くところを、歩き遍路は一生懸命歩いても、一日では到達できない。

美しい土佐の海、はるか対岸には四万十川、そして足摺岬を想像して、羽根岬を国道に沿って歩いた為、またもや間違って1.5km遠回りしていた。
13:00防波堤がペイントで綺麗に描かれている、加領郷(かりょうごう)の港を通過。

     
      加領郷の港

土佐勤王党を結成した、武市半平太ゆかりの奈半利(なはり)町を、15:20通過し田野町に入る。

田野町は40分で通過した狭い町だが、お遍路道は旧道の町並みを通り、その両側に製材工場とその関係が、軒を連ねている。
木材は安い杉材がほとんどのようだ。

木材工場を過ぎて、5分位歩くと安田川を渡る。
そこは鰹とマグロで繁栄している安田町で、水切り瓦を使用した、土佐漆喰の重厚な家が、町並みを作っている。
また土佐鶴と言う酒造会社があり、地域の住民が引き立てて、永続している地酒なのだろう。
地元の老舗が、消えていく近年にあって、素晴らしいことだ。後日、札幌で土佐鶴を探すと、酒店で簡単に見つけることができた。

安田町の家並みを過ぎて10分歩くと、民宿・浜吉屋にたどり着いた。
今日は27kmの歩行距離の予定だったが、路順の選び方を間違い8kmの遠道をして、35km以上を歩いてしまった。

16:30民宿・浜吉屋に到着。よく歩きました。足を褒め、自分を少し褒めました。

                           3月10日(水)  

金剛頂寺7:30…8:50平尾…9:40道の駅キラ……13:00加領郷の港……15:00奈半利

……16:30民宿・浜吉屋 


歩行距離  3 5 km    
巡拝札所   ナシ
宿泊旅館  民宿・浜吉屋
宿泊者     私達夫婦 一般客4名





安田町民宿・浜吉屋  〜 27番 〜  安芸市
第15日目 3月11日(木)

6:00に朝食をする。神峯寺を打った後お遍路道は、再び同じ道を戻るので、荷物は浜吉屋に預けて7:30に発つ。
27番・神峯寺(こうのみねじ)は、標高630mの神峯山の山頂近くに建っている。浜吉屋は海岸に近いので、
神峯寺までの標高差は、600m以上になる。
札幌の藻岩山に100mプラスと想像すればよい。土佐の関所寺とも言われる。

浜吉屋を出て山に向かって10分程歩くと、土佐くろしお電鉄ごめん・なはり線の高架橋が見えてくる。
この高架橋をくぐると、すぐに神峯寺の入り口となり、大きな鳥居と石の道標がある。ここから遍路道は、山へと登り始める。

静かな棚田の脇の坂を登ると、「()(たて)」と言われる急勾配の坂道の手前に、東屋があり椿の花が、お遍路さんを迎えてくれる。
土佐湾を眺めながら一息入れるのに、好都合の場所である。

      
       真つ縦

車1台がやっと通れるような、狭い山道だからバスは通れない。
団体遍路さんは、神峯山の麓から標高差400mを、バスからタクシーに乗り替えて、往復している。

仁王門の手前にほとんど一緒に、神峯神社の鳥居が並んで建っている。
神仏習合のなかで、維新革命に成功した明治政府は、祭政一致の方針の下に、神社から仏教的要素を払拭することを命じた。

江戸時代以来の檀家制度・寺請制度の、強力な相互依存と領民支配権を奪取した、神仏分離令や廃仏運動の名残である。

 
左に神峯寺の山門・右に神峯神社の鳥居

曽我稲目の仏教の信奉に対して、反対の立場の物部尾輿は「蕃神(となりぐにのかみ)を拝めば、きっと国神(くにつかみ)がお怒りになるでしょう」と欽明天皇に答えたと言う。

神仏習合思想は、氏族社会の氏族間抗争の背景のなかで、多くの神が守護として、各地に神宮寺(じんぐうじ)が建てられていた。

最澄の天台宗と空海の真言宗の平安仏教は、神仏習合の思潮の中で、成立したと言われている。

最澄は渡唐のおりに、宇佐八幡に詣で、神宮寺で法華経を講じている。
また延暦寺の創建には、大比叡・小比叡の神に、その守護を祈っていると言う。

空海は高野山を開くのに、丹生(にう)明神の宣託を得、稲荷神を東寺の守護としていると言う。
これらニ宗はどの仏も、菩薩や神を眷属として持ち、勢力の拡大とともに、神仏習合を進めていく。

9:40山門に到着。
仁王門から本堂まで、150段の急な石段の脇には、日本庭園がお遍路さんの、疲れを癒してくれる。

       
     本堂への石段            神峯の水

山中のお寺は、神峯山の斜面に堂宇を建て、境内が数層に分かれているが、調和のある伽藍が作られている。
ここ神峯寺の堂宇に映える、紅梅はすばらしい。

妻の足は、かなり良くなっているようだが、安心は出来ない。
大事をとって下りは、タクシーで浜吉屋にもどる。

預けていた荷物を受け取り、浜吉屋を11:10に発つ。
妻は今日の宿・安芸市のビジネスホテル弁長に、路線バスで行く。
いつものように、私は妻を残して先発する。

1時間歩いた12時過ぎに、妻が乗ったバスは、一瞬のうちに私を抜いて去っていく。
安芸市の弁長まで約10kmである。昼食と小休止の時間を含めて3時間を想定すると、安芸市の弁長に到着は午後2時半頃になる予定である。


13:50ビジネスホテル弁長に、予定より40分早く到着する。
先着している妻と安着のコーヒーを飲み、白衣・菅笠をはずして市内観光に出る。

安芸市は人口2万人で、戦国時代に長宋我部元親(しょうそかべもとちか)に敗れた、安芸国虎(あきくにとら)の領地である。
ただ素通りしてしまうには惜しいので、安芸市を宿泊地にした。

安芸城跡・民俗資料館・書道美術館・武家屋敷・野良時計と、安芸出身で「叱られて」「浜千鳥」「春よ来い」などの童謡唱歌を残している、作曲家弘田龍太郎の歌碑など、歴史的な町並みを観光する。

   大きな石の本

17:45宿に戻り夕食にする。
お遍路の第1泊目の旅館で焼肉が出たが、それ以来、肉らしきものを食べていないのでステーキにする。

歩き遍路は相当汗をかく。初めの頃は二替わり分の下着を持っていたが、荷物になるので送り返し、一替わりを毎日洗濯をする。
7m位の細い紐を部屋に張り、洗濯物を干す。
超撥水繊維だから、朝には乾いている。

                 3月11日(木)の行程

民宿・浜吉屋7:30……9:40神峯寺山門……11:10民宿・浜吉屋……13:50BH弁長

歩行距離   14 km    
巡拝札所   27番神峯寺
宿泊旅館    ビジネスホテル弁長
宿泊者     私達夫婦 一般客5名




安芸市  〜 28番 〜  野市町民宿・きらく
第16日目 3月12日(金)

当たり前のことですが、安芸市で昨日楽しく観光した分、次の札所までの道のりが、先に進んでいない。
当たり前かつ当然の道理が、お遍路では明示してくれ体験する。

安芸市から28番・大日寺(だいにちじ)まで25kmある。あと5km頑張ったとしても、30kmの歩行距離が、私達の一日の歩く目安である。

へんろみち保存協会や手元にある資料では、28番・大日寺の周辺には宿が無いし、その先にも宿らしきものが無い。

やっと28番札所まで来た、歩きお遍路さんの宿について、お寺では何かの知恵を、持っているだろうと予想して、大日寺に直接電話で相談する。大日寺の門前の「喫茶きらく」が、民宿をしていると教えてくれる。
昨日のうちに予約してある。

弁長はビジネスホテルだが、接客が丁寧である。
その気配りは言葉だけに終わらない。気持ちの良い朝食を済ませ8:00に弁長を出る。
今日は朝から天気は悪い。
国道55号を西へ向かって歩く。

酒屋さんのガラス戸に、阪神タイガースの虎のポスターが貼られている。
野球に興味を持たない私には、ビールの宣伝ポスターにしか思えない。
「ようこそタイガースタウン安芸へ」と書かれた、電柱が現われても気が付かない。

安芸市営球場・球場前駅へ40mとの、大きな道路標識が出てきて、高知県安芸市が阪神タイガースのキャンプ地と気が付く。

コンビニがあったので、非常食兼昼食用のあんパンと牛乳を購入しておく。

        
                      自転車専用道路

ビジネスホテル弁長を出て1時間が過ぎて、国道と分かれる。
国道55号に並行して、海岸側に自転車専用道路が設けられている。
完全舗装なので、足には国道と同じだが、安全で迷うことが無いので、歩き遍路には有難い。

この自転車専用道路は、土佐電鉄の廃線跡を利用したもので、14kmにわたって続く。

天気が悪いせいか、自転車専用道路を1時間半歩いているが、誰にも会わない。
10:30ついに雨になり、雨合羽と雨天用のゴアの軽登山靴に履き替える。

芸西(げいせい)村の手前の赤野からは、自転車専用道路が狭くなるが、道路脇には真っ赤な椿が、雨天で沈んだ私の気持ちを、和らげてくれる。

         
        雨の椿            琴ヶ浜の遍路みち

芸西村では、風が吹いた時に聞こえる音が、琴を奏でる音色に似ていることから、琴ヶ浜の名前が付いたと言われる。琴ヶ浜の松原がお遍路の古道である。
またこの琴ヶ浜の砂浜は、海亀の産卵地帯である。

夜須(やす)町の手前で、遍路道が国道55号と合流する地点に、めずらしくレストランを見つける。
朝、安芸市のコンビニで買った、あんパンと牛乳があるが、これは食堂が無い時の非常食である。

昼食には少し時間は早いが、迷わずレストランで昼食にする。

12:30夜須町に入るが、雨は止まない。
この辺の国道55は歩道が無く、交通量も多く危険を感じる。
バスやトラックは、すれちがう度に、風としぶきを掛けていく。

ハイスピードでしぶきを上げながら、迫ってくる車の場合は、立ち止まりやり過ごす。
朝からの雨だが寒くはない。

 跳ね橋

夜須町に入って1時間歩いているが、お遍路マークが見あたらない。
雨天も災いしたのか、見落としたのだろう。
太陽が出ていないので、方角が判らない。

不安になり何度も、28番大日寺への道を尋ねる。

14:15野市町に入るが、私の頭の羅針盤は狂い、歩きに自信がないから速度も落ちる。
そのうえ雨天であるからなお更である。
コンパスを持っているが、ザックから出す気力が起きない。

妻は安芸市から電車とバスを乗り継いで、民宿「喫茶きらく」に向かっているに違いない。

15:10民宿喫茶きらくに到着。
荷物を置いて、先着している妻と28番・大日寺へ向かう。

大日寺は県道22号線沿いにあるが、小高い丘にあり、山寺のような雰囲気を持っている。

    
     28番・大日寺山門

石段の途中に構える山門をくぐると、正面に本堂、右手に大師堂がある。
境内には、人の背丈以上ある見事な「雪柳」が、雨に濡れて踊っている。

本堂・大師堂で札を納め納経と読経を済ませ16:00山門を出る。

16:05民宿喫茶きらくに戻る。

27番神峯寺から、ここ28番大日寺までは、迷わずに順調に歩いたとしても40qの道のりがある。
足に自信のある若いお遍路さんや、早足のお遍路さんなら、一日で完歩出来るだろうが、27番と28番の二つの札所を打つことは、私達には難しいので、途中の安芸市で一泊した

「民宿喫茶きらく」は、28番大日寺の山門前300bの、絶好の場所にあるので、早朝の早打ちにも都合が良く、お勧めの宿。若く素敵な女将は、お遍路さんを温かく迎えてくれる。
きらくは1階が喫茶店と自宅で、2階がワンルームの賃貸として、今年建てられた木造住宅のようである。
その中の一部屋が、私達の今日の泊まり宿である。
トイレが水洗で、清潔なのが嬉しい。



                3月12日(金)の行程

BH弁長8:00……11:00琴ヶ浜……12:30夜須町……14:15野市町……15:35大日寺

16:00……16:05民宿喫茶きらく

歩行距離   2 5 km    
巡拝札所   28番・大日寺
宿泊旅館    民宿喫茶 きらく
宿泊者      私達夫婦のみ




野市町民宿・きらく 〜 29番・30番 〜 BHサン高知
第17日目 3月13日(土)

29番札所・国分寺(こくぶんじ)まで9kmの道のりを、私の計画書では2時間40分、29番から30番が7kmで2時間と計画してある。

今日の宿泊地は高知市に決めているが、人口33万人の都会だからホテルや旅館は数多くあり、空室は必ずあるはずと、宿はまだ決めていない。

「民宿喫茶きらく」の朝食は、喫茶店のモーニングサービスそのものである。
旅館のお決まりの朝食と違い、トーストが珍しいくいただけた。
お天気は快晴8:00にきらくを出発する。

農業用の疎水の脇で、名古屋の矢野さんに再々再会する。
3月9日25番札所・津照寺で、お別れして以来四日ぶりである。
私達と矢野さんの間には、奇縁が起きていたが、お互いそのことには、未だ気付かない。

しばらく三人で歩いたが歩調が合わず、別々に29番札所・国分寺を、目指すことにしお別れする。

     
               お遍路みち

田園風景のなかお遍路の道は、しばらく畑の畦道を行くことになる。
JR土讃線の野田踏切を渡ると、あと3km余りで国分寺である。

野田踏切を1km少々過ぎたところに、「へんろ石饅頭・山崎商店」が、目に飛び込んできた。
迷わず立ち寄る。
お遍路なので荷物になるから、お持ち帰りが出来ない。
狭い店内の片隅に座り、お茶と饅頭をいただく。

     お遍路饅頭の店

11:35国分寺山門に到着。
国分寺と言う名前のお寺は、阿波の国15番に続き2ヶ寺目である。
このさき伊予の愛媛の59番、讃岐の香川の80番の計4ヶ寺は、聖武(しょうむ)天皇の勅願により開基している。
いづれにしてもこの4ヶ寺は、1、250年間の歴史を重ねているのである。

8世紀中期に聖武天皇の勅により、一国に一ヶ寺づつ建立された官寺を、国分寺(こくぶんじ)国分(こくぶん)尼寺(にじ)と言う。
正式には僧寺を「金光明四天王護国之寺」、尼寺を「法華滅罪之寺」と言い、それぞれ僧寺には僧20人、尼寺には尼僧10人が常住し、各地で仏教の中心的存在として、鎮護国家を祈念していたそうだ。

聖武天皇は、律令制度のほころびや社会不安にたいし、仏教の力によって、国家の安泰と発展をはかろうと、仏教政治をしたと言う。
その象徴的な国家的大事業が、国分寺・国分尼寺の設置と、東大寺の大仏の建造であったと言う。

日本に伝来した仏教は、舒(じょ)(めい)天皇を除いては、各氏族が先祖崇拝の概念にもとづき、一族の繁栄を願って信奉し、仏教の仏の加護を祈って、寺を建てた。この寺を氏寺(うじでら)といい、護国仏教の性格は、持っていなかった。

(さい)(めい)天皇の頃から、寺院はしだいに、護国的な役割をするようになったと言う。
聖武天皇に至って奈良仏教は、鎮護国家的な性格が、決定的になったと言う。
崇拝の対象が仏塔崇拝(舎利塔崇拝)から、金堂中心の伽藍への変化も、護国仏教への傍証と言う。

四国八十八ヶ寺で聖武(しょうむ)天皇の勅願により開基したお寺は次の札所である。
このお寺の数からして、奈良仏教がいかに国家宗教として、政治と相互に補完(仏教政治)しあっていたか想像できる。

 3番・金泉寺        28番・大日寺      53番・円明寺

15番・国分寺        29番・国分寺      59番・国分寺

16番・観音寺        31番・竹林寺       62番・宝寿寺

18番・恩山寺        37番・岩本寺      65番・三角寺

19番・立江寺        39番・延光寺      71番・弥谷寺

23番・薬王寺        51番・石手寺      80番・国分寺

27番・神峯寺        52番・太山寺


12:10、29番・国分寺を打ち終わる。

30番・善楽寺(ぜんらくじ)に向かう路順を確認しようとするが、へんろみち保存協会の宮崎地図が、見あたらない。
へんろ石饅頭の山崎商店に、置き忘れしたのだ。

客待ちのタクシーがあったので、妻には戻ってもらい、そのままタクシーで30番に向かってもらうこことにする。

山門の前には駐車場があり、一般参詣者や団体のお遍路さん達は、車やバスで離れて行く。

歩きお遍路の道はどこだろう。
私は、お遍路の古道を探すがわからない。
山門から右に行ったり左に行ったり、また戻ったりするが判らない。
巡拝用品店で聞くと、判らないはずである、民家も何も無い畑の中に、遍路道があると言う。

       
            お遍路みち

14:00 30番・善楽寺(ぜんらくじ)に、先着している妻と合流する。

30番・善楽寺は歴史に翻弄されたと、一般的には同情の枕詞がつけられているが、そうだろうか。
神仏習合、神仏分離、廃仏毀釈と時代の流れに、乗ったのか乗せられたのか、檀家信奉者に対してより、政治と権力と蓄財にエネルギーを使った。その寺院の姿のように、私には思える。

30番・善楽寺は、土佐神社の境内にあり、同居同住で現在でも、神仏習合のままに見える。

             

30番・善楽寺(14:45)を打ち終わったら、ここで「打ち止め」し、高知市内観光を計画していたので、高知の中心JR高知駅にまでタクシーで向かう。

高知駅内で今日の宿を、はりまや橋の近くのビジネスホテルに決めて、高知駅前から路面電車に乗り、ビジネスホテル・サン高知(15:30)に行く。

さすが人口33万人の県庁所在地にある、ビジネスホテルである。
私達夫婦が一番喜んだことは、トイレ・風呂・布団が清潔なことだ。
営利の旅館ホテル業なのだから、清潔に保つことは、当然のことなのだが、今までにひどい宿があったので、高級ホテルでもないのに、トイレ風呂を写真におさめてしまった。

実のところ私の毎朝の排便が、10日前から狂っていたのだ。
そのわけは、ボッタン式トイレの臭いと不潔さであった。

    

繁華街を散策したあと夕食は、ホテルに紹介していただいた、土州料理「四万十屋」と言う小料理屋にする。

「お奨めのお酒は何でしょう」と尋ねると

店主は

「土佐では、燗でも冷でもよい土佐鶴」と言う。

土佐鶴? 見覚え聞き覚えがある。

27番神峯寺を打つ前日に通過した、安田町にあった酒造会社である。
ローカルなお酒と想像していたから、うれしい。

酒を盗んででも飲んで食べたくなると言う、鰹の内臓でこしらえた塩辛で、「酒盗」を肴に燗と冷の両方をいただく。
どろめ、穴子の稚魚、ウツボの唐揚げなど、土佐の季節のものをいただき、妻ともども満足してホテルに戻る。

                            3月13日(土)

民宿喫茶きらく8:00……11:35国分寺……14:00善楽寺14:45……15:30BHサン高知

歩行距離   16 km    
巡拝札所   29番・国分寺 30番・善楽寺
宿泊旅館    ビジネスホテル・サン高知
宿泊者     私達夫婦   不明





BHサン高知 〜 高知市内観光 〜高知グリ−ン会館
第18日目 3月14日(日)

お遍路は道中が修行と言います。
道中修行だから、ガイドはいないので不確定要素が多く、ハイキングやトレッキングのように計画通りに行かない。

計画そのものを重視して、日程の消化に気を取られて歩くことは、お遍路本来のあるべき姿ではないと言う。

私達は2月26日に第1番札所・霊山寺を打ち始め、毎日毎日歩いて歩いて、高知まで来た。
今日は安息日、ご褒美の日だ。
一日ゆったりと高知市内観光をすることを、出発前の札幌で決めていた。

白衣はザックの中にしまい、菅笠をザックにくくり付けて、8:30サン高知を出て日曜市を見学に行く。

      
        日曜市
           歩道の花壇

300年以上の歴史をもつ日曜市は、高知城の追手門まで1kmに渡って、野菜、魚、果物、田舎寿司、おこわ、赤飯、饅頭、お漬物、植木、骨董などなど、約600軒もの露店が、道路一杯にずらりと並んでいる。
日曜市の行われている追手筋沿いは、8月のよさこい祭りの、メイン会場になると言う。

郵便局も特設して、ゆうパックを受けていたので、土佐文旦をお世話になっている人に送る。
私達の昼食用に、かしわ餅、山菜おこわ、お漬物を買う。

高知城や山内家宝物資料館に近い、高知グリーン会館に今日の宿泊の予約をし、事情を話し荷物を早めに預かってもらう。
貴重品と食料を持って、再び高知市内観光にでる。

貴重品といっても、4〜5日分の必要現金約10万円と緊急の時のVISAカ ード、健康保険証ぐらいである。盗難に備えて現金は多く所持しないで、こまめに郵便局を活用することにしている。

人口の少ない村でも、郵便局が必ずあるから助かる。
この点からも、中身が示されいない、大衆サービスが曖昧な、郵政民営化には反対である。

公営だろうが民営だろうが、システムが悪いのではなく、システムを運用する人間が、悪いことをするのである。

我が家は、グランドデザインは私の役目で、お金の管理は妻の担当なので、詳細細目についれは深く探求しないことにしている。
この度のお遍路でも、お金のことは当然妻の役目である。

高知グリーン会館の前の道を、真っすぐ北に200m余り向かうとお堀で、そのお堀を渡ると高知県庁である。この通りには高知市役所もあり、木曜市に街路市が開かれていると言う。

歩道の花壇には、高知市民の花「土佐ミズキ」が咲いている。
淡い黄色の土佐ミズキを観ながら、高知城の追手門へ向かう。
姫路城の門に劣らない、素晴らしい城門である。

二の丸跡で本丸天守を眺めながら、土曜市で購入したかしわ餅、山菜おこわ、お漬物でお昼にする。

三日前には安芸市内を見学した。
安芸地方は、戦国時代に長宋我部元親(ちょうそかべもとちか)に敗れた、安芸国虎(あきくにとら)の領地であった

関が原の戦い後は、長宋我部氏の領地は除封になり、代わりに徳川家康に味方した、山内一豊が高知城を新築し、土佐一国を治めた。

       
              高知城天守
 

高知県(土佐)東部を、代々相伝していた安芸国虎は、長宋我部元親に敗れその領地を失い、関が原の戦い後は、徳川家康の命により長宋我部元親の領地は、山内一豊に変わりる。
ほんの三日間だが、激戦をしめす大量の矢が流れていたことから、矢流(やながれ)の地名の古戦場などを通過して、安芸国虎、長宋我部元親、山内一豊と、三代の栄枯盛衰を観せてもらう。

高知城を見学した後に、木曜市が開かれる氏県庁前を通り、山内家下屋敷長屋跡を観て、初代一豊から15代容堂16代山内豊範まで、山内家ゆかりの品々が、3万点以上が収納されている、山内家宝物資料館を見学する。

                3月14日(日)の行程

ホテルサン高知8:30……日曜市…高知城…山内家宝物資料館……高知グリ−ン会館

歩行距離   0 km    
巡拝札所   なし
宿泊旅館    高知グリ−ン会館
宿泊者    私達夫婦 ・ 不明





高知グリ−ン会館 〜 31・32・33番 〜 春野の湯
第19日目 3月15日(月)

 計算したわけでなく、調整したものでもなく、偶然に土曜と日曜日が、高知市となった。
それで日曜市も観ることが出来、一日半ゆっくりと高知市内を観光した。

再び今日からお遍路の旅である。

今日の予定は、33番・雪蹊寺まで打つことを考えて、宿を7:30に出る。
高知市役所付近から路面電車に乗り、はりまや橋を過ぎ(かずら)(じま)橋で降りる。

ここから久万(くま)川を右に見ながら、31番・竹林寺(ちくりんじ)のある五台山(ごだいさん)に向かう。
20分ほど歩くと、3m以上ある四国三十一番霊場五台山竹林寺参道と書かれた石柱があった。

         
  竹林寺参道入り口         嫌になるほど長い参道

五台山は全体が、公園として整備されている。

145mの台形の山頂に31番・竹林寺がある。

参道の脇には、仙台伊達騒動で土佐に流罪になった、伊達正宗の末子(側室の子)で、家老の原田甲斐(かい)と共に悪政の疑いを受けた、伊達兵部(ひょうぶ)宗勝(むねかつ)の墓があった。

山門までの参道は、公園の自然道と区別が付かない。
坂道の椿林に落花が真っ赤に、お遍路さんを和ましてくれる。
参道と書かれた石柱から、山門まで約1時間を要した。

31番・竹林寺の本尊は、文殊菩薩で日本最古のものと言われ、本堂と共に、国の重要文化財に指定されている。

  総檜造りの五重塔

9:45竹林寺を離れ、南国市にある32番・禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かう。
お遍路の古道は、五台山を来た道とは反対側に一気に下る。

妻は足をいたわって、竹林寺の山門でタクシ−を待つ。

    
   五台山の下り
     下田川に架かる遍路橋

五台山を下り県道32号に出ると、タクシ−が通過していく。
車窓から妻が、頑張ってと手を振っている。

下田(しもだ)川に沿って歩き、遍路橋を渡る。
お遍路の古道は、県道32号を避けて、一部墓地を歩く。

県道247に合流して、石土(いしつち)トンネル抜けると石土池に出る。
池を左に見て歩くと池の外れで、信号のある交差点に入る。
この交差点は必ず左折し、石土池を左に見ながら歩く。

この付近の道は32番・禅師峰寺を打ち終わり、33番へ向かう道と近接している。
よそのお遍路さんの後姿を、単純に追従すると、32番と反対の方角に行くので、くれぐれも注意が必要だ。
私は一瞬、追従しようかと迷ったが思い止まり、無駄歩きをしなくてすんだ

11:20妻が待つ禅師峰寺の山門に着く。

                                           山門への石段       本堂への石段
          
境内からは、土佐湾が見渡せる。
本堂大師堂と納経・読経をして、12:20禅師峰寺のある峰山(みねやま)を下る。

途中に食堂やコンビニが無かったので、県道14号に出た交差点脇で腰をおろして、非常食のあんパンと牛乳で昼食をする。

33番・雪蹊寺(せっけいじ)まで6.5kmはある。
竹林寺から禅師峰寺まで使ったタクシ−に、携帯で連絡をして交差点まで来てもらい、妻はタクシ−で33番へ行くことにする。

私は渡船のある種崎に向かう。
お遍路の古道は、一般住宅の生活道路を歩くことになる。
1時間位で種崎の渡船場に到着する。

一日20本ほど便があり、県営の小型フェリ−が20分弱で、対岸の長浜に無料で運んでくれる。

接岸後、雪寺へは、そのまま一本道で、正門まで迷うことはない。
15:30妻の待っている雪寺に到着。

本尊の薬師三尊や脇時の日光・月光菩薩は、日本を代表する偉大な鎌倉時代の仏師・運慶の作で、毘沙門天・吉祥天・善弐師童子は、その子の湛慶の作と言う。

16:00雪寺を打ち終わり、正門を出ると地元のお婆ちゃんに呼び止められ、200円ずつのお接待を受ける。
「戴いた400円は小分けして、これから先の札所に納めていきます」
と伝えると、各札所の賽銭にしないで。
「お遍路さんの飲み物ジュ−ス代として」と、お遍路の私達へと言う。
私達がジュ−ス代を戴くには、還暦の年齢をした者が、気恥ずかしいものだ。

見えない、動かない、しゃべらない御本尊より、生身のお遍路さんを評価しての、言動と解釈したが、それは私達の勝手な思いであった。
寺の正門の近くで、布団屋をしておられるお婆ちゃんは、今は息子さんが経営しているそうで、すでに寺の先代住職達と共に、四国お遍路を三巡したそうだ。
お婆ちゃんの気持ちは、札所の本尊には、お届け済みと言う意味であったのだ。

今日の宿は、春野市総合運動公園の近くの、はるのの湯に予約をしてタクシ−で向かう。
16:50春野の湯に到着。

2001年にオ−プンしたと言う大規模温泉である。

                   3月15日(月)の行程


高知グリ−ン会館7:30……9:10竹林寺9:45……11:20禅師峰寺12:20……14:25

種崎渡船場……15:30雪寺16:00………16:50春野の湯


歩行距離   22 km    
巡拝札所   31番・竹林寺 32番・禅師峰寺 ・ 33番・雪
宿泊旅館    春野の湯
宿泊者     私達夫婦   不明





春野の湯 〜 34・35番 〜 土佐市宇佐
第20日目 3月16日(火)

 昨夜はゆったり温泉に入り、食事もお好みで食べ、今日の朝食も選べたから嬉しい。

お遍路の一日で重要事項は私達の場合
1.朝食がきちんととれたか。
2.排便。
3.昼食。
4
.宿をどこに決めるか。
5.体調とくに足の具合。
である。

今日は何処まで行けるか、そして何処に宿泊するかは、妻の足しだいだ。

春野の町並み

8:30に34番・種間寺(たねまじ)に向けて出発する。
9:30ちょうど1時間で、種間寺に到着。

種間寺の開基は、弘法大師と言うから1200年間の歴史を持ち、江戸時代は土佐藩主山内家から、手厚い保護を受けたと言う。
それなのにこのお寺には、正面玄関にあたる山門がない。

日本仏教の中で、最も形式作法を重要視しているのが、真言宗であると言う。
その真言のお寺が、正面玄関を持たないのが不思議である。
ただし種間寺は、真言宗でも豊山派(ぶざんは)のお寺である。

境内には参拝者は誰もいない。
納経・読経を終えて、境内から離れようとした時に、マイカ−でのお遍路さんが3人来られた。

34番・種間寺から35番・清瀧寺(きよたきじ)まで10kmで、自動車なら15〜20分だろうが、歩きでは2時間半は要する。清瀧寺の手前2〜3kmは急な坂道があるので、所要時間は平均3時間と言う。

妻はタクシ−で35番・清瀧寺へ向かうと言う。
私は一足先に10:10種間寺を離れる。

種間寺を出るとすぐ県道279号で、しばらく整備された県道を歩く。

弘岡中の集落に入ると、A4で黒枠の御会葬の御礼文が、あっちこっちの電柱に貼られていた。
札幌では見かけない、この地方の風習らしい。
弘岡中の集落を抜けると、仁淀川(によどがわ)大橋は近い。
 
  
   
 
 会葬御礼文             弘岡中の遍路みち

仁淀川大橋は700m位ある長い橋で、渡りきると土佐市内になる。
橋を渡るとすぐ右折し、1kmくらい仁淀川の土手を、上流に向かって歩く。
正面が清滝山で、その中腹に堂宇らしき物が遠望できるので、歩く方角を間違えることはない。

市街地に入ると、新旧の道路が錯綜しているので迷いやすい。
土地の人に尋ねながら、歩くと安心である。

  山の中腹に清瀧寺 

高速道路をくぐると、清瀧寺の堂宇がはっきりとして、近くまで来ている事がわかる。
ほとんどのお遍路案内書には、八つの連続した八丁坂とか、流汗坂の急登と書かれているが、連日歩き通してきたお遍路さんの足には、つらく汗をかく急登とは感じられない。

坂の途中のミカン農家が、文旦をお接待している。
農家のご主人は、ここに戻ってくるのだから、荷物を預かってくれると言う。
有り難く、預かって戴く。

    
  ここから参道         清瀧寺の山門      山門から本堂への石段


12:20清瀧寺の山門に着く。境内で待つ妻と、本堂・大師堂に納経読経する。

境内の腰掛け石で、お菓子等の携行食で昼食にする。
境内からは仁淀川が作った、吾南(ごなん)平野と土佐市街が見渡せる。
市街地の向こうは、土佐の海が見え、その奥が太平洋である。

       
    境内の桜             腰掛け石  

13:00下山する。
途中ミカン農家に寄り、文旦のいただく。
ミカンは自由にお持ちくださいと、お接待である。

荷物を預かって戴いたうえに、ミカンのお接待を受けて、申し訳ない気がしたので、札幌の親戚宛てに、文旦の宅配を注文する。

再び来た道を戻り土佐市街に入る。
県道39号が、青龍寺のある宇佐への道である。

市街地の中では、県道39号の標識を見つけるのは難しいので、頻繁に土地の人に尋ねて、迷いや遠回りを避けることだ。
迷ったのか遠回りをしたのか、判らないまま土佐市街を抜ける。

他人の知恵を戴き実行すれば、愚行をしないで済む。

36番・青龍寺(しょうりゅうじ)まで15km。
今日の宿は青龍寺の手前1kmの、三陽荘にしたので14kmである。
妻は土佐市街から、路線バスを探して向かうことにする。

14:30道路と疏水溝が一体になった、県道39号をしばらく歩くと、塚地(つかじ)峠に向かう、土佐市の郊外に出た。

15:25塚地坂トンネル手前の東屋で、トイレタイムと小休止をする。
塚地坂トンネルは10分間で通り抜け、下りきったところで道は、高知桂浜からの県道14号と合流する。
宇佐(うさ)町で県道14号は、23号と名前を替え須崎(すさき)市に向う。

左に宇佐の海を見ながら30分ほど歩くと、横浪(よこなみ)半島まで海をまたいで、長さ850mの宇佐大橋に着く。この橋が出来る前までは、渡し船で横浪半島へ渡ったと言う。
海が荒れると足止めだから、当時のお遍路さんのご苦労は、想像を越えるものがある。

横浪半島に渡ると、横浪スカイラインと言う整備された、自動車道に付いている歩道を歩くが、青龍寺の手前1kmの三陽荘まで、わずか20分の距離であった。

16:45妻の待つ三陽荘に安着する。
三陽荘は大型の旅館で、団体客、個人客、それぞれの接客が洗練されているが、それが自然である。

お遍路二日目にその姿を確認し、翌三日目に吉野川を渡り川島町で、お別れした60中くらいのお遍路がいた。
土佐市宇佐から来られた、お姉さんである。

お遍路では必ず宇佐を通るので、連絡下さいとの話があり、お別れする時に名刺代わりに、納札を交換していたので、妻が電話をすると、すぐに私達の宿に来られた。

うれしく、なつかしく、時間の許す限りお話をする。
Oさんは明日は一日自由で、車もあるから付き合ってくれると言う。
有難いの一言。

                   3月16日(火)の行程

春野の湯8:30……9:30種間寺10:10……12:20清瀧寺13:00……15:30塚地坂トンネル

……宇佐大橋16:15……16:45三陽荘


歩行距離   26 km    
巡拝札所   34番・種間寺 35番・清瀧寺
宿泊旅館    三陽荘
宿泊者   私達夫婦 ・ 団体客多勢





土佐市宇佐  〜 36・37番 〜  窪川町
第21日目 3月17日(水)

 靴下は薄めと厚めの2枚で、擦過傷の防止をし、足の筋肉痛(足首から先)を抑えるために、テ−ピングでの防護は、出発前の毎日の必須の作業である。

そして快便であれば、快適に一日が始まります。
快便になるかは私の場合は、その宿のトイレ事情による。

四国は下水道整備が、低いように思われる。
個人住宅なら仕方が無いが、営利目的で旅行者を泊める旅館業なのに、非水洗トイレが結構多い。
それがハッキリ見えて臭いがする、ポッタン式が多い。
こうなると私のお尻はストラキを起こす。
ここ三陽荘は、設備とそのメンテナンスも良く、お薦めの宿です。

    朝の日課、テ−ピング

36番・青龍(しょうりゅう)は、今日の宿・三陽荘から1km先にあり、打ち終わったら同じ道を戻って来るので(打ち戻り)、荷物は三陽荘のフロントに預け、8:00に出発する。

今日も快晴で、五日間連続の良い天気で、気持ちが良い。
お遍路の古道の両脇には、赤い花をつけたハナモモや桜の木々が、美しく青龍寺まで導いてくれる。

青龍寺は山門をくぐり、170段ほどの石段を登り切ったところに、本堂と大師堂がある。
大師堂では、(おい)(ずる)を着た老婆が、お座りをして読経している。
私達も、老婆の読経の邪魔にならないように、声を低くして読経を済ませる。

      
 青龍寺山門への石段   本堂              笈摺姿の老婆大師堂

8:50三陽荘に戻ると、フロントのKさんから、1000円のお接待を受ける。

Kさんは仕事の関係上、お遍路巡礼者に接しておられるが、仏教とお遍路について、ご自分なりの概念を持っておられる。
札幌に戻ってから私が編集した、初期仏教と小乗仏教・大乗仏教概略を進呈した。

10:00宇佐大橋を渡りきると、昨日歩いて来た県道23号に出会う。

この交差点を左折して西に向かうが、実際は交差点の数十メ−トル手前の、歩行者用の短絡階段を利用して、県道23号に降りると、少しは近道になる。  

県道に出てまもなく地元の、おばあちゃんから、お菓子のお接待を受ける。

今日の計画は何も無い。
ただ無理をしないで行ける所まで、歩くのが今日の計画である。

37番・岩本寺(いわもとじ)まで58kmの距離は、自動車で2時間あればお釣りがくるが、歩きでは2日間を必要とする。
それから岩本寺の次 38番・金剛福寺(こんごうふくじ)のある足摺まで、さらに100kmの距離が控えている。

妻の足を考えると無理は出来ない。
通し打ちの歩き遍路は、無理をすると途中で挫折になり、結願(けちがい)することが不可能になる。
通し打ちの歩きお遍路さんは、年間300人位と言われ、その半数が途中で挫折しているそうだ。

須崎(すさき)市の境界に入ったところに、高知県交通・宇佐出張所があり、1時間後には須崎行きのバスがあると言う。
バスを利用することにして、浦の内(うらのうち)の海岸で、のんびり時間調整をする。

バスは浦の内湾の入り組んだ、海岸線を走る。
13:30JR須崎駅前着。

食事処を探すが、なかなか見当たらない。
やっとのことで、釜めし・お好み焼きと看板のあったお店で、お好み焼きを美味しくいただく。

    やっと見つけたお好み焼き屋

JR土讃線で須崎から窪川へ向かう。

37番・岩本寺(いわもとじ)の本堂には薬師如来、阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王の五つが本尊として祀られている、大変稀有なお寺である
また全国から公募した575枚の絵が、本堂の天井にはめられている。
その絵の中には、マリリン・モンロウの似顔絵もある。

   マリリン・モンロウ

一般的には本尊は一つで、その一つの主尊(本尊)以外は脇侍(わきじ)としている。
33番・雪寺の本尊は薬師如来で、脇侍は日光菩薩と月光菩薩である。

仏像は如来、菩薩、明王、天の四部に分けられている。
    1. 釈迦、薬師、阿弥陀、大日の四如来。
    2. 観音、地蔵、弥勒の三菩薩。
    3. 不動明王ほか如来・菩薩を守るほとけ様達
    4. 天部はバラモン教などの神の転用。
この分けられかたは、階級的な分類で、如来は仏陀の変化身、菩薩は如来の志願者、明王は如来・菩薩を守るほとけ様、天は何処にも属さないほとけ様。

あなたは、どんな人を友としているか、それによって、あなたがどんな人かを、知ることが出来ると言います。
そのように、仏の脇侍(わきじ)を知ることによって、仏の性格を知ることが、出来ると言います。

釈迦如来の脇侍は、文殊菩薩と普賢菩薩で、知恵と慈悲を表す菩薩と言うそうです。
阿弥陀如来の脇侍は、観世音菩薩と勢至菩薩で、慈悲と知恵を表します。
同じ知恵と慈悲ですが、現世における知恵と慈悲にたいして、観世音菩薩と勢至菩薩は、来世的な慈悲と知恵と言います。
大乗仏教が如来像をつくり、中後期大乗の密教が、明王や天を創作しました。

     
    岩本寺・本堂           大師堂

納経・読経を終えて境内で一休みし、大師堂に目を向けると、名古屋の矢野さんらしき後姿がある。
近づいて見ると不思議、矢野さんその人だ。

またの再会である。
これでお別れするのは本意でない。
矢野さんは、ここ窪川の旅館に予約してあると言う。

私達は今日の宿はまだ決めていない。
窪川町には6,7軒の旅館があるが、矢野さんの予約した旅館に、空室があったので、同宿することにする。

旅館・真沙は、普段は一日一組しか受けないそうだ。
旅館と言うより、花柳界の名残を持つ宿のようだ。
女将は高齢だが、花柳界の粋さを残している。

私のような若造に、花柳界がと思われるだろうが、私は札幌の薄野で生まれ成人した。
日本舞踊、長唄、小唄、常磐津、三味線などの鳴り物などの師匠の家が、あっちこっちにあり、それを見聞きして育った。

子供の頃には、私の家は置屋ではないが、芸者が二人それぞれ、間借りしていた。

着物の着付けも手伝わされもしたので、素人さん向けの着付け、芸子の着付け、芸者さんの着方、お姉さんの着方、女将さんの着方、水商売の女の着方など違いが、自然と気付くようになった。

私達の予約が、午後4時半を過ぎて遅かったので、旅館の夕食の準備には、間に合わない。
近くのス−パ−で夕食の弁当を購入していると、中年の男性から「牡丹餅2個」をお接待として戴く。

夕食後私達の部屋で、日本酒で名古屋の矢野さんと、三人で楽しい時間を過ごす。
旅館・真沙の銚子と盃は染付けで、青の色合いと形が良く、私の好みであったので、女将にその良さを伝えると、私と矢野さんに一組ずつくだされ、想い出の品となる。

                   3月17日(水)の行程

三陽荘8:00…青龍寺…三陽荘9:10……宇佐大橋10:00…−13:30須崎駅14:30−−

15:30窪川駅……15:40岩本寺17:05……17:15旅館・真沙

歩行距離   8 km    
巡拝札所   36番・青龍寺 37番・岩本寺
宿泊旅館    旅館・真沙
宿泊者   私達夫婦・名古屋の矢野さんの3人





窪川町  〜  中村市
第22日目 3月18日(木)

 五日間続いた晴天が、今日は朝から雨である。
名古屋の矢野さんは、レインウエアを着てザックカバ−をして7:30に出発した。

私達も雨の様子をうかがっていたが、止みそうもないので、登山用の雨天装備で出発する。

国道56を1時間ほど歩くと、雨が上がってきたのでレインウエアを脱ぐ。

       
  雨のなか矢野さん出発    足摺に向かって窪川郊外

次の札所は足摺岬にある38番・金剛福寺(こんごうふくじ)まで約90kmで、四国お遍路では最長の札所間の距離である。
一日30km歩くと三日で90kmになり、38番金剛福寺に無事到着となるが、歩きお遍路は計算どおりに、なかなかいかない。

その日の天気、体調、道を間違うなど、突発の出来事で、歩行距離は大きく変わる。
無理をすると、必ず後に何倍かになって、それも利子が付いて跳ね返ってくる。

人さまは人さまで、私達は私達の体力・体調に見合った歩きをして、次の目標の札所に向けて歩く。
10歩、歩けば10歩、百歩、歩けば百歩、確実に目標に近づく。

お遍路初日から実行している断煙は、封を切った残りのタバコを、5日目に宇都宮のS君に差し上げて以来、今日で22日目になる。喫煙の味わいを忘れたのではない。

道の選択に間違いはないだろうか。
今日の宿は、何処にしようか。
明日の宿は、どうする。
今日はどこどこまで歩かないと、明日予定している、札所や旅館に届かない。
その後はどうなるのだろうか。


今現在の体調のこと、今日のこと、先々のことを考えていると、喫煙の意識が薄れている。
目覚めの一服、食後の一服と、ゆっくりとタバコをふかす、余裕が出てこない。
さきのことが心配になり、喫煙したい気分がおきないのである。

禁煙ガムのニコレットも、1週間で卒業していた。

気が付いてみると断煙は、20日間が過ぎている。

それよりも、お遍路を結願し、札幌に戻ってからの方が、夕食後などに喫煙の気分が強く現れ、庭で星空をながめて、気持ちを紛らわしていた。

岩本寺から5kmの地点で、国道56は曲線カ−ブになるが、お遍路の古道は国道を左に離れ、直線で佐賀町に入る。古道への分岐に気付かず、2.5km余計に歩くことになる。

曲線カ−ブの二つ目のトンネルを抜けた所で、中年女性のお遍路さんが、国道脇に座り込んでいる。
声を掛けると、通し打ちで88番を目指しているが、足を痛めたと言う。

右の太ももの筋肉のようだ。
私も山で同じ体験があり、テ−ピングできり抜けているので、応急のテ−ピングをしてあげて別れる。

国道56号沿いの田園地帯に佐賀温泉がある。

13:00佐賀温泉で食事を済ませ食堂を出たら、国道脇に座り込んでいた中年のお遍路さんが、足を引きずりながら入って来た。

まだお昼で早いが打ち止めし、ここ佐賀温泉で一泊し、足を休めると言う。
お互いに結願を誓いお別れする。

佐賀温泉を出て6〜700m歩いたら、郵便局があったので飛び込む。
妻は雨天用の靴を、ゆうパックで実家に送り返し、路銀も引き出す。

妻は足首に痛みがきていると言う。
午前中頑張ったので、これ以上無理は出来ない。

郵便局の職員に、バスか電車の交通機関を尋ねると、土佐くろしお鉄道の荷稲(かいな)駅が、近くにあると言う。
無人の荷稲駅で14:00に電車に乗り、中村市駅に15:00に到着する。

     
           佐賀町荷稲
  

中村市駅の公衆電話で、「駅前ホテル」に予約を入れる。
駅前ホテルと言うだけあって、中村駅から徒歩2分の、目と鼻の間の距離のビジネスホテルであった。

支配人は、夕食は隣の食堂を婉曲(えんきょく)的にすすめる。
今は戸は閉ざされているが、棟続きのようである。
同一経営のようである。
遠まわしに推薦するのは、遠慮か、自信が無いからか、責任を負いたくないからなのか。
理解に苦しむ。

ユニットバスで旅の汗を流し、バスタブの排水を始めると、なんと浴室の床から、汚物の混じった汚水が逆流してくる。このホテルの設備管理にもあきれる。

駅前ホテルから50m離れた所に、中村第一ホテルがあり、二階のお食事処・八雲で、私はとんかつ定食と土佐鶴の熱燗、妻はうどんと握り寿司で、気分の良い夕食をする。

コンビニで明日の朝食用に、パンと牛乳を購入して駅前ホテルに戻る。


                 3月18日(木)の行程

旅館・真沙7:45……12:15佐賀温泉13:00……荷稲14:00――15:00中村駅

歩行距離   14 km    
巡拝札所   ナシ
宿泊旅館    駅前ホテル
宿泊者     私達夫婦 不明





中村市  〜  大岐海岸・民宿岡田
第23日目 3月19日(金)

 朝8:00に宿を出る。
28kmさきの土佐清水・以布利(いふり)港の手前の大岐(おおき)海岸にある民宿・岡田に、安着することだけが今の目的である。

県道20号が一部工事中の為に、古津賀まで戻り迂回して、四国山脈の西部を源にしている、清流四万十川の左岸に出る。

     
            四万十川
 

しばらく左岸を歩くと、四万十大橋に出会う。
50人は乗れる遊覧船が、四万十大橋をくぐり河口に向かっている。

四万十大橋を渡り左折して、次は右岸を2kmほど歩くと、四万十川にお別れをして、新伊豆田トンネルに向かう。

新伊豆田トンネルは、1、620mの長いトンネルである。
片側に歩道が設けられているが、自動車とのすれ違いは緊張する。
このトンネルを抜けるのに、20分ほど掛かる。

       
  つくうぶち集落の古道            正面右奥の山間を越える

トンネルを抜けて10分歩くと、ドライブイン「水車」があり、綺麗に管理された、水洗の公衆便所があるので、歩きお遍路さんには大変助かる。

お遍路中のお手洗いは、お寺の雪隠(せっちん)(トイレのこと)や、公衆トイレを利用する。
市街地では、ガソリンスタンドのトイレもお借りした。
ほとんどの札所の雪隠(せっちん)は、水洗で清潔に管理されている。

国道321は中村市から山間を抜けて、(しも)加江(かえ)()百々(もも)大岐(おおき)以布利(いふり)の海岸の各集落を通過して、土佐清水市に至る。
お遍路の古道も以布利までは、おおむね国道321を歩く。

(しも)加江(かえ)の集落には、一軒宿の旅館・安宿があった。
食堂の看板も下がっていたので、昼食に入る。
5〜6人の客が入れば満席になる食堂で、カレ−ライスを食べる。

       
     下の加江の港              国道を離れた古道                 

久百々集落を過ぎたあたりから、38番金剛福寺を朝のうちに打ち終えた、打ち戻りのお遍路さんが、三人、四人と戻ってくる。
お互いにご苦労様と挨拶をかわす。

納経は事前に写経した、般若心経を札所に奉納をすることと言う。
私は札幌を出発する直前まで、200巻を写経し準備した。

私達の礼拝の作法は

. 山門(仁王像が有る場合は、仁王門と呼ぶ)の前で、本堂に向かって        一礼
. 水屋で口をすすぎ手を洗い、身を清めて服装を整えお参りの準備。
. 鐘楼で鐘を打つ。早朝晩は控える。二打。(ほとんどのお寺が打たせてくれないか、有料)
. 本堂では
   I   写経・納札を所定の納札箱に納める。
   II   燈明をあげる。(私達も省く場合あり。
  III   線香をあげる。(小乗仏教では花・香等な破戒禁止、私達も省く場合あり。
 IV  お賽銭をあげる。
  V  備え付けの鐘を打つ。
  VI 読経 
         1  持鈴2音・合掌礼拝三礼・「うやうやしく……」        1音
          2  開経偈                                    一     1音
         3  般若心                               1音
         4 ご本尊(お参りするお寺の)真言         三返    1音
         5  光明真言                         1音
         6  御宝号(弘法大師の法号)                     1音
          7  回向文                                          2音
          8  「ありがとうございます」                合掌一礼。
. 大師堂でも
    I   写経・納札を所定の納札箱に納める。
    II    燈明をあげる。(私達も省く場合あり。
    III   線香をあげる。(小乗仏教では花・香等な破戒禁止、私達も省く場合あり。
    IV   お賽銭をあげる。 
   V  備え付けの鐘を打つ。(ほとんどのお寺が打たせてくれないか、有料)
    VI   読経  
          1
  持鈴2音・合掌礼拝三礼・「うやうやしく……」        1音
           2  開経偈                                    一     1音
          3  般若心                               1音
          4 光明真言                          1音
          5 御宝号(弘法大師の法号)                     1音
          6  回向文                                           2音
           7  「ありがとうございます」                合掌一礼。
          
. 納経所で納経帳に朱印をもらう。
. お寺を出る。  山門で  一礼    

です。1〜5まで、本堂と大師堂での読経は、30分間を要します。

今日は晴天の下で、四万十川を渡り、左に土佐湾とその沖の(だい)太平洋を、一日中眺めながら、伊豆田峠を越え28kmを歩き、民宿・岡田に14:10、予定より早く無事到着する。

      
   大岐の集落・中央が民宿岡田
         民宿の室内

明日は38kmを、完歩しなければならない。
これまでのお遍路で、一日で歩く最長の距離である。

明日に備えて、身体を休める事にする。
身体を休めると言っても、明日の札所38番金剛福寺までの、コ−スの図上練習や、今日のお遍路記録の整理や、明後日の札所と、宿泊地の検討である。


                    3月19日(金)の行程

中村駅前8:00……8:55四万十大橋……10:20新伊豆田トンネル……12:00

下の加江12:55……14:10大岐・民宿・岡田


歩行距離   28 km    

巡拝札所   ナシ
宿泊旅館    民宿・岡田
宿泊者     私達夫婦 ・外にお遍路さん5名





大岐海岸・民宿岡田  〜 38番 〜  民宿岡田
第24日目 3月20日(土)

今日のお遍路は長丁場だから、同宿のお遍路さんは、皆さん早発ちを予定し、6:00に一階食堂に集まるが、食事の用意が出来ていない。それどころか宿の人達は、誰も居なく就寝中である。

6:00の朝食のことは、昨夜の夕食時に、女将と打ち合わせ済みである。
女将さん達の寝坊である。
食堂の隣の部屋が、宿のご夫婦の居間兼寝室のようなので、誰とはなしに、声掛けし起きてもらう。

私達の出発は、1時間遅れの7:25になったが、私は以布利から窪津港の集落に向かうルートで、38番を打ち、再び同じコ−スを打ち戻り、民宿・岡田に連泊するので、時間の出遅れはそれほど気にならない。

益野コ−スや竜串ルートで、39番・延光寺(えんこうじ)へ向かうお遍路さんには、1時間の出遅れが、今日の宿泊予定地に、狂いが生じないことを願いたい。予定に狂いが出たお遍路さんは、待ちきれず、朝食抜きで出発して行く。

妻の今の足では、38kmの完歩は無理である。
以布利(いぶり)集落から、窪津(くぼつ)港の集落に向かうルートは、この間には公共の交通手段が無い。もし緊急事態が生じたら、対応が出来ないので
妻は、以布利から土佐清水市を抜け、西海岸を足摺岬に向かう、路線バスを利用する。

お遍路みちは国道321から左に分かれ、8:00ジグザグの坂を下り、以布利港の集落へ入って行く。
以布利の集落を歩くが、10分足らずで家並みを抜け、県道27号に出る。


         
    壁伝いに左折         以布利の家並み

お遍路の古道は自然に出来た道、けもの道、手作業で作られ道、それらの複合と思う。
お遍路の古道は、以布利で海岸に出る。海岸の砂利に足元を注意しながら、波打ち際を歩く。
しばらく歩くと行き止まりで、右の崖を登ると、県道27号に出る。

すぐに27号県道を離れて、山側の樹林の中へ続くのが、お遍路みちである。

                                                     お遍路の古道

この樹林の遍路みち沿いに、無人の「へんろお接待小屋」があったので小休止する。
個人が作られ山の茶屋風で、ミカン、お茶、お菓子が置いてある。

浄財箱があったので、100円を入れお茶を戴く。

お遍路みちは、再び県道27号に合流し、2kmほど県道を歩くと、窪津港の集落になる。
お遍路の古道は、窪津港の集落に入らず、山道を越えて、津呂(つろ)の集落に向かう。
津呂集落に入れば、足摺岬まで6kmの距離である。

       
               お遍路の古道

妻が路線バスで先着している、38番・金剛福寺に11:45到着する。所要時間は4時間20分。

金剛福寺は、平安時代の古くから、中央の貴族や武士との縁も深く、和泉式部や源氏一門が建てた、逆修塔と多宝塔が目を引く。

今日は土曜日で、観光客が目に付く。
お遍路さんは、数人しか会わない。
礼拝を終えて、岬に数軒ある、お土産店兼食堂の一軒で、昼食にする。

食後岬を周遊する。
随所で椿のトンネルをくぐる。
遊歩道には真っ赤な椿の落花が、足元で迎えてくれる。

海に細く突き出た断崖の「天狗の鼻」で、しばし、砕ける荒波の絶景を楽しむ。
海原は大太平洋である。

         
      ジョン・万次郎像                  足摺岬

13:30足摺岬の白亜の灯台に別れを告げて、午前中歩いた遍路みちを打ち戻る。

金剛福寺から1km戻った桃の木谷橋で、名古屋の矢野さんに再会する。
昨日は下の加江の民宿・安宿で、今日の宿は未定とのこと。
38番金剛福寺を打ち終えてから、体の調子
によって、宿泊地を決めるそうだ。

名古屋の矢野さんは、39番・延光寺を打ち終えたら、宿毛駅から一度名古屋に戻り、仕事を片付けてから、再びお遍路を再開する計画だと言う。
これまでお会いしてはお別れし、別れてはまた再会する。
そんな奇縁を体験したが、これからさき名古屋の矢野さんとの再会
は、物理的に不可能で有り得ない。
結願を念じながらお別れする。

県道27号を打ち戻り、15:15窪津の漁港集落に入る。
水産加工所でおばちゃん達が働いている。
湯で上がった魚を道路端で乾燥し、アルバイトの小学生が監視している。

乾燥中の魚の心臓を試食させて戴いたが、結構おつなものでした。

16:45大岐(おおき)海岸の民宿・岡田に安着。
今日は38kmの歩行、よく歩きました。


               3月20日(土)の行程

大岐・民宿・岡田7:25……8:05以布利港……9:20窪津港……10:10津呂……

11:45金剛福寺……足摺岬13:15……15:15窪津港……16:45民宿・岡田


歩行距離   38 km    
巡拝札所   38番金剛福寺
宿泊旅館    民宿・岡田に連泊
宿泊者     私達夫婦 ・ お遍路さん3名





大岐海岸・民宿岡田  〜  三原村・NPOみはら
第25日目 3月21日(日)

 38番金剛福寺から39番・延光寺へは、足摺岬の西岸を、中浜万次郎の生地中浜を通り、土佐清水市から東岸の以布利に入り、(しも)加江(かえ)に打ち戻り、三原村を経由する60kmの西回りルート。

二つ目は、足摺岬の東岸を津呂、窪津、以布利と下の加江まで打ち戻り、三原村を経由する56kmの東回りルート。

三つ目は、足摺岬の西岸を土佐清水に出、益野(ましの)の村から標高645mの峠を越えて、三原村を経由する60kmの今の山峠越えルート。

あと二つは、竜串(たつくし)海岸を経由し、下川口から出合、小筑紫、宿毛(すくも)の65kmと、月山(つきやま)神社経由の76kmと、5ルートが古来より、お遍路みちとされている。

私達は二番目の、東岸の打ち戻りを選ぶ。

妻の足の痛みを知り、民宿・岡田のご主人は、三原村まで車で送ってくれると言う。

妻は二度目の車の接待を受ける。

天気は早朝から雨だが、お遍路は天気に関わり無く、次の札所に向かわなければならない。
雨合羽と雨天用の軽登山靴とスパッツを付けて、妻より早く私は、8:00に民宿・岡田を出る。

9:50下の加江川では橋を渡らず、国道321を離れて県道21を行く。
3月9日に室戸岬から始まった土佐の海、太平洋を観ながらのお遍路は、ここで終わり、土佐湾に別れをつげて山越えに向かう。

山越えのお遍路みちの県道21は、道路巾が狭く谷も深い。
道は蛇行して直線が少ないから、車の通行には相当慎重を要し、苦労するはずだ。
案の定、地元の人も敬遠するのか、日曜日なのに6時間歩いたが、誰一人一台の車にも会わない。

    対向車が来ると交差は無理

県道21号を10kmほど歩くと、孟宗竹で作られたお遍路小屋があった。
人車に会うことの少ない、山岳のお遍路みちで、天候の急変などに、遍路小屋は有難い。
登山用のレインウエア−で、完全雨対策をしている私は、休憩を取らずに13:00通過。

しばらく歩くと雨も上がったので、足元が比較的濡れていない橋の上で、合羽を脱ぎ、靴も軽いドライシュ−ズに履き替える。

合羽と軽登山靴を入れたザックに、血が付いている。

合羽、靴、ザックしか触れていないのに、左の人差し指の指先から、鮮血が出ている。

切傷口は、1センチで深さは2ミリくらいだ。
救急用キズテ−プの大判で、止血手当てをする。

二日後に切傷の原因が解る。
ザックに物の出し入れをしていたら、チクリときた。
それはザックの口紐の鳩目金具が不良で、鳩目金具が一部おきたままので、2ミリの突起が鋭利な刃物になっていた。

ザックは4年前に石井スポ−ツで購入した「マム−トの35L」で、今まで事故が起きなかったのが、不思議である。

結願の後、札幌・石井スポ−ツを通じてマム−トに対して、製造物責任法に基ずいた、原因の解明と対応を要請した。
石井スポ−ツの誠意ある折衝にも関わらず、香港のマム−トの販売会社コサ・リ−ベルマンは、現在はマム−ト製品の販売権を他社に売却したとして、問題を曖昧にされてしまったた。

下の加江川の上流が今日の目的地で、宿泊地の三原の集落である。
三原村には一軒宿の庄助旅館が、「へんろみち保存協会」の本に載っているが、出発前に札幌で調べてみると、すでに廃業していた。

39番・延光寺へは、私達の東岸の打ち戻りした三原村経由でも、民宿・岡田から40kmの距離がある。

このルートは十年近く、道中に宿泊施設がないので、早朝夜明け前の出発になるので、お遍路泣かせの難所であったと言う。
道中の安全無事を祈願して、三原村の人が、2003年から廃屋になった老人ホ−ムを活用して、NPO法人でお遍路さんに、一泊2食¥2,625.−でお世話をしている。

先着の妻が待つ、NPO法人「いきいきみはら会」に14:45に到着。

トイレはボットン式で、鼻をつまみながら用便。
風呂場も薄暗くかなり古いが、設備に期待をしないで、雨露をしのぐ「お遍路小屋」の延長と思えば、感謝の気持ちで一夜をすごせる。

       
   NPOみはら会の宿泊設備    みはら会の夕食

雨の中の一人旅で、道中誰一人として会わない。
もちろん他のお遍路さんにも会わなかった。
雨で体気力を消耗したので、早めに就眠する。

                3月21日(日)の行程

民宿・岡田8:00……9:50下の加江……13:00遍路小屋……14:45いきいき三原会

歩行距離   28 km    
巡拝札所   ナシ
宿泊旅館    NPOいきいき三原会
宿泊者      私達夫婦 ・ 若い女性のお遍路さん2名





三原村・NPOみはら会  〜 39番 〜  宿毛市
第26日目 3月22日(月)

 今日も朝から雨。
NPOみはら会を7:45に出発する。

雨でひと気のない三原の集落を抜けて、1時間程歩くと、左に梅ノ木公園を見ながら、梅ノ木トンネルに入る。
途中、船ヶ峠を越えて来たが、平坦すぎて気付かなかった。
梅ノ木トンネルは、新しいトンネルで歩道があるから、車が通過しても恐怖感は起きない。

   
     県道21号
             梅の木トンネル

さらに1時間ほど歩くと、平田の集落に近づく。
小さなお稲荷さんを目印に、左折し県道21号と別れて、お遍路の古道を歩いて、平田の集落を抜ける。

土佐くろしお鉄道の線路を渡ると、すぐに中村市からの国道56号に出会う。
左折して国道を700m宿毛市に向かい、標識に従って右の山に入ると、39番・延光(えんこう)寺がある。

  案内の石柱

11:30 39番・延光寺(えんこうじ)到着。

山門の脇で、合羽から白衣に着替えて、本堂・大師堂に納経・読経をする。
延光寺も聖武天皇の勅願により、開基したと言うから、1200年の歴史を刻んでいる。

四国の寺院は、札所はもちろんのこと、札所以外のお寺でも、天皇家や為政者との関わりや、歴史的人物、古事にかかわるものが多い。

区切り打ちのお遍路さんの場合は、土佐の国最後の札所を打ち終えた、やりとげた達成感と感謝の気持ちで、宿毛市に向かい、鉄道で高知または松山に行き、それぞれ帰路につく。

私達通し打ちの遍路は、土佐の国を打ち終わっても、国の数では半分を終えたが、札所の数では、まだ半分に満たない。
39番延光寺を、打ち終えた達成感より、明日から始まる伊予の国のお遍路に、気持ちを入れるほうが優先する。

  平田集落の路端のお花

12:10延光寺山門を後にする。

今日の宿泊地は、宿毛市にしているが、宿はまだ決めていない。
人口2.5万人の市であるのと、「宮崎マップ」には10軒の旅館ホテルが載っているので、宿毛市に行ってから、探しても遅くは無いと考え、とにかく宿毛に向かって歩く。
空室は必ずあるはずと、高知市のときと同じパタ−ンである。

雨が降っていると、視界がどうしても狭くなり、お遍路マ−クを見落しがちになる。
延光寺から国道56に出る時に、やはりお遍路マ−クを見落し、遠回りをしてしまった。

アサヒ健康ランドを左に見て、国道56を宿毛に向けて歩く。
アサヒ健康ランドは、仮眠室のある大型浴場施設で、お遍路さん達が宿泊したり、時間調整などで利用していると言う。

  アサヒ健康ランド

しばらく歩くと、中華レストランを見つけたので、昼食にする。
3月17日以来五日ぶりに、それなりの食堂での昼食はうれしい。

明日は旧宿毛街道の松尾峠越えで、交通手段が無いので、愛媛県南宇和の一本松までは、歩き通さなければならない。
雨の降る国道56を、宿毛に向かって歩いていると、高知西南交通のバス停があったで、妻は足を気遣い、宿毛までの残り8kmを、路線バスで向かうことにする。

  バス停でバス待ち

妻はバスが来るまでバス停で待ち、私は妻と別れて待ち合わせ場所に決めた、宿毛駅の待合室に向かう。
妻とバス停で別れて20分後には、妻を乗せたバスは、一瞬のうちに私を抜いて行く。

宿毛市は海岸に接した町で、土佐高知県の最西端の市である。
国道56号は、少しずつ下っているので、歩調は軽く早めになる。

  国道56

宿毛駅まで残り4km位で、国道56と左へ分かれて、県道4号を歩いて宿毛市街に入る。
市街地に入ると、多かれ少なかれ道に迷い、不安が生じ時間をロスする。
宿毛市内も、他の市街地と同様に、お遍路マ−クが少ない。

四国の市街地は、どこも歴史があり、既存の道路は徒歩者、荷馬車の為の道に、出来上がっている。
戦後の自動車の増加で、車が走れる拡幅された新道路に作られ、これらとの併存する道路があるから、お遍路さんやよそ者には、迷い道となりやすい。
道に迷うと簡単に、30分から1時間をロスする。

宿毛で宿泊しないで直接、松尾峠に向かうなら、県道4号に入らず国道56号を選ぶ方が、迷うことは少ない。
土佐くろしお鉄道の宿毛駅が、左に見えたなら、国道56から左に離れ、お遍路の古道を見つけ、山側に向かうと、その先は悩むことは少ない。

妻との待ち合わせの場所である、宿毛駅に15:00に到着する。
自販機でアイスクリ−ムを購入し、新しい駅舎の待合室で休憩をする。

駅舎に、観光案内のお姉さんがいたので、宿のことを尋ねると、その隣にいた男性は、秋沢ホテルの営業員であった。
お遍路さん割引一割にして、良い部屋をサ−ビスすると言うので、お世話になることにする。

営業マンの車に、ホテルまで乗せて戴く。
案内された部屋は、ツインベットの他に、8畳和室のなかなか良いお部屋である。

  

お風呂は部屋のバスは使わず、大浴場を独占する。
秋沢ホテルは、朝食は1階の食堂で用意するそうだが、夕食は近くの喫茶店が、良いと推薦される。
喫茶店で夕食弁当をいただく。

明日からは三つ目の国、伊予の国に入る。
ホテルの近くに本屋があったので、愛媛県の地図を購入しておく。

今日は土佐の国高知の最後の夜である。

名古屋の矢野さんから、携帯電話が入る。
矢野さんは38番金剛福寺で、下の加江に打ち戻りしないで、竜串海岸を経由し、下川口から月山神社経由の、76kmのお遍路みちを選んだようだ。
明日39番を打って、当初の予定どうり名古屋に一度戻るので、二度と会えないと、最後のお別れの電話をいただく。

矢野さんとは奇遇であり、奇縁である。
会っては別れ、別れても別れてもまたお会いする。

明日からは、私達は伊予の国、40番・観自在寺(かんじざいじ)に向けて、お遍路である。
矢野さんは、三日後なのか四日後なのか判らないが、宿毛からのお遍路を、再開するそうだ。
本当にお別れである。

阿波の国高知、土佐の国高知と半分のお遍路で、矢野さんとの思いでは大きい。
矢野さん、思い出を有り難う。」
さようなら。」
心の中で、矢野さんに感謝をし、お遍路の結願を祈りする。
土佐の国のけじめの夜に、ふさわしい思いを、感じながら就寝する。


                  3月22日(月)の行程

いきいき三原会7:45……11:30延光寺12:10……15:00宿毛駅……15:50秋沢ホテル


歩行距離   21 km    
巡拝札所   39番・延光寺
宿泊旅館     秋沢ホテル
宿泊者      私達夫婦 ・ 一般 7名             

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