女将のよしなし事その二

女将の好き嫌い 00/01/26
新年のご挨拶に代えまして  00/01/08


女将の好き嫌い
 ネタはいっぱいあるんですが、諸事情であまり書けないので、 こんなふつーーーのテーマになりました。でも、こういうのが結構面白かったりしますよね。

女将の好き
甘栗
:やったことないのでわかりませんが、一日三食甘栗を食べていても、おやつに甘栗食べて、 しかも、それを数ヶ月続けられるであろうと思われるくらい好きです。 実際には、からだが他のものを要求するんでしょうけどね。 唯一、夫から制限を受ける食べ物です。
キーボード:文字の配列といい、キータッチの感触といいなんともいえず・・・・ なんて、キーボード自体を好きなわけではなくて、キーを打つのが好きみたいです。 仕事のレポートも、パソコン(ワープロでも)でやると、ずぅぅうううぅううっっっっっっっぅうっと書いてられるし、 メールもかなり長いし、チャットも長かったし(ははは)、勤めていたころも、ワープロ打ちながらだと半徹状態でも 続けられました。チャットで鍛えてあるので、しゃべる速さで打てます。(ものすごくゆっくりしゃべる人だったりして>女将)
工作:もともと、絵を描くのが大好きでしたが、 立体はむしろ嫌いだったのが、仕事で「プロダクト・デザイン」(きゃっ、かっこいい♪要は模型作り)を かじったあたりから、『工作』大好きになりました。キーボード同様、工作がらみだと、徹夜も辞さない女将です。 このところ作品ないですが、結婚披露宴の席表(これは工作じゃないか)、 式次第のカードとカードケースお茶券用ポケット及び特製ハートマーク付各200組を作ったり、 飛び出すバースデーカードを作ったり、雲竹斎先生のうさぎ変身グッズを作ったり、他にも 皮のペンケースとか、友だちの娘のワンピースとお帽子とか(こういうのを”洋裁”っていうんですよね・・・ 工作じゃないじゃないか!ぐはは)、女郎屋の酒桶風マガジンラック(なんじゃこりゃ)とか、 発泡スチロールによる「一人暮らしOLの願望」というタイトルのオブジェとか・・・・ 過去にはいろいろありました。今も、頭の中は”なんか作りたい病”が巣くっています。
珈琲:大学にはいってから急に好きになり、結構こだわっていました・・・・と過去形なのは、 今はゆっくり珈琲をいれるなんてことができなくなって、かつて「一生飲まない」と思っていた、 インスタント珈琲を飲むようになってしまったからです。でも、たまにきちっといれて飲むと、 余計にうまい。今の夢は、表参道にある、お気に入りの珈琲屋さんに行って、 カウンターで本を読みながら、その店の名前がついたブレンドを飲むことです。 あーーーー、いつになったらできるのーーー。
心理学:専攻していたわけではないのですが、すごく興味ありますし、結構関連図書も読んでるつもりです。 このところ興味を持っているのが「共依存症」について。 ・・・・・と、かっこいいことも言ってみたかったのですが、この関連で「心理テスト」なるものの、 かなり好きです。テスト自体もですが、その根拠がわかると非常に面白いですよね。 ところで、「珈琲は好きですか?」という心理テスト知ってますか? 女将の場合は、上記の通り、大学に入ってから好きになり、いまだにもちろん大好きですが、最近はインスタント珈琲を飲む事も多くて、 ちょっと残念です。珈琲は、やはり、じっくり豆から吟味して、お気に入りのカップで、 お気に入りの音楽を聴きながら、お気に入りの本かなんか読みながら、或いは、 好きな人と楽しくお話しながらっていうのが一番でしょう。そうすれば、お替わりも進むってもんです。
 さて、この心理テストの意味する処はなんでしょうねぇぇ・・・いひひ。

 お、きれいに落とした(えーーーーっそーーなのーー?)ところで、

女将の嫌い
かべちょろ
:うはははは、なんのことかわからない方多いですよね。 いもりとかやもりとかです。とかげも嫌い。幼稚園のころ、庭で蟻の巣を掘り返して遊んでいた時のこと。 調子に乗って掘りまくり、「でへへへへ、こんどは思いっきり深く掘ってやろう」とごっそり土を掘ったら・・・・ そこには玉虫色に輝くとかげちゃんの姿。「ぎょっ」と思った次の瞬間、もっと「ぎょっ」と思ったらしいとかげちゃんが、 私の裸足の足の上を這って逃げていったのです。しばらくの放心状態の後、 天にも届く叫声をあげ、室内に駆け込む女将・・・・・いまだに、あの冷たい感触は忘れられません。
ホラー映画:スプラッター系もダメ。怖い話が苦手なくせに、率先して話して怖がらせるという、 そして、夜一人になって怖くなって後悔するという、愚かな 意地悪姉ちゃんだった女将もやきがまわったのか、最近はこの手の話は聞くのもダメ、 映画は絶対見るのもダメ。特に一昨年だったか「リング」をテレビで見ちゃってから、 もう、映画のポスターの前を通るのもいやです。・・・・・のわりには、貴志祐介の「黒い家」を一晩で読んじゃった。 (めちゃくちゃ怖かった)
「虎の威を借る狐」な人:女将だって、ついやってしまうことありますけどね。 でも、なんていうか、「あんたが偉いわけじゃないんでしょ?」と言いたくなるくらい、 威張ってたり、傲慢だったりする人って、いますよね。ほんとに嫌い。(ところで、「とらのいをかるきつね」って打って変換したら、 「虎の威を狩る狐」って最初に出たんですけど、「借りる」んじゃなくて、「狩る」んですか?正解ご存じの方教えてください・・・・自分で調べろ〜〜。)
「鬼の首をとったような」な人:常に攻撃的とかだと、 「そういう人だから」ですむんですけど、相手の弱みをつかんだり、 ある人が大きな失敗や過ちを犯したりしたのをみつけると、「ほーーーら、見てみろ」 みたいに、率先して或いは尻馬に乗って攻撃する人。 そういう人が何かやったら、女将はそれこそ鬼の首をとったように攻撃したくなります(うはは)。
「女も強くなくちゃな」とかなんとか分かったようなこと言いながら、 超お嬢様学校出身5歳以上年下美人で可愛くて、御飯よりお菓子作りの方が得意で、 けして「ぐはは」とか「うはは」とかって笑わない、女将ですら「守ってあげたい」と思うような、 でもナイスバディの女の子を嫁にしている男: 個人的恨み?別にないっすよ。そうゆうのが好きなら好きと言え!・・・それだけです。ぐははははは(見るからに強い女>女将・・・嘘よん、こほこほ(咳))

 うひゃひゃ、これ、書いていて、面白くなって来ちゃいました。こうやって、あらためて考えると、 自分自身の再発見にもなりますよね。今日、再発見したのは「女将は嫌いなことの方が今は多い」ってこと。 絶対、不満とフラストレーションとストレスといらいらと・・・・ともかく、なんかすごい悪い状態なんでしょうね、うはははは(笑ってどうする)。 「好き」より、「嫌い」の方が、次々浮かんできて、これ以上書いたら、みんなに嫌われ疎まれて、 誰もここに遊びに来てくれなくなりそうなので、5個づつで止めました。でも、女将的(※)には気に入ったので、 また、書いてみたいと思います。たぶん、状況によって変わってくる部分、ありますよね。

ちなみに、「わたし(或いは ボク)的には」とか言う奴も嫌い。矛盾。気にしない。
あ、もう一個、どうしても書きたい。「語尾上げ言葉でしゃべる奴」。もちろん嫌い。嫌い嫌い、 大嫌いだ〜〜〜っ


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新年のご挨拶に代えまして
 皆様、あけましておめでとうございます。
 新年、新春、2000年、新千年紀でございますわね。
 年末、と申しましても、クリスマス前から夫の実家に帰り、年明けに帰省渋滞におびえながら、 東名をぶっとばし(夫が)、車酔いに苦しみながら戻って参りました。そうしましたら、雲竹斎先生が早朝超不機嫌状態に 陥り、新年早々、三日もお弁当作りを阻まれております。
 そんなわけで、2000年はこちらでの御挨拶でスタートです。
 昨年は、ご贔屓を賜り、誠にありがとう存じます。これからも、愛されるお弁当を作り続けていく所存でございますので、 どうか、よろしくお願いいたします。

 あれ、これじゃ終わっちゃいますわね。あんまりなので、実家での出来事などを少々書きますか。
 と言いましてもね、実は、先月というか昨年12月23日に実家に帰ったのですが、 その夜から、女将は不覚にも発熱。平熱34度台なんてこともある低温動物の女将が、24日、クリスマスイヴには38度という高熱に達し、 喉の痛みと咳に苦しみ、ついに、25日、なんとクリスマスに病院に行くという、情けない状態になってしまいました。 ついでに、べったり一緒にいる雲竹斎先生に移っていては大変と、一応小児科にも診せ、一通り薬を出してもらって帰宅したその夜から、 なんと、雲竹斎先生が、本当に発熱。しかも、先生は赤ちゃん(と言えるのか?)という特質のせいか(ほんとか)、 翌日にはその熱が39度に達し、自分の熱どころじゃなくなってしまいました。 病院で出してもらった座薬を使い切っても熱は下がらず、更に翌日、今度は、義父が車を飛ばして、 救急センターみたいなとこに行って、座薬を出してもらい、またまた翌日小児科に・・・という事態を招いてしまったのでした。
 しかも、お話はここで終わらない。
 雲竹斎先生の熱がおさまり、やれやれと思ったその日から、今度は義母が発熱。 そして、義父も少々怪しい気配が・・・・・。雲竹斎先生の熱がおさまっているのが、せめてもの救い・・・・という状況下に仕事納めをすませた 夫が到着し、唯一健康体であるが故に、風邪を移されないようにと過保護にしていたその夜、 なんと、夫が・・・・・というのはさすがに嘘で、一旦熱が下がったはずの雲竹斎先生が、 またまた39.2度の熱を出し、当然、翌朝は一番に病院に行きました。これが、29日。 帰宅して、しばらくしてから熱も治まり、義母も復活、義父も大事にいたらず、女将は咳と微熱を残しつつも、 これで一安心と思ったのも束の間。30日に、義母が再度発熱し、雲竹斎先生もすっきり治りきっていないようで、 どんよりと大晦日を迎えたのでした。
 結局、元旦の朝には、ついに風邪を引かなかった夫をはじめ、全員見違えるように復活し、 たいへんいい気分でお屠蘇とビールを片手に、 義母が2時間並んで注文したという関西の某有名ホテルのお節(※)と、 義母が熱に苦しみながらだしを取ったお雑煮やら、 丹波の黒豆やらに舌鼓を打ったのでした。
 いやぁぁ、ほんっっっと、たいへんな年末でした。それにしても、よくぞ、お節を買うことにしていたものです。 あの状態で、お節を義母と二人で作ろう!なんていう企画を立てていたら、 家庭内Y2Kで、”正月早々食べる物がないぞ状態”に陥っていたことでしょう。
 おっ、タイムリーな社会問題などもおりまぜながら、なかなか奇麗に決まったところで(ほんとかよ)、 終わりにしましょうか。
 今年も、自画自賛の女将をよろしくお願いいたしますわね♪

※義母が2時間並んだ時にお屠蘇とビールを片手にしていたわけではなく、 元旦にいただくときに・・・・って説明すな〜〜(失礼いたしました)。

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