女将の謎 − 何故「女将」なのか  99/06/25

 知る人ぞ知る、女将の学生時代の夢は「銀座にビルを建てる」 というものでした。
 当時、女将が建築のお勉強をしておりました影響かどうか、そのビルは建築技術の粋を集め、 最先端の設備を駆使しながらも、外装には日本の伝統工芸、英名では ”JAPANESE”と呼ばれている、あの『漆塗り』が施して有り、しかも、 季節によって塗り替えが行われ,常に季節感のある絵柄が描かれているという、 実際に建てたら、「しゅみわるぅぅっぅ」と評判になりそうな、 非常にお金のかかった超豪華なビルディングです。

 テナントとしては、女将が経営する会員制高級クラブをはじめ、一流の料理とサービスを提供し 専門家が涎をたらして絶賛するワインセラーを完備した仏蘭西料理店、 一流のこだわりと一流の座り心地を誇るソファーをしつらえたコーヒーと紅茶の専門店、 一流の素材と一流の仕立てにこだわった、もちろん靴もバッグも小物もジュエリーまでも揃えてあります的 紳士淑女のためのお洋服屋さん、忙しい皆様に一流のやすらぎをお贈りする仮眠室、 あとは,できれば天井が高い書店と品揃えのよい画材店と 趣味の良い有田焼専門店と、高級感がありながらも気軽に立ち寄れる風情の待ち合わせスペースと、 慇懃無礼でない高級エステティックサロンと、私の友人を所長とする都市建築学研究所、 同じく友人を講師とするフラメンコ教室、同じく友人を所長とする設計事務所、・・・・・ ま、最初はこんなところでスタートしましょうかね。
 そして、オーナーである私の厳しいチェックをクリアしたテナントが増えて行き、 ビルディングの高さが,だんだんとまるで重箱を重ねていくように高くなっていく・・・・・更には、 春、秋はじめ、快適な季節には、各階が最大45度まで水平方向に回転し、 重箱をずらして重ねたような形になり、たがいちがいになってできた天井部分が外に解放され、 爽やかな自然の風を取り入れられるという究極の空調設備を備えている(銀座の空気が 爽やかかどうかはまた別問題)・・・これらの様子と漆塗りの外観から 『銀座重箱ビル』という名前まで決まっておりました。

 学生時代の予定では、40歳で土地を買収し、建物に関しては,大手ゼネコン、建築事務所、 将来有望な学生を対象に厳選なコンペを行い、それと同時に一流の漆職人を発掘し、 テナント募集を始めるのが43歳。そして、45歳でビルがオープン、 その三年後には使い道に困るほどの利益を上げ、かつて青山通りで見た ミルクティ色のポルシェに乗るはずだったのですが、 30代半ばにさしかかった今、いい土地に巡り会えず・・・・・ うそうそ♪・・・・・ 銀座に土地を買えるほどの財を成すには罪を犯さなくてはならないようなので、 手が後ろにまわらないうちにせめてバーチャルに夢を叶えてみようかと思ったのでした。

 まだ、本題にはいってません。

 当初は、いきなり『銀座重箱ビル』というタイトルで、コンテンツも、料亭か高級割烹旅館のノリで 始めようかと思っておりました。しかし、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」の教え通り、 若いかどうかは別にしても、少し努力をしなければ・・・・という思いに至り、まずは小さな店から 出発し、苦労と努力を重ねて徐々に徐々に店舗を大きく、事業も手を広げ、 ついには銀座にビルを持つに至りました的自叙伝さながらにホームページも育てていこう!・・・と考え、 スタートは小料理屋・・・と決め、旅館の女将さんに憧れていたりする嗜好も手伝って、 小料理屋の”女将”となったわけです。
 が、この不況下、いきなり店を構えるなんてまだまだ甘い、自分の資金力と状況を考えれば、 いいとこ、ライトバンか屋台で営業している弁当屋さんかな?・・との結論に達し、ご覧のような形になりました。

 このようなわけで「女将」となった私・女将は、もうすっかり”女将”になりきり、 これからも皆様に喜んでいただけるお弁当とお店作りに励みたいと思っております。
 今後とも、宜敷ご贔屓の程お願い申し上げます。

※女将(徒歩)が青山一丁目で信号待ちをしていたとき、青山霊園方面から表参道方面に向かいゆっくりと 左折してきたミルクティ色のポルシェ。それはそれは美しく、上品に目立ち、しかも運転なさっていたのが、 奇麗なおばあさんで、心底「かっこいい」と思いました。

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