寮集会(2001/1/22)

 1月22日付けのお弁当のコメントにありますが、その前日催された、女将の友人の歓送会(名目)があまりに楽しかったので、書き残しておくことにしました。
 
 時々話が出ますが、女将が学生時代に住んでいたカトリックの修道院(ふふふ)が経営する寮時代から仲良くさせてもらっております友人の一人が、香港に転勤になる(ていうかご主人の転勤)というので、一応名目は歓送会だったのですけど、そんな主旨はどこへやら・・・・育児真っ最中の女性4人が、それぞれ子供を夫に任せて、束の間の悦楽に酔いしれるという事態ですから、そのテンションの高さといったら、そりゃぁぁぁもう、ランドマークタワーなんか目じゃないって感じでございましたわ。
 女将とて、テーブルの上に並んでいるモノを「誰か」が触らないかと気にすることもなく、隣に座っている「誰か」が、いつ席を立つかと戦々恐々とする必要もなく、「誰か」が食べるのを手伝い、「誰か」が残したモノを処理するなんてことを気にすることもなく、更には、「誰か」が食事を終え、すぐに出ていってしまい、連れも同伴した後に、大食い大会の出場者のように、数人分の食器が並ぶテーブルで一人黙々と食べるなんていうことをする必要もなく、とってもとってもゆっくりお食事を楽しめて、ゆっくりお話を堪能できて、楽しかったです。その後、せっかくだから、子連れでは絶対行けないような優雅でゴージャスなお店でお茶しましょう・・・とお店を物色していたのですが、話の盛り上がりを考えると、あまりに優雅なところは周りに迷惑だということになり、「私達って、子供がいてもいなくても結局ファミレスじゃなきゃダメだったりして・・・・・ぐはははは」と嬉し悲しの状態になったわけでございます。それでも、別のホテルのティールームに行ってしまうあたり・・・・一応控えて忍び笑いにしていましたけど、もしうるさかったらごめんなさいね♪うふ♪(うふって・・・)
 それにしても、『声を出さずに笑おうとすると顔が元に戻らなくて、その上涙が止まらないので、一生懸命ハンカチで顔を隠して身をよじる』という笑い死に状態って、久々に経験しました。あーーーー楽しかった♪幹事の伊達巻きTちゃん(盛り上げ役に徹してくれてありがとう)、主賓のNちゃん(主賓なのにお土産までいただいちゃって恐縮ですわ)、新幹線で登場のYちゃん(全然話し足りなかったわ)、お疲れさまでした〜。

 「寮集会」記録はここまで。ちょっと補足説明。
 「友人」とあると、同級生をイメージされる方が多いですが、正確にはお三方とも、後輩にあたります。たまたま、その中の一人Yちゃんが一年生の後期試験の際、女将が、フランス語を教えた(おーーーーーーっほっほっほっほほ)、そう、「フランス語を教えた」、お〜ふらんす語を・・・・・もういってば、ぐはははっは。当時寮生約20名のうち、フランス語を専攻している人はおらず、第二外国語に仏語を取っているのも、たしか女将とYちゃん以外にはいなかったらしい(実はいたらしい・・・なんじゃそりゃ)ので、女将のところに来たらしいです。何しろ、フランス語を教わる、お〜ふらんす(だからぁぁ・・・)・・・・失礼。試験直前に教わりに来るのですから、当時Yちゃんが、女将を「知的できちんとした素晴らしい先輩♪」と誤解していたことは間違いございません。その折には、一応、彼女の疑問点(仏語のね)も解消し、ちょこちょこっとお話をしたのですが、それから妙に仲良くなり、それと同時にお互いの化けの皮がはがれたことによって、彼女の同学年の子も含め、このように卒業後もおつきあいをする羽目に陥った(うははっは)わけでございます。
 別にわざわざ書くほどのことじゃないことは、よ〜〜くわかっておりますが、その後数々の笑えるネタを提供することになるこの友人関係のきっかけが、「お〜ふらんす語教授」であったなんて、ワンダホーじゃございませんこと?おーーっほっほっほっほほ・・・って、女将が「フランス語を教えた」っていうことを、自慢したかっただけじゃないの〜〜・・・・っっは、っそっっそれは、っけっけけしてそのような不遜な・・・・って誰と話してんでしょうか。ま、どうにでもお好きに解釈なさってくださいまし。

 で、この寮って、上述の通り、なにしろカトリックの修道院の経営ですから、規則が厳しくて、それにまつわるいろいろいろいろいろいろいろいろ面白い話があります。たぶん独りよがりではない、老若男女が笑えるネタが目白押し・・・・・と思います。
 ちなみに、「寮集会」というのは、寮内で月に一回(確か第二日曜の夜8時。第一だったかも)行われていた会議(?)のことです。これにおいても、数々の名言が生まれております。ではまた。

TOPに戻る