波多野 秀重(はたの ひでしげ) ?〜?
通称 ニ新左衛門 平七郎 居城 嘉年勝山城(かねかつやまじょう)
滋信の孫、1555年の「厳島の合戦」で毛利軍に入り戦ったが傷を負い、後、1619年8月5日に名を「金子平七郎」と変え農民として暮らした。