上領 頼規(かみりょう よりのり) ?〜?  享年  ?歳

通称  新九郎 九郎左衛門 吉見
居城  七村政国城(ななむらまさくにじょう)


吉見とも名乗る、妻は吉見正頼の娘、1551年10月の「鹿谷野戸呂合戦」で僅か18騎になり死ぬ覚悟で益田軍に突撃し益田軍を切り崩し益田軍敗退の決定的な打撃を与えた猛将、正頼より感状を貰う、1569年の大内輝弘の山口乱入戦では息子・頼武を亡くす、後の1599年に吉見広長出奔の折は吉見氏の老臣として吉見広頼の再家督就任を斡旋し病弱な広頼を助け吉見家滅亡を回避させた。

上領氏
本家 吉見頼行 2代 吉見頼直 3代 吉見直頼
下瀬・初代 下瀬頼右
上領・初代 上領頼見 頼行・四男 上領義直

・・・ 末裔 上領頼兼 ・・ 上領頼規 長男 上領頼武
次男 上領頼康
三男 上領直之

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