町野 隆風(まちの たかかぜ) 1528〜?  享年  ?歳  

通称  掃部介
居城  橋本台ヶ原城(はしもとだいがはらじょう)
   


阿東町篠生篠目(しのぶしのめ)の豪族、大内義隆の津和野逃亡を阻止し生雲で軍勢を保持、吉見軍の山口遠征も阻止した、1554年4月18日前後に平山星城(ひらやまほしのじょう)に謀略を仕掛け和睦の使者を送るフリをしてその間に搦め手から兵を送り挟み討ちにして攻略した、1556年に吉見家臣・上領頼兼に攻められ降伏、弟・鶴法師を人質として吉見家臣となる、更に益田尹兼の娘とも離縁をさせられ、まさに踏んだり蹴ったり。

橋本台ヶ原城、篠目の豪族として唯一ハッキリした城主、町野隆安が居た。

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