三隅一族の経緯
三隅氏は益田兼高の次男・三隅兼信が三隅郡を預かり、三隅氏と姓を変えたのが始まり、石見の独特の山谷の地域から次第に主家から疎遠となり独立していった、四代・三隅兼連の時は石見守護となり主家・益田氏を圧倒し石見に覇を唱えた、その後、度々、主家へ反抗するものの、益田氏の名将・15代・益田兼尭の時、益田兼尭が盟主・大内政弘へ接近し三隅領を完全に益田氏へ繰り込もうとした為、三隅氏が猛反発、益田兼尭・大内政弘が死去すると、益田宗兼と三隅興信が凄まじい抗争を繰り広げる、その後、興信が死去し消極派の興兼が家督を継ぐと争いに終止符が打たれたが、本家19代・益田藤兼の威嚇に絶えきれず紀伊へ逃走、隆兼へ代替わりすると益田氏の傘下へ入り、益田家とは比較的友好関係であったが、隆兼が死去した後は父の不甲斐なさに納得していなかった三隅隆繁・国定兄弟は主家・益田氏へ謀叛を起こし敗れ滅亡した。

三隅氏
本家四代 益田兼高 五代 益田兼李
三隅初代 三隅兼信 ・・・・ 四代・名将 三隅兼連

・・・・ 12代 三隅興信 13代 三隅興兼 14代 三隅隆兼 長男 早死
15代・次男 三隅隆繁

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