三隅 興兼(みすみ おきかね) ?〜1587年
13代当主、隆兼の父、1526年には尼子経久の威嚇に絶えきれず尼子氏へ寝返る、1548年に藤兼に三隅領を攻められ、三隅興兼は耐えきれず紀伊・高野山に逃走しこの地で死亡している、大変長寿で90歳前後は生きていたと思われる。
本家四代 | 益田兼高 | → | 五代 | 益田兼李 | ||||||
→ | 三隅初代 | 三隅兼信 | → | ・・・・ | → | 四代・名将 | 三隅兼連 | → |
→ | ・・・・ | → | 12代 | 三隅興信 | → | 13代 | 三隅興兼 | → | 14代 | 三隅隆兼 | → | 長男 | 早死 |
→ | 15代・次男 | 三隅隆繁 |