三隅 隆繁(みすみ たかしげ) ?〜1570年   


隆兼の次男、15代当主、1552年に父から家督を継ぐと敵対していた益田氏に従う父に納得できず、弟・国定と共に暗躍する、遂に尼子再興軍の一躍として狼煙をあげるものの益田藤兼の外交戦・包囲戦で戦力が減った所を吉川元春に蹴散らされ9月26日に自害した、ここに石見の名族・三隅氏は滅亡した。

三隅氏
本家四代 益田兼高 五代 益田兼李
三隅初代 三隅兼信 ・・・・ 四代・名将 三隅兼連

・・・・ 12代 三隅興信 13代 三隅興兼 14代 三隅隆兼 長男 早死
15代・次男 三隅隆繁

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