備中を制する者は備中松山城を制する(岡山県高梁市)

備中松山城は戦国時代の流れを組む数少ない城8月8日、実は今年一番大きい台風が来ていて天候は最悪だと予想されていた、自分は母・祖父と親戚の大叔父と岡山へ行く予定だったが、結局、山口・岩国から行く大叔父は台風の為、断念するものの、自分達は祖父の意気込みを退けず(^^;)強引に強行した、午前5時・・まだ日が明けていない時に出発、広島・戸河内インターから高速を乗り8時過ぎに岡山・新見周辺に着き、朝食を済ますと、その頃から天気が予想通り悪化してきた、自分が「山城なので登れないかも知れないね」と言うと、祖父が「まぁ、登れんでもええわ、行ってみよう」と言うので高梁市内へ9時30分頃に着くと、さすがに台風の中の遠征とあっていつもは山の麓までしか行けないらしいのだがほぼ観光客は居なく、自分達は8合目まで車で登った、そこには四国から来ていた老夫婦は台風で登らず諦めて帰っていった、自分達は「わざわざ岡山まで二県も跨いで来たのだから、ここまで来て帰る分けにはいかん」と75歳の祖父は元気一杯(^^;)台風が弱まった時をみはらかって強行登頂、約30分で日本に現存している戦国時代の城「備中松山城」へたどり着いた、そこには映像で紹介するミニシアターがあり、「備中兵乱」を始め様々な備中の歴史を知る事が出来た、中国地方では唯一、戦国の城から改修して現在までいたる山城である、江戸時代に大幅改修されている現在の天守閣は戦国期では二の丸にあたる、自分は一人で戦国期の本丸・備中松山城へ向かった、そして登頂を終えて家に着いたのが夕方5時・・自分が運転したのは計約9時間・・・岡山の地は遠かった・・。


戻る。

壁紙の著作権はMinさんにあります、無断で転用・複写・複製するのは禁止です。