名門の叔父、今こそ実権を握るべく・・大内 教幸 

戦乱の渦へ戻ります。

1470年2月 大内政弘(義隆の祖父)の叔父、大内教幸(別名・大内道頓)は応仁の乱で京へ滞在していた大内政弘の空洞を狙って周防で反乱を起こした、しかも東軍・細川勝元と組み、石見の周布和兼・三隅長信・小笠原又太郎も諜略し一代勢力として赤間関で集い兵を起こした。

1470年12月 驚いた大内政弘は陶弘護(すえひろもり)を周防へ帰国させ益田兼尭・貞兼と共に反大内軍・大内教幸を攻め津和野へ追放した。
 このことが後に陶弘護が刺殺される事へ繋がるのである、吉見信頼が主君の叔父・大内教幸を追い出せる訳もなく津和野でかくまう事になる。
1471年11月7日 益田貞兼は反乱軍を匿ったとして吉見方の豊田城・赤城を攻略した、さらに9日には陶弘護(すえひろもり)が嘉年城を猛攻し攻め落とした。
1471年12月 陶弘護(すえひろもり)は津和野から逃走した大内教幸を豊前馬岳城で討ち取り、反乱軍へ荷担した筑前の少弐頼忠を攻め大宰府(だだいふ)から追放し北九州を制圧した。

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