岡 盛福(おか もりふく) ?〜?
通称 壱岐守
居城 中曽野徳永城(なかそのとくながじょう)
坂崎直盛の三本松城改修の費用の為、莫大な税収を要求され民衆の意見を汲み取り反旗を翻し、父・隆信へ坂崎直盛に謀反をするよう促す、1601年には徳永城へ兵180人で篭城、兵がしだいに投降する中、兵に紛れて逃走結局、徳永城は1601年11月16日に開城した父・隆信は僧侶に服して降伏する中、盛福は片又村に姿を暗ます、1616年に坂崎直盛が自害すると1619年に中曽野へ戻り、時の藩主・亀井政矩に米を寄進し地主として父と共に地域に貢献する、子孫には国学者の岡熊臣がいる。
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