徳山のお殿様を訪問

11月に入り前に公演に招いて頂いた「安芸・毛利一族HP」を運営する福原さんの招きで、徳山毛利氏の直系・毛利さんに招待を受けた、自分と福原さんを始め地元山口の守屋さん・岐阜県の笠松さん・長野県の別所さんと「城巡りファン」の方が日本全国から集まった、一堂は徳山駅に集まり福原さんの車で徳山カントリークラブに赴いた、自己紹介もほどほどに現地に着くと社長の毛利さんと我々を招待して頂いた重役の毛利さんが忙しい合間を縫って合って頂き挨拶を交わした、メチャクチャ緊張している、人生でこれほどワクワクした緊張をするのは始めてだろう、そっそく重役の毛利さんに案内され昼食を摂る、毛利さんは若く爽やかな方でした(^^)自分はもっと貫禄のある方と思っていたので少し安心、気さくに自分達に話しをして頂、自分の先祖が作った中国地方の歴史の話しに花が咲く、ここは最年少のTaiki緊張して頭の中が真っ白(^_^;)そうこうしているうちに昼食会も終わりさっそく陶氏の菩提寺に行く、その門構えは毛利さんが寄贈されたらしく物凄い立派な門が立つ(約2億円と言う)(・・;)福原さんとどうにかして陶長房の墓を探るが分からずじまい、その後、毛利さんの先祖が建てた建築や歴史文化財になっている跡地などを見て周り毛利さんの先祖、徳山毛利の墓所にに趣珍しい形式の墓所を見学、

そして徳山美術館では一般人ではレプリカしかお目に掛かる事のないお宝を我々に特別に見学させて貰う、巨大な金庫の扉を二つも開けると空調管理の行き届いている個室へとたどり着いた・・・もはや圧巻である・・毛利元就の書状から元春・隆景の書状と吉田郡山城の見取り図など・・・時下数億円の価値はあるだろうお宝が所狭しと保管してあった(・・;)自分は恐れ多くて写真は取れなかったが他の人は書状を解読して貰う為、撮っていた・・この手の書状はまず普通ではお眼に掛かれない、何故なら深い意味のない書状だからだ、専門本で取り上げてないのである、やはり元就は「お手紙おじさん」である、色んな書状が保管してあった、(・・;)凄すぎて実感が沸かなかったくらい、その後は山崎興盛の沼城と陶晴賢の富田若山城へ登った

その後、毛利カントリークラブに戻り「ふぐ鍋」をご馳走になり、自分は日帰りで帰宅した、本当、大変貴重な経験をさせて貰い、毛利さんには感謝のお礼が思い浮かばない、普段は東京へ居られるのでしょう、丁寧に対応して頂ありがとうございました、また地元の守屋さん・岐阜の笠松さん・長野の別所さん、そしてこの場に導いてくれた福原さんありがとうございました、因みに徳山毛利の毛利就隆と西石見の繋がりは・・・ありましたよ(^^)吉見家臣・下瀬頼直が関ヶ原後に徳山毛利の毛利就隆に300石で仕えています。  (04/11/13)

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