下瀬 頼直(しもせ よりなお) 1565〜1642.7.13  享年  76歳

通称  七兵衛  加賀守
居城  日原下瀬山城(にちはらしもせやまじょう)
 


頼郷の孫、1592年吉見元頼と共に朝鮮出兵に行き下瀬文書を書く、頼直が残した「下瀬文書」の中の天候を書き綴った文は、明治27年に起きた「日清戦争」での参考文書となる等、未来の日本の戦争を左右した文書でもある、1594年には吉見広長と共に第二次朝鮮出兵し南原で大軍に囲まれた吉見広長を救出した、1600年の冬には主家と運命を共に防長へ移り転々とし1610年に防府の毛利就隆へ300石で仕えた。

下瀬氏
本家 吉見頼行 2代 吉見頼直
下瀬・初代 下瀬頼右 2代 下瀬頼勝 3代 脇本頼綱

4代 下瀬頼豊 5代 下瀬頼重 6代 下瀬頼郷 7代 下瀬頼定
次男 下瀬頼金 頼金の子 下瀬頼宣

8代 下瀬頼直
次男 下瀬市進
三男 下瀬頼盛

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