父の死と禁じ手・・陶 武護      もどります。

1495年2月28日 山口館事件以来、重臣として名を挙げた内藤弘矩・弘和は急激に大内評定で発言力を高め、譜代からの直臣だった陶弘護(すえひろもり)の嫡男・陶武護(すえたけもり)(陶興房の兄)はこの内藤勢力の拡大を恐れ、嘘の讒言「内藤弘矩が大内政弘の子・大内高弘の擁立を画策している」と言う噂を流し、内藤弘矩(ないとうひろのり)親子は株殺された、陶武護(すえたけもり)享年 19歳。
 この事件は内藤弘矩・弘和が陶武護の讒言によって殺されたが、後に大内義興が真相を暴き陶武護も株殺されると言う、名門や大勢力には必ずあった家臣の勢力争いなのである、直、陶氏の家督はその後、陶興房へ継がれる、内藤氏の家督は内藤弘矩の弟、内藤弘春が継ぎ、その後・内藤興盛が継ぐ。

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