須懸 忠高(すがけ ただたか) ?〜?
忠朝の子、父の後を継ぎ四ッ山城主となる、1570年、主家の三隅隆繁が毛利氏(益田氏)へ反旗を翻すと、攻めて来る毛利軍・大友氏・熊谷氏・佐々田盛時の軍勢500人と戦ったが敗北し8月29日に自害した。