周布 晴氏(すふ はるうじ) ?〜1570年  


武兼の側室の子で元兼の従兄、1569〜1570年に掛けて毛利領内が乱れると三隅国定に謀叛を促され、当主・元兼の居ない隙に周布家を乗っ取り家臣団を纏めると1570年4月、浜田石川の合戦で吉川元春へ惨敗を喫し、そのまま周布鳶巣城へ攻めて来た吉川軍に抵抗するものの周布家臣団から三宅氏が内応した為、攻められ戦死した。

周布氏
本家五代 益田兼李 六代 益田兼時
初代 益田兼定 二代 益田兼政 周布へ改名 周布時兼 ・・・・

貿易で富を築く 周布和兼 11代 周布元兼 12代 周布興兼 13代 周布武兼

14代 周布元兼 15代 周布元城
従兄 周布晴氏


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