周布 武兼 (すふ たけかね) ?〜?  


14代元兼の父、1524年には石見の益田系豪族を纏めて仲裁するなど外交力に目を見張るものがあった、1540年に尼子晴久が周布井野村へ攻めて来た時は石見豪族を一致団結させ自身は周布の地を案内し撃退した、1548年に家督を譲り隠居した。


周布氏
本家五代 益田兼李 六代 益田兼時
初代 益田兼定 二代 益田兼政 周布へ改名 周布時兼 ・・・・

貿易で富を築く 周布和兼 11代 周布元兼 12代 周布興兼 13代 周布武兼

14代 周布元兼 15代 周布元城
従兄 周布晴氏

周布大斬りへ戻ります。