須子 英明(すこ ひであき) ?〜? 享年 ?歳
通称 源五郎 居城
萩三見郷を支配、1551年に討たれた間田隆盛の子・安弘を三見村で匿う、後に須佐の益田兼貴の侵略に耐えかね、1554年3月8日付けで、大内家臣(陶派)・内藤隆世に須佐の益田兼貴に須子氏の所領を侵略しないようと文で警告をして貰う、この時点では須子英明は陶派として偽り、三見郷を陶軍に攻められるのを防ぐ、1557年には吉見領として確立され、三見の地頭として活躍した。