須子 秀国(すこ ひでくに) ?〜?  享年  ?歳  

通称  若狭守
居城  奈古櫛崎山城(なごくしざきやまじょう)
   


出雲月山富田城の合戦で吉見方として活躍し1543年に奈古櫛崎山城(なごくしざきやまじょう)の城主に任命される、1547年に奈古村の鶴ヶ嶺八幡宮を再建、1554年3月に「津和野合戦」の時に奈古櫛崎城を益田兼貴・寺戸兼勝に落とされるが、1556年「鷲江山」(現在の奈古櫛崎城)の戦いで毛利元就から城もろとも奈古の安堵権を貰い奈古櫛崎城は奪回した、しかし「鷲江山」の戦いには何故か秀国は参戦していない。

奈古櫛崎山城、周辺には激しい合戦が旅重なったのか古墓が並ぶ。  鶴ヶ嶺八幡宮(つるがみねはちまんぐう)秀国が再建した。

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