須子 宗陳(すこ そうじん) ?〜?  

通称  長門守
居城  桜村屋敷(所在地不明)
   


宗陳は津和野合戦で活躍し陶軍に夜襲を掛け吉見正頼から感状を貰っている、分家として須子秀国が居る、「夜襲の長門」と言う異名を持つ、因みに宗陳が夜襲を仕掛けた地域は柿木村の「夜打春」(ようちばら)と言う地名になっている。

柿木の夜打春(ようちばら)この周辺で宗陳の夜襲が炸裂した。

夜打春(ようちばら)・・・現在では夜打原とも言われる、因みに分析すると、夜襲の「夜」・討ち入る「打」・春(4月頃)に行われた「春」と言う名付けになっている、しかし残念ながら地元の夜打春では宗陳の武勇はまったく語り継がれていない。

須子氏
初代 須子宗詮 2代・戦死 須子頼宗
3代・次男 須子頼続 4代 須子宗重

5代 須子宗陳 6代 須子興盛 7代 須子頼重 8代・生田氏へ改名 生田重雅

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