竹内 頼時(たけうち よりとき) ?〜?  享年  ?歳

通称  豊後守  勘左衛門  甚左衛門
居城  迫椿ヶ城(さこさばきがじょう)


1554年の六日市一掃戦では父・弘時と指月萩尾城へ篭城するも城は落城、文禄年間(1592〜95)迫椿ヶ城に在城した、その後は徳佐の椿郷を支配し名字を「椿」と改名した、椿家は大庄屋として徳佐を治めた事が「阿東町の遺跡」に綴られている。

竹内氏
本家 吉見直頼 4代 吉見弘頼
竹内・初代 竹内直信 2代 竹内頼勝 3代 竹内頼次
次男 村上定勝

迫椿ヶ城(さこさばきがじょう)高い位置にあり六日市一望を見渡す事ができるらしい。

4代 竹内弘時 嫡男 竹内頼時 ・・・
次男 竹内元正
村上定邦 村上定次 ・・・

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