嫡男・政久の戦死、怒れる経久・・尼子 経久   

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尼子軍は経久の嫡男、政久を大将に桜井宗的が篭る阿用磨石城を攻めるが堅城の為、政久は持久戦に持ちこんだ。
政久は兵士の疲弊を癒す為、櫓に登って得意の「横笛」を披露していた。
その時、宗的がたまたま笛の音色を聴きつけ政久が笛の名手だと知っていた為、確信をし闇に乗じて笛の音色目掛けて矢を放つと政久の喉を貫き即死した。尼子政久、享年26歳。
それを知った経久は怒り、尼子本軍を自分で指揮し国久が率いる新宮党や亀井秀綱・牛尾幸清そして若かりし宇山久兼も加わり7000人の兵で攻め込み阿用城の兵士は滅殺され、城主の桜井宗的は炎の中に飛び込み自害した。
ある書類には政久は一国の将の行動としては軽率でたいした武将ではないとする者もいるが、それは誤りであり「花実相応の大将」と周りから賞される武将であり、兄弟の中では有逸、政治力や智力を備えた武将で経久は大いに悲しみ、家督を弟の尼子久幸に譲ろうとしたほど精神的に響いた出来事だった。

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