元就、策を見透かされる・・尼子 経久  戻ります。   

1523年6月13日、元々乗り気でなかった毛利元就を味方に付け経久は安芸の鏡山城を攻めていた、尼子軍は毛利元就を筆頭にする軍が激しく攻めていたがなかなか落ちなかった為、元就が調略を計り城主の叔父、蔵田直信を計略し二の丸を通って本丸を攻めた為ついに、落城、城主、蔵田房信は自害した、しかし無断で諜略を計った元就を経久は許さず、甥を裏切った蔵田直信の首を刎ねる、元就は少なからず煮え湯を飲まされたはずである。
ここでは毛利元就の諜略が見事に決まり、周りの豪族は元就を絶賛したが、この諜略は「毛利家が大内側と繋がってなければ実行できる諜略ではない」と戦後軍議で経久が言い元就の鮮やかな諜略を完全に覆した、一変し窮地に立たされ大勢の武将の前で恥じをかかされた元就は苦虫を噛み潰したと言う、そんな分けだから蔵田直信は許される事はなく首を刎ねられる、元就の手の内を完全に見透かしたのは、生涯で経久ただ一人である。

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