山口高峰城(やまぐちこうのみねじょう) 山口市内にある有一の城、何故山口市内に城がないか?と言うと、山口は大大名・大内氏の中心部であり、戦国期もここまで敵が侵入してくる事は考えられなかった為と思われる、それほど大内氏は強大だったし、現に戦国期に大内義興は西国の大名達に号令を掛け、15万とも言われる兵で京へ攻め込んでいる、この城も実質、大内氏末期の1557年に内藤隆世の助言によって大内義長が作くり、完全に築城し終わったのは毛利氏の代になった時だった、大内義興は焼け野原になった山口市内を黄泉の国からどのような気持ちで見守っていただろうか。
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