山口館事件・・吉見 信頼          戻ります。

正頼の父の兄、吉見信頼は大内家臣であったが、応仁の乱の時、主家に反旗を翻して大内軍・陶弘護(すえひろもり)に敗れ、吉賀地方・長野地方・北九州の領地を没収され宿敵の益田貞兼や大内家臣へ渡土されたのが相当許せなかったらしく、その後もしばらく長門へ軍勢を送ってみたり威嚇したが兵力が及ばず合戦までには至らなかった。
1482年5月27日 山口館での宴会の時、玉砕覚悟でにっくき陶弘護(すえひろもり)を吉見家・家宝の短刀・「鵜噬」(うぐい)を使い刺殺する、信頼は直ぐさま内藤弘矩によってその場で切り殺されたが、その衝撃的な事件は大内家臣を動揺させた、信頼は自分が死ぬのを確信しており、山口へ立つ少し前に弟の吉見頼興に家督を譲っている、頼興も陶氏の報復を確信して吉見家の書物を処分し粉砕覚悟で心身を固めたが、応仁の乱の直ぐ後と言う事もあって報復は行われなかった。   陶弘護(すえひろもり)・・享年28歳
正頼の生まれる30年ほど前に吉見家は断絶の危機を乗り越えたお家柄なのである、正頼の父・頼興の奔走により、吉見家の地位もそれなりに回復した。

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