横田 頼助(よこた よりすけ) ?〜? 享年 ?歳
通称 吉見越後守 越後守 興四郎
居城 七日市能美山城(なのかいちのうみやまじょう)
頼綱の父、妻は吉見隆頼の娘、吉見越後守として文では名乗る、1533年9月12日付けで七日市能美山城の城主として江良正信の間者5人を捕らえ切り吉見隆頼から感状を貰う、1546年7月11日付けで吉見正頼より能美山城の城主としての激励の書状を貰う。
本家 | 吉見頼行 | → | 2代 | 吉見頼直 | ||||||||||||
→ | 横田・初代 | 横田頼拳 | → | 2代 | 横田氏頼 | → | 3代・能美山城主 | 横田詮頼 |
→ | 4代 | 横田頼有 | → | 5代 | 横田頼継 | → | 6代 | 横田範直 | → | 7代 | 横田頼秀 |
→ | 8代 | 横田頼助 | → | 9代 | 横田頼綱 | → | 10代 | 横田秀正 | → | 11代 | 横田頼清 | → | 12代・庄屋 | 横田正直 |