横田 頼綱(よこた よりつな) ?〜?  享年  ?歳

通称  与四郎
居城  七日市能美山城(なのかいちのみやまじょう)


1550年・秋の「正頼暗殺未遂事件」では父と共に吉見成廉を監視する、六日市一掃戦においては江良軍300騎の兵が能美山城を攻める頃には800騎まで増幅していたと言う、1554年2月25日に江良房栄に偽りの降伏をして、津和野三本松城に引き上げ、3日後には七日市能美山城に兵を二十三十と巡らし守将、江良房栄の子・江良正信(端土)を自害に追い込む、曾孫の正直は七日市の庄屋となる。

七日市能美山城(なのかいちのみやまじょう)この城で江良正信を策略にハメ、江良軍の攻撃を撃退する

横田氏
本家 吉見頼行 2代 吉見頼直
横田・初代 横田頼拳 2代 横田氏頼 3代・能美山城主 横田詮頼

4代 横田頼有 5代 横田頼継 6代 横田範直 7代 横田頼秀

8代 横田頼助 9代 横田頼綱 10代 横田秀正 11代 横田頼清 12代・庄屋 横田正直

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