吉見 弘景(よしみ ひろかげ) ?〜?
通称 宮内少輔
居城 田丸横山城(たまるよこやまじょう)
正頼の大叔父、1485年に大津郡日置村を知行し家臣の元服に立ち会う、弘景が住んだ地域は「殿明」(とのみょう)として地名にもなっている、弘景の側近には後藤三郎・落合左近と言う腕の立つ者がいて柿木・大野原を支配した、吉見家臣団でも一門の最上位に名前があり長く吉見一族として活躍した長老、1540年の吉見本家家督相続の時は東光院周信(正頼の兄)を推すも下瀬頼郷・上領頼兼・横田頼助に退かれた、1550年・秋に起きた「正頼暗殺未遂」では正頼暗殺計画を企てるも正頼は自分にも非があると感じた事からなのか処罰なしとなったのだろう。
兄・高津氏の祖 | 吉見成世 | ||||||||||
7代 | 吉見成頼 | → | 8代 | 吉見信頼 | |||||||
次男・石塔ヶ原 | 吉見宗頼 | → | 次男・9代 | 吉見頼興 | → | 長男 | 吉見成興 | ||||
三男・大野原 | 吉見弘景 | → | 枕瀬 | 岸田頼貞 | → | 次男・10代 | 吉見隆頼 | ||||
→ | 広石 | 吉見成廉 | → | 三男・坊主 | 伝法寺威俊 | ||||||
→ | 朝倉 | 吉見頼安 | → | 四男・坊主 | 東光院周信 | ||||||
→ | 五男・11代 | 吉見正頼 | → | ||||||||
→ | 六男・家老 | 吉見頼盛 | |||||||||
→ | 七男・矢 富 | 吉見頼員 | → | ||||||||
→ | 八男・指 月 | 吉見頼実 | → | ||||||||
→ | 九男 | 吉見範弘 | |||||||||
→ | 落胤・大 井 | 伊藤頼俊 |
→ | 12代・嫡男 | 吉見広頼 | → | 13代 | 吉見元頼 | |
→ | 次男・14代 | 吉見広長 | ||||
頼員の子 | 吉見隆宗 | → | 長女 | 吉見矢野子 | ||
→ | 吉川広家の三男、養子・15代 | 吉見就頼 | ||||
頼実の子 | 吉見頼重 |