吉見 元頼(よしみ もとより) 1574〜1694.6.12 享年 21歳
通称 次郎兵衛
居城 津和野三本松城(つわのさんぼんまつじょう)
広頼の嫡男、妻は吉川元春の娘、18歳の折に病弱な父に代わって「朝鮮出兵」に参加、1594年5月中旬に朝鮮出兵が終わり津和野へ帰ったのだが、流行病に掛かり同年6月12日に亡くなる、朝鮮死亡説があるも誤りである、墓は津和野・永明寺にあったらしいのだが亀井氏の時代に行方不明になった。
兄・高津氏の祖 | 吉見成世 | ||||||||||
7代 | 吉見成頼 | → | 8代 | 吉見信頼 | |||||||
次男・石塔ヶ原 | 吉見宗頼 | → | 次男・9代 | 吉見頼興 | → | 長男 | 吉見成興 | ||||
三男・大野原 | 吉見弘景 | → | 枕瀬 | 岸田頼貞 | → | 次男・10代 | 吉見隆頼 | ||||
→ | 広石 | 吉見成廉 | → | 三男・坊主 | 伝法寺威俊 | ||||||
→ | 朝倉 | 吉見頼安 | → | 四男・坊主 | 東光院周信 | ||||||
→ | 五男・11代 | 吉見正頼 | → | ||||||||
→ | 六男・家老 | 吉見頼盛 | |||||||||
→ | 七男・矢 富 | 吉見頼員 | → | ||||||||
→ | 八男・指 月 | 吉見頼実 | → | ||||||||
→ | 九男 | 吉見範弘 | |||||||||
→ | 落胤・大 井 | 伊藤頼俊 |
→ | 12代・嫡男 | 吉見広頼 | → | 13代 | 吉見元頼 | |
→ | 次男・14代 | 吉見広長 | ||||
頼員の子 | 吉見隆宗 | → | 長女 | 吉見矢野子 | ||
→ | 吉川広家の三男、養子・15代 | 吉見就頼 | ||||
頼実の子 | 吉見頼重 |