吉見 成廉(よしみ なりかど) ?〜1550  

通称  上総介
居城  広石次郎丸城(ひろいしじろうまるじょう) 
  


居城を廃城にして石垣を久保屋敷に使った、広石街道を整備した事でも有名、1550年・秋に吉見正頼暗殺計画の首謀者として長嶺宗久により殺害された、因みに反逆人として正規の吉見家系図には記載されていない。

五郎丸城の直ぐ隣にある次郎丸城、上杉五郎丸とは関係はないのだろか

吉見氏
兄・高津氏の祖 吉見成世
7代 吉見成頼 8代 吉見信頼
次男 吉見宗頼 次男・9代 吉見頼興 長男 吉見成興
三男・大野原 吉見弘景 枕瀬 岸田頼貞 次男・10代 吉見隆頼
広石 吉見成廉 三男・坊主 伝法寺威俊
朝倉 吉見頼安 四男・坊主 東光院周信
五男・11代 吉見正頼
六男・家老 吉見頼盛
七男・矢 富 吉見頼員
八男・指 月 吉見頼実
九男 吉見範弘
落胤・大 井 伊藤頼俊

成廉の謎
 成廉(上総介)は本当にそのような事件を起こそうとしたのか?とする文献もあるが、「上総介が次郎慢(広石次郎丸城)を解体し屋敷の石垣に使った」と言う文も残っており、その麓にも成廉一族の墓石もあったと言う、やはり一族は滅殺されたのだろう、吉見家系図の換算は凄まじく解読は困難だが、正頼の当主の間または以前に余りにも膨大な事件が絡み、そのまま系図を残す事は不名誉な事とその後の者が考えたのが換算の理由なのだろうか・・。

12代・嫡男 吉見広頼 13代 吉見元頼
次男・14代 吉見広長
頼員の子 吉見隆宗 長女 吉見矢野子
吉川広家の三男、養子・15代 吉見就頼
頼実の子 吉見頼重

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