吉見 成頼(よしみ なりより) ?〜?  

通称  三郎 三河守
居城  津和野三本松城(つわのさんぼんまつじょう)


正頼の祖父、1457年に大内軍に加担し安芸・武田信賢を攻める、1471年におきた「大内教幸反乱」では陶弘護に謀られ、三隅氏・周布氏・福屋氏も同盟に参加させるも益田貞兼に分断され大内教幸を庇ったばかりに、美濃地・黒谷地方を益田貞兼へ強制的に渡土させられた、さらに豊前の貫庄・紫見村と筑前の領土も没収、陶弘護には東長門の生雲・嘉年付近まで攻め取られ、益田貞兼には高津・安富・須子・虫追・横田・神田・向横田まで攻め取られる、子・信頼が「山口館事件」を起こすと室町幕府へ出仕し幕府の仲介を仰ぎ大内軍の津和野体伐戦を中止させた、ちなみに津和野体伐戦を中止する合図に成頼の元へ狂剣「鵜噬」が返却された、1489年には京都でもこの事件が話題になった、因みに1455年没の説があるがそれは吉見頼世だと言う説が有力、因みに頼世は成頼の叔父にあたる。

吉見成頼の花押(吉見成頼の花押)

吉見氏
兄・高津氏の祖 吉見成世
7代 吉見成頼 8代 吉見信頼
次男・石塔ヶ原 吉見宗頼 次男・9代 吉見頼興 長男 吉見成興
三男・大野原 吉見弘景 枕瀬 岸田頼貞 次男・10代 吉見隆頼
広石 吉見成廉 三男・坊主 伝法寺威俊
朝倉 吉見頼安 四男・坊主 東光院周信
五男・11代 吉見正頼
六男・家老 吉見頼盛
七男・矢 富 吉見頼員
八男・指 月 吉見頼実
九男 吉見範弘
落胤・大 井 伊藤頼俊

12代・嫡男 吉見広頼 13代 吉見元頼
次男・14代 吉見広長
頼員の子 吉見隆宗 長女 吉見矢野子
吉川広家の三男、養子・15代 吉見就頼
頼実の子 吉見頼重

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