吉見 頼興(よしみ よりおき) 1460〜1532.4.12  享年 73歳

通称  次郎 頼見 頼利 大蔵大輔 治部少輔 三河守 徳陽
居城  津和野三本松城(つわのさんぼんまつじょう)


兄の死後、吉見家を盛り上げた苦労人、1470年の時に若くして吉賀の「愛宕神社」を再建し50石を寄進するなど、信仰も高い、1482年に家督を継ぐと一族滅亡を覚悟したが父・成頼の計らいで滅亡は免れた、1487年には能登の本家吉見氏と共に石見からも将軍・足利義尚の軍に参加した、その功もあり1490年にはどうにか足利将軍から吉見本領の安堵して貰う、1495年には益田貞兼と黒谷・美濃地の領地を巡り陶興房が仲裁、この年筑前・大宰府にも少弐政資の戦いに参戦、1501年にも豊前に参戦し大友親治・少弐資元連合軍を攻撃、1509年には大内義興と共に山城へ出兵、1511年の「船岡山合戦」においても活躍した、1516年に将軍亭御所門を警備、1521年4月日原の三渡八幡宮に社領4石を寄進、1523年には大内軍に従い厳島神主を強引に就任しようとした友田興藤を攻撃し「桜尾城」の城番を任される、これらの活躍で元吉見領の長門、吉田正継は領地5000石を吉見頼興へ返還したと言う。

三渡八幡宮  当時11歳の頼興も参拝した、柿木愛宕神社。

吉見氏
兄・高津氏の祖 吉見成世
7代 吉見成頼 8代 吉見信頼
次男・石塔ヶ原 吉見宗頼 次男・9代 吉見頼興 長男 吉見成興
三男・大野原 吉見弘景 枕瀬 岸田頼貞 次男・10代 吉見隆頼
広石 吉見成廉 三男・坊主 伝法寺威俊
朝倉 吉見頼安 四男・坊主 東光院周信
五男・11代 吉見正頼
六男・家老 吉見頼盛
七男・矢 富 吉見頼員
八男・指 月 吉見頼実
九男 吉見範弘
落胤・大 井 伊藤頼俊

12代・嫡男 吉見広頼 13代 吉見元頼
次男・14代 吉見広長
頼員の子 吉見隆宗 長女 吉見矢野子
吉川広家の三男、養子・15代 吉見就頼
頼実の子 吉見頼重

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