マドラー

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 空に浮かぶ大きな星の縞模様を見上げながら、男はたった一つの荷物であるトランクを開いた。トランクは移送用のシリンダーが四本収まるのにちょうどいい大きさで、彼はそれを一本一本と取り出した。手早く済ませなければならない。シリンダーには火星産の苔が入っていた。乾燥と暑さに強い種だ。きっとこの星の環境でも耐えられるだろう。
 彼は自分が念入りに選んだ「荷」が硫黄の匂いがする風にのって散っていく様を見ていたが、やがて地面に視線を落とし、空になったシリンダーに何かを詰め始めた。この星の何かを。

-2-

GROGGY KEROG'S GROGS

<<美味い食事と酒、最高の喧嘩の店>>

*素敵な女性はお客様御自身で用意ください*

「ここは酒場ですぜ、ダンナ」
 今日も『GROGGY KEROG'S GROGS』では、荒くれ者が入れ代わり立ち代わり一杯ひっかけては去っていく。そんな中、現れたその客は明らかに場違いだとエイプルバーガーは思った。そいつは注文もせずにいきなりソリッドグラフを展開したものだから、彼が男に一言言ってやったのは、酒場の主として実に正しい行動であった。
「そうだな、すまない」
 男はちっともすまないなどと思ってやしないといった様子でそういうと、店のメニューに一瞥くれてから一番安い酒をジョグに一杯だけ注文してよこした。そうしておいて、エイプルバーガーが出したジョグに口もつけずに切り出した。
「この男を見かけなかったか?」
 ソリッドグラフの人物をちらと見て、エイプルバーガーはそっけなく言った。
「何しろここは中継地なんだ……一日に何十人も来る客の顔までいちいち覚えてませんや。アンタの顔だって十分後には忘れてますぜ」
 そのダンナはそれを聞くと、ジョグを手つかずで残したまま店から出ていった。
 酒場の主はジョグを下げながら呟いた。
「……うちに用があったわけじゃねぇのか。全く心臓に悪いったらないぜ」

-3-

「どうでした? 警部」
 幾つかの酒場や宿を調べてから戻ってきたバロックリック警部は部下の言葉に首を振った。
「一体、どこに潜んでいるんでしょうかね?」
「奴が火星を出たのは間違いがないんだ。地球側の網にかかったという情報はない。アステロイドに隠れているのはほぼ間違いないと思うんだがな」
 バロックリックは今出てきたばかりの酒場を窓越しに見ながら言った。
「どうにも非協力的な輩が多い」
「ここの連中は惑星間を飛び交う船を相手に商売して生活していますからね。客を売りたくないのかもしれませんよ」
「だがな、こいつは商人や運送屋じゃない、学者先生だぞ。何度も客としてこんなとこに来そうな奴じゃないんだ。たとえ変装してたとしても、海千山千の連中が騙されるわけがない。奴ら商売になるかどうかだけはあっという間に見抜くんだからな」
 二人は改めてソリッドグラフに映る男を確認した。細身だが眼光は鋭い。
「生物学の異端児、キューブ博士か。学会で持論を振り回しているだけなら問題なかったが、実行に移したとなりゃこいつは重犯罪者ってわけだ。
 さあ、聞き込みを続けるぞ。早いとことっ捕まえなけりゃならん。それはそうと、三課に連絡しておけ。密輸食材をあつかっている店があるとな」

 小惑星帯にはいくつかのコロニーがある。火星と木星を繋ぐ重要航路の中継地として、行き来する船のクルーが一服するのに適した酒場や仮宿が商売として成り立っているのだ。
 どの惑星系にも属しておらず、特定の監査機関もないために、許可を得ていない店――いわゆる闇営業も多い。違法取引の舞台であり、犯罪者の隠れ家にはもってこいの場所なのだ。要するに、密航するような輩が息を潜めて船を待っている可能性は高かった。

-4-

「変な奴だったぜ。イオへ行きたいって言ってたな。あすこに用事も何にもねぇだろ、普通はよ」
 木星系のイオは火山性の衛星で、それぞれの星の環境や生態系を保護するために定められたアンチ-フォーミング条例を記念する特別保護区に星全体が指定されて12年ほどたっていた。いわゆる入植地ではないため、コロニーも存在しない。あるのは監視員のための小さなバラックだけだ。
「俺は運送屋だからよ、積荷の配送先以外には行けねぇっていったんだ。だけどそいつは随分粘ってたな。ちょっとだけ寄り道してくれってね。いや、配送時刻が決まってるからな。断ったさ、当然。
 荷物? 奴のかい? ええと……そうだ、たしかトランク一つだけだったぜ。
 なあ、そろそろ行っていいかい? 配送に遅れるわけにゃいかねぇんだ」

 バロックリックが礼をいいながらソリッドグラフを閉じると、運送艇はもう急いで小惑星から飛び立ったところだった。イオと同じ木星系の衛星カリストへ向かうのだという。カリストには木星系最大の人口を抱える集合コロニーがあるのだ。
「目的地はイオらしい。だが、もう移動しちまってるかもしれんな。
 しかし思っていたよりも荷が小さい。もっとでかくやるつもりかと思っていたが……」

-5-

 『GROGGY KEROG'S GROGS』の亭主はカウンターの隅で料理の皿をつついている客を横目で観察していた。初めて来る客だ。腕っぷしはなさそうだが、良く知る荒くれ者どもに負けず劣らずの雰囲気をじわりと醸し出している。おそらくは屈強な意志の持ち主だろう。しかし、どこかで見たことがあるような気がするのだが……彼は思い出せなかった。
 男は皿の中の食材を細かくより分けていた。
「……火星の砂魚、地球のフルサト人参、こっちはなんだ? 土星系のマムベリーじゃないか。たしか先日禁輸対象に指定されたと思ったが」
「それよりも前に入荷したんですよ。塩漬けになっているでしょう、日持ちするんでさ」
 エイプルバーガーは小声で客に言った。「変な言いがかりはやめてもらいたいですな。店のイメージが落ちちまう」
 男はそれには答えず、今度はより分けた食材を再び混ぜ始めた。エイプルバーガーは自分が作った料理をそんな風にされて露骨に嫌な顔をしたが、どう食うかは客の自由だ。代金をすでに受け取っていたので、彼は何も言わなかった。
「うまいな。実にうまい。
 太陽系各地の食材がこうやって合わさり、混ざり合って見事な料理となる。誰だってわかっていることだ。ところが連中はそこに目を向けやしない。各星をそれぞれ分け隔てることを是としている。融合を汚染と呼び、恐れているのだ。実にバカげている」
 料理を口へ詰め込みながら、男は横の席においてある自分のトランクに目をやった。

 次は地球へ行って、こいつをぶちまけてやるのだ。正直、宇宙に小石を放り出すようなささやかなものだが、大掛かりにやってはすぐに足がついてしまうだろう。細かく何度も行うしかあるまい。男はその次の工程、つまり地球から何を持ち出してやろうかと思考を巡らせた。やはり植物だろうか、それともウィルス……。

-6-

 彼の口の中で料理は咀嚼され、皿に載っていた時以上に混ざり合いながら臓腑へと落ちていく。やがて彼は食事を終え、席を立つと『GROGGY KEROG'S GROGS』から出ていった。ここは小惑星だ。店を出て空を仰げば星界が広がっている。人類は地球という枠を超えてここまで来るだけの技術を得た。それは進化だ。かつて人類は知恵の実を喰って楽園から追放されたが、それも彼に言わせれば進化だった。人間は徐々に版図を広げていく。楽園を出た彼らは陸を伝い、海を越え、そして今宇宙へと出た。全ては神より与えられた可能性の内だ。神がそのように人間を造ったのだ。

 アンチ-フォーミング条例だかなんだか知らんが、実に下らん。人類の存在意義に反す、不可解極まりない勘違い法だ。

 キューブ博士にとって世界は混ぜ合わせるべく用意されたものだった。鳥や虫だって種子や花粉を運ぶ。あらゆる生物が程度の差こそあれ、そうやって生きているのだ。人類がそれをしないでいいわけがあろうか。過去人類の入植によって起きた生態系の破壊、そして結果起きた絶滅とて、彼の言わせれば当然あたりまえの流れだった。自然はかき回され、常に姿を変えていくべきなのだ。

 そして宇宙時代の今、星を渡る技術を得た人類だけがその力を持っている。その我々が働かなくて何とする。停滞をこそ、避けなければならない。
 彼は神に従う孤独な使徒だった。本来の使命を忘れた人類を憂い、一人奮い立っているのだ。  


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