英雄特区

 ヒーローの朝は早い。目覚ましが4時に鳴りだすと同時にアラームを止めた。むくりと身を起こし、日課のトレーニングを行うために家を出る。トレーニングの様子を公開することは支持を得るためには悪くない。誰だって怠け癖のあるヒーローなんて嫌だろう。だが、おおっぴらに手の内を明かすのはナンセンスだ。だいぶ前にランキング3位だった奴が、トレーニング中継を分析されて返り討ちにあったことがあった。それに自宅でのトレーニングを公開してた愚か者が就寝中に襲撃を受けたってケースもある。だから自分はこうして毎日トレーニングを行う場所を変えているってわけだ。
 地味な基礎鍛錬を中心にすることで、必殺技の傾向や分析をさせない方針ではあったが、意外にも市民様のウケは悪くない。真面目な印象と、地金の強さのアピールができているようだ。ヒーローというとどうしても派手で見栄えがいいほうがウケるというイメージがあるかもしれないが、ヒーロー制度を取り入れて長いこの市では、格好だけであっというまに淘汰されていくヒーローなんてものは、それこそ何百人、もしかしたらもうすでに千人を超えているかもしれない(役所のヒーロー課にいけば、長々としたリストを見せてくれるだろう)。ヒーローとはいえ、気を抜けばあっという間に倒されてしまうのがこの街だ。当然、市民様の目も肥えている。
 トレーニング中継を終えたら、家へ戻って熱いシャワーで汗を流してから朝食だ。パンを焼きながら、ざっと今日のランキングに目を通す。5位に自分の名前があった。悪くない。少し焦がしたパンをかじりながら、そのままギルティの情報まで目を通す。ギルティってのはそのカテゴリー名の通り、「有罪」な奴らだ。通常の犯罪者のみならず、こいつらギルティたちもヒーローが相手にしなけりゃならない敵だ。ヒーローたる者、日々正義の実績を積まなければならない。サボってるとあっという間にランキングに影響するシステムだ。
 とはいえ、ヒーローもギルティも似たようなものだ。特異体質だったり、超能力持ちだったり、あるいは滅茶苦茶に鍛え上げた体術だったりするが、要するにランキング10位までがヒーローで、それより下はギルティ扱いなのだ。ヒーローであれば法で裁く側、ギルティは裁かれる側なのである。その命運を分けるランキングは、市民の皆様による支持率によって更新される。毎日投票があり、翌朝4時に更新されるというわけだ。昨日までヒーローだった10位が、次の朝には狩られる側になっているなんてことも日常茶飯事だ。だから10人のヒーローたちは常日頃から自分をよく見せることに余念がないというわけ。少しでも良い印象を持ってもらわないと、待っているのは地獄である。ギルティとは言え、支持率によってはランクが上がることもよくあるので、11位から15位ぐらいは非合法ヒーロー的な活動をしていることが多い。そして、そういった連中にもファンがいるものだ。彼らの票はお気に入りのギルティが何か善行をしたとたんに流れこむのである。

「なあ、俺あとどれ位ヒーローでいられるかな?」
 情けない声を出しているのは現在ランキング8位のヒーロー「バーニンボルト」だった。もちろんヒーローとわかるような目立つ格好はしていない。こっちも同じくだ。ヒーローといっても、一日中正義の味方として活動しているわけではないのだ。とくにこんな風に誰かに悩みを打ち明けたいときには、決してヒーローだとばれてはならない。弱みを見せるヒーローなんて、誰が頼りにするものか。
 さて、彼はつい最近まで12位のギルティだった男だ。ちょっと前に11位と13位をしょっぴくことでランクインしてきたのだ。自分がやってきたことをやり返されるのを恐れているのか、やたらと下位の情報を気にしている。彼の能力は電流爆破というやつで、中々便利で強力なものであるが、残念ながらそれはヒーローでいられるうちだけで、ギルティに落ちたが最後、市民の皆様にとっては恐れるべき対象でしかない。それゆえに彼は必死でランクを上げてきたわけだが……。
「あんたはもう長い間ヒーローをやっている。どうやって地位をそんなうまく安定させているんだ?」
 バーニンボルトがもう一度聞いてきた。そうだな、あまり敵を作らないことと、それから油断しないこと。言えるのはこれぐらいだが、彼にはどちらも無理のように見える。既に敵は多いし、こんな質問をしてくるぐらいだから余裕ってもんがない。油断するなって言ってもどこか穴ができちまうだろう。ヒーローであるうちに市から出ていくのも保身としては悪くないが、一度ヒーローの特権を知ってしまうと、もう他の土地では生きてはいけまい。他の市ではヒーロー制度なんてないから、妙な力を持っているってだけで迫害の対象になる。常に疑いの目で見られ、何か事件が起こるとあいつのせいだと指さされる。そんな異常者たちにとって、この市は救いに見えたろう。少なくとも、初めてヒーロー制度が導入されてから半年の間はそうだった。かくゆう自分も、この市に希望を見出して移住してきたくちだった。
 だが……結局のところ、ヒーロー制度なんてもんは国が用意した檻みたいなもんだ。全国から忌むべき連中を集め、お互いに食い合わせるための罠だ。この市にヒーローとギルティが生まれてからというもの、他の土地では我々のような輩による犯罪が目に見えて減少している。トップ10に与えられる特権と名声を取り合って、危険人物たちが日々争っているのはいい見物にちがいない。ランキング変動を賭けの対象にしているなんて噂もある。いいように踊らされているのだから、情けなくなってくるってもんだ。

 惨めったらしいバーニンボルトと別れたあと、ヒーロー然とした恰好に着替えて市内の見回りに出た。悪人はいないかと目を光らせていると、どうやらファンらしい市民様方が手を振ってくる。見世物にされていると思えば腹立たしいが、ランクを保つための支援者なのだからありがたくもある。軽く会釈して返すと、歓声があがった。ここらで適当なターゲットを見つけることができれば……いや、欲を出してはダメだな。ヒーローとは、そんなに軽く見られてはならない。長年やってると持論みたいなもんもできてくる。道を踏み外さないことが長生きの秘訣だ……悪いほうにも、良いほうにもはみ出しちゃいけない。
 結局その日は悪人と出会うこともなく、パトロールを終えた。再び人込みに紛れて家路につく。悪目立ちする奴は長生きできない。自分の住処を突き止められるような真似は馬鹿のすることだ。いつだったか、どっかの地方で名を挙げたやつが、鳴り物入りでこの市へ移ってきたことがあった。まさしく正義の使者だったが、本人もその気になりすぎていた。悪党どもを華麗になぎ倒し、ファンサービスもばっちり。大人気で二日目にはランキング1位となったが、一か月後にはランキングから消えちまった。死人はランキングに残れないってわけだ。
 その点、こっちは適度にバランスをとっている。パトロールは毎日欠かさず、トレーニングのアピールも抜かり無し。それで、時折悪人をとっちめる。1位になるような華やかさはないが、日々の積み重ねによって確実な信頼を市民様から得ている。派手さは上位の奴らに任せるさ。

 次の朝、4時に目覚ましを止めて、いつものように場所を変えてトレーニング中継。そして熱いシャワーを浴びてから、いつものように少し焦げた――発火能力の微細な制御の訓練を兼ねているってわけさ――パンの朝食をとる。ランキングを確認すると、バーニンボルトの名が消えていた。奴めどうやら失踪したらしい。かじりかけのパンを皿に置き、昨日のバーニンボルトの様子を思い出す。弱いヤツだった。常に怯えていた。だが、ヒーローの特権を知っちまっている。遠からず戻ってくるだろう。そして、再びヒーローを夢見るギルティになるのだ。だが無責任なヒーローの名は一時的に忘れられていようとも、決して人々の記憶から消えることはない。彼が支持を得ることは二度とあるまい。何しろここでは新しいヒーローが毎日のように生まれてくるのだ。市民の皆様が選ぶヒーローに困るようなことはない。いつの日か奴はギルティのまま、誰かのランキングを押し上げる糧として食われるだろう。
 自分にだって情はある。できれば旧知の者を食いたくはない。だが、もしも市民様の前で再会してしまったなら……やらねばならん。悪を見逃すようなヒーローが生きていける隙間は、ここにはないのだ。
 それはともかく今日も5位。悪くはない。  


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