a 夢見るカボチャ計画


世界をほどく

「最初世界は方形だった。そいつは間違いがない」
 また何をおっしゃるやらと思いながらクレイン・バーバリーは隣に座った老人の顔を見た。老人はクレインの方を一瞥もせずに前方の視界を遮る吹雪を凝視している。
「どういう根拠でそうおっしゃるのか分からないのですが」
「古来より、どの地域においても人は東西南北という四つの方角を認識していたろう。五つや六つのケースは無い。必ず四だ。それが根拠だ」
 クレインは雪上車のアクセルから足を離した。「この吹雪じゃ、進むのは危険ですね。……収まるまで待ちましょう」
「一刻も早く南極点へたどり着きたいのだがな」老人は不満げに呟いた。
「世界が東西南北の四辺を持っていたということは……つまりプレストレィド博士、貴方は地球が平面だったと本気でそう考えているのですか?」
 クレインが問うと、プレストレィドと呼ばれた老人は眉を上げて初めてクレインの方に目を向けた。
「いかにも、その通りだ。ただし辺じゃない。角だよ。それに今でいう方位とは少々ずれておったはずだ」

 昔々神様は地球――当時はまだそんな呼び名はなかった――をお創りになられた。
 そして生まれたばかりの生き物たちをそこに住まわせた。
 比較的頭の良かった人間という種は、あっというまにその場所の構造を理解した。
 世界には四つの角があったので、彼らはそれぞれの“行き止まり”に名前を付けた。
 やがて人間たちは地にあふれ、東西南北いっぱいに広がっていった。

「誰も信じやせん。だが木星を考えてみたまえ。あの巨大ガス惑星は、自らの自転の影響で僅かにつぶれた球体――回転楕円体というのだがな――となっている。地球だって同じだ。南北より東西の方が長い。なればだ、自転がもっと早ければ、あるいは星の構造がもっと流体的であったなら……」
「……究極的には平面まで潰れると、いや……引き伸ばされると言う方が正しいのかな?」
 プレストレィド博士の言葉を継いでクレインが言うと、博士はゆっくりとうなずいた。
「もちろん自転も速くなる。古い伝承に現れる人物の寿命が現代の常識と比べてえらく長いことはよく知られている。様々な説があるが、何のことはない。惑星の自転が速かったのだ。地球が太陽の周りを一回りするのだって、同じだ。一年は短かったのだよ。当然、太陽系……いや銀河そのものが速かった。」
「そして全てが平らに引き伸ばされていたと。」
「黎明期とはそういうものなのだ。人間だって同じだ。子供の成長は大人より速く、赤子はもっともっと速いが、彼らは立てずに四つん這いだ。そして最初は寝転がっていることしかできん」
 そこで吹雪が弱まってきたことに気づき、クレインは再びアクセルを踏んだ。
「ですが、それだと世界が平らだったことの説明にしかなっていないんじゃありませんか? 円形だったかもしれないじゃないですか」
「四つの角があったことについては先に言った通り、我々の先祖が残した記録によって導き出される」

 世界の端に住む者ほど移動は大変だった。物流は自然と中央で盛んになり、富み栄えた。
 こうして央都ができあがった。
 支配者と被支配者。新たに生まれた落差は辺境をさらに苦しめた。
 辺境に住まう者たちは神様に平等を訴えた。
 そこで神様は世界の辺と辺をくっつけてしまわれた。中央はもはや中央ではなくなった。

「世界の端と端がくっついていることが証明されたのは十六世紀、マゼランの偉業を待たねばならない。普通はそう言われている。だが、もっと前からおそらく人類は世界を一周するできることを知っていたにちがいあるまい。大航海時代のそれは“再発見”だったろう」
 雪上車に揺られながらプレストレィド博士は再び話し始めた。クレインはハンドルを握りながら、運転に集中していた。吹雪が収まったとて、このあたりにはクレバスが多く口をあけていて、一瞬の油断が命取りになりかねない。
「……古代中国然り、ローマ然り、自分達こそが世界の中心であるというのは大きな勘違いだった。それらの帝国が現れた時代にはもう世界は形を変えていたのだ」
 博士は一人で話し続けた。「宇宙が安定してきた結果、かかる回転力が落ちてきたのだ。平らだった世界に厚みがでてきたというわけだな……」
 雪上車がガタンと揺れた。真直に迫っていたクレバスに気づいたクレインがブレーキを踏んだのだった。
「気をつけたまえ。地球の中へ落ち込んでしまってはかなわん」
「わかってますよ。僕だってこんなところで死にたくはないですから」
「この辺りはもう“継ぎ目”があるというわけだ……」
「何ですって? いや、今はいいです! ここで気を抜くわけにはいきませんからね……!」
 一度聞き返したクレインだったが、すぐに取り消した。今はハンドルに集中しなければ。

 四角い大地の一辺が繋がったので、今や世界は筒状になっていた。
 人々は文字通り世界を巡り、やがていまひとつの方向も繋がっていることを望むようになった。
 このころにはもう神様も大地を曲げることになれておられたので
 快く人間の望みを叶えてくださった。
 こうして世界は円環体――すなわちドーナツの形――になった。

 時期的に白夜ではなかったので、やがて日は落ちて夜になった。クレインは雪上車を止め、休息をとることにした。
 博士は少しでも早く進みたがったが、運転手が疲れきってしまったらクレバスへ落ちかねないと説明するとおとなしくなった。
「運転中は明るい方がいいんですがね、休むときには暗い方がありがたかったりしますね」
 誰に言うでもなくクレインが言った。
「極夜というのがあるだろう。時期によって、極地では太陽が一日中登ってこないのだ。北欧神話の終末思想の中に、何年も続く冬というのがある。これなんかも極夜からの着想ではないかな」
「太陽が失われる神話というと、大概は日食をあらわしているものだと思いましたが……」
 一日中雪上車を運転するという行程を何日も続けてきたものだから、やはり疲れがたまっていたのだろう。会話の半ばで、クレインは眠りに落ちて行った。
 プレストレィド博士もそれ以上は言わなかったが、頭の中では持論をこねくりまわしていた。長年考え続けて得られた結論が正しければ、南極点にはそれがあるはずだった。その場所へ近づきつつある今、彼はもう我慢が出来なかった。早いとわかっていながら、彼は無線に手を伸ばした。   

 世界の外側を回るより、内側を辿ったほうが短い距離で目的地まで辿り着くことができる。
 街道沿いに街はいくつもあったが、ドーナツの穴にあたる地域には太陽の光が届かなかった。
 空を見上げても、そこには向こう側の大地があるのみだ。
 やがてその地に住む者も太陽を、大空を、星空を求めるようになった。
 神様は願いを聞き入れ、ドーナツの内側を切り開き、大地をめくりあげて両端でお留めになった。

 雪上車を止めたクレインは計器を確かめ、傍らのプレストレィド博士に告げた。「ここが南極点です」
 博士は外に出て、目指すものを探そうと雪上車のまわりをぐるりと一周した。彼はある方角にひだのように盛り上がった地形を見つけると、クレインにそこまで連れていってほしいと言った。
「ここまで来たんだ、少々ならお付き合いしますよ」クレインは博士の望むままにしてやった。

 遂に目的地へと辿り着いた博士は足元の地面を穿って旗を立て、それから空を見上げた。
 間もなくここへ爆撃機がやってくる。彼が無線で呼んでおいたのだ。雪上車とその運転手にかけた費用を除く、全ての私財を投じて用意したのだ。
 博士が立っている場所、それはまさに、神が地上を球体にするために留めた地点のはずだった。ここ南極に一つ。もう一つは北極海の底に。やがて空に爆撃機が響かせる轟きが満ちて、注文通りの量の爆弾を投下するだろう。彼の計算では、地上で最ももろい場所を揺らがせるには十分な破壊力があるはずだった。視界の端に、慌てて雪上車に飛び込むクレインの姿が見えた。おい、どこへ行くんだクレイン君。ここまで連れて来てくれた礼ではないが、君もこっちへきたまえ。一緒にこれから始まる一大ショーを見ようではないか……。
 プレストレィド博士は感極まっていた。間もなく世界がほどけるその様を、特等の席で堪能できるのだ!  


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