サブリミナル・ジョーンズ

 今日は『ネーベルホルン』のシュリンプ・ランチが食いたい。まだ仕事を始めて数分も経っていないが、そう思った。毎日こうだ。
 シュリンプ、つまり小エビとは言うが『ネーベルホルン』が出すエビはいつもでかい。活きが良く身がぷりっとしていて、からまっている自家製のソースも絶品だ。そいつが5尾。しかも値段は安酒をグラスに一杯だけひっかける程度ときている。決して流行っている店ではない。店は狭くて暗く、魅力的とは言い難い。そして同じくエビのメニューを売りにしている『キングフィッシャー』チェーンの大攻勢にあっている。
 『キングフィッシャー』ってのは俺の勤め先だが、そこで働く者が皆、その店のモンしか食っちゃいけないという法はない。第一、俺は『キングフィッシャー』のエビが旨いと感じたことがない。『ネーベルホルン』と比べても勝負になってそうなのは値段だけだ。もっとも、店舗数と広告に関しては『ネーベルホルン』を圧倒しているわけだが。

 埠頭で海を眺めていたら、またしても『ネーベルホルン』のシュリンプ・ランチが頭をよぎった。そろそろ昼時だ。それぞれの持ち場から『キングフィッシャー』へと向かっていた労働者たちが一瞬足を止める。おっと、しくった。俺は改めて『キングフィッシャー』のランチメニューを思い浮かべた。
 『キングフィッシャー』はいつも盛況だ。この港だけでも3つの店舗を展開し、それが連日客でごった返している。人間ってのは面白いもので、皆が集まっていれば、舌も同調するものらしい。大したことのないエビをふるまう店にだって、多数が列を成せば並んでしまうのだ。こうして列は列を呼び、まずいエビで大儲けも可能というわけだ。我が雇い主ながらうまい事やっているものだと感心する。
 だが、そのからくりを知っている俺にとって、『キングフィッシャー』のエビなんぞは、その味にふさわしい価値(廃油漬けの、生ゴミ寸前の代物ってことさ)しかない。だから俺は『ネーベルホルン』でランチを決めるわけだ。

 その『ネーベルホルン』だが、相変わらず客がまばらだった。ここの常連たちは俺と同じくエビに対する意識が高く、うまいエビを食わんとする強い精神を持っている。彼らは決して、大手チェーンの強引な惑わしに乗ることがない。この店がつぶれてしまっては困る俺にとっては大事な戦友たちというわけだが、それだけに俺の仕事のことは知られるわけにはいかない。店に入れば待たされることなく席へ案内され、注文から数分後には皿が目の前に運ばれてくる。早速エビを取り上げ、むしゃりとやった。
 ガツガツとやっていると、店の前を行きかう労働者たちが足を止めてこちらを見る。そのうち何人かが扉をくぐり、薄汚れた店内を見てまた通りへ戻っていく。一度でもここのエビを食えば、そんな愚かな選択はしないだろうにとは思うが、この店に人が押し寄せてしまうと、俺のランチタイムが台無しになってしまうだろう。『ネーベルホルン』がつぶれない程度に、常連たちで支えれば万事オッケーってわけだ。

 満足いく食事を終えた俺は店を出て、再び仕事に戻った。『キングフィッシャー』の店舗の近くをうろつき、腹をすかせた労働者たちの間で時折念じる。俺が頭に『キングフィッシャー』のロゴや看板、大したことないエビの盛られた皿を思い浮かべる度、周りの男たちは足を止め、少し考えてから『キングフィッシャー』のほうへと向かう。その様子を見て俺は仕事がうまくいったと判断し、次の場所へと移動する。午後になって港で働く人々が持ち場へもどっていく頃合いまで、これを繰り返すのが俺の仕事ってわけだ。
「人の心を読む悪魔を駆逐せよ!」
 実に不快な声が聞こえてきた。数日前からこの港にやってくるようになった連中だ。ニュースなんかで時折話題になる、思考同調能力者を悪魔だと言い張る団体だが、実際に活動を目にするのは初めてだ。ただでさえ狭い道をふさぐようにして陣取り、拡声器でがなりたてている。さっきからそれしか言えないのかと思えるぐらい何度も叫んでいるスローガンを、へたくそな字で書きなぐった横断幕が邪魔だったらありゃしない。大概の苦境を耐え抜くことで有名な港の男たちも、露骨にイヤな顔をしている。
 今時能力者なんて珍しくもないが、ほとんどの思考同調能力者はせいぜい思い浮かべた光景や単語を読み取ったり、逆に伝えたりする程度だ。それこそ、昼飯に何を食うかの判断にちょいと影響を与えるのが関の山だ。連中が恐れるような強い力を持つ者は滅多にいやしない。俺に言わせりゃ、こうして騒ぐ連中は単にやましいことで心がいっぱいなんだろうってところだ。
 連中の目の前を横切り、この港に3つある『キングフィッシャー』の店舗の中で最も大きい建物の裏手へと向かう。従業員専用の裏口から中に入り、港の喧騒からオサラバする。昼の仕事は終わりだ。夕食時に備えて少し休んでおこうと、手ごろな椅子に腰を下ろしたとき、上長の制服野郎と目が合った。イヤな予感がする。
「今日も、あすこのエビランチかね? ジョーンズ君」
「……あそこのエビは絶品なんでな。でかくて、活きがよくて、ソースも旨くて、しかも5本」
 ところが奴め、俺の言葉を遮りやがった。
「うちもエビを扱っているんだがね。君はうちの従業員で、しかもよりによって集客係だ。その君が商売敵の店でランチを取るとは……」
 うちのエビなんざエビじゃねぇよとだけ返してやったら、顔を真っ赤にして行っちまった。俺は伝えるほうが専門で、思念を読み取るほうはからきしなんだが、それでも奴が確実に怒っているってのはわかったね。

 そいつが現れたのは次の週のことだった。そして、初対面の俺を値踏みするような視線で頭のてっぺんから足先まで一瞥してから歯を見せて笑い、自分のほうが社に役立てるとぬかしやがった。俺よりも能力の程が強く、昼飯も『キングフィッシャー』のエビで十分だと言う。そいつの能力診断書を隅々までチェックしながら、上長の野郎も言った。
「あのしぶとい『ネーベルホルン』さえ潰せば、この港は我々のもの……あと一歩のところまで来ているんですからね。能力者を増やして一気に仕上げますよ。貴方には期待してます、マイルズ君。そしてジョーンズ君、今日から君は、彼の部下として働いてもらいますよ。」

「馬鹿だな、お前。もう少しうまく立ち回れよ。こいつは同じ思考同調能力者としての忠告だぜ?」
 上長が消えるなり、マイルズは言った。「いいか、仕事の邪魔だけはするなよ。俺はとにかく稼ぎたいんだ……つぶす対象の店で飯食ってるだって? エビなんざ、どれも同じ味だろうによ」
 その言葉と共に、奴の思念が押し付けられる。金。金。金。こいつは金の亡者だ。脳ミソの中で食事よりも稼ぎのほうが優先されているらしい。哀れなやつだ。
 しかしまぁ、つまらんことになった。今までは、この港にいる思考同調能力者は俺だけだった。俺たちの力は、誰かが使えばそれとなくわかる。一般人には感じ取れないかもしれないが、力についてよく知っていれば、違和感に気づくのはそう難しいことじゃない。他の能力者と一緒に仕事するなんてのも初めてだってのに、しかも俺よりもやり手だって?

 その日のうちに奴は仕事にとりかかった。奴が『キングフィッシャー』の思念広告を飛ばす度、港のどこにいても脳裏にまずいエビが浮かぶ。確かに俺よりもイメージの押し売りに長けているようだ。その事実は認めるしかない。
 数日もしないうちに、港中の人間が『キングフィッシャー』で三食とるようになった。我が戦友たる『ネーベルホルン』の常連たちもだいぶ切り崩されてしまったし、あのイヤな拡声器連中までもがマイルズの手の内だ。『キングフィッシャー』のテイクアウトメニューをほおばりながら、例の横断幕を掲げている。何が「悪魔を駆逐せよ」だ。その悪魔にいいようにされているのに気づいてすらいない。
 『ネーベルホルン』はいよいよ危なくなっていた。俺は相変わらずここのエビを食っていたが、店主の様子が日に日にやつれていくのが判った。残っていた常連も一人、また一人と消え、ただでさえ活気のない店内がどんよりとしている。これじゃ、俺がいくら客を呼んでもどうにもならない。事実、俺はちょくちょく『ネーベルホルン』の思念広告を飛ばしていたが、誰も店には寄り付きもしなかった。店構えからして、もう負け犬の匂いを発しているのだ。

「お前、例の店のために広告をだしているだろう」
 出勤した俺の顔を見るなり、マイルズの野郎が開口一番言った。そうか、俺の思念をこいつも受け取っているんだった。これはちょっとマズイことになったな……俺の予想通り、奴は続けやがった。
「上に報告させてもうらうぜ。ここの仕事は俺一人で独占させてもらうとしよう」

 そして俺はあっさりと解雇された。上長野郎が告げたのは、ただ「クビ」の一言きりだった。代わりの集客係もいることだし、敵のために働くような裏切者はもういらんというわけだ。

 今にもつぶれそうな店でエビのランチをほおばりながら俺は考えた。このままじゃ仕事だけじゃなく、お気に入りの飯まで失っちまう。そいつはよくない。こいつは何とかしてやらねばなるまい。
 俺を解雇したということは、今更能力者が一人『ネーベルホルン』のために働いたとしても、もう勝利は揺るがぬものと考えているに違いない。確かにこの店にはもう能力者を雇うような余力はないし、そもそもお人よしの店主は能力者を集客係として雇うなんて思いつきすらしないだろう。なめやがって。

 俺はまず、あのいけ好かない連中の近くで時間をつぶした。例の拡声器が癇に障るが、今は我慢だ。日が暮れるころ、マイルズの奴が飛ばす思念が届く。相変わらずお決まりの企業ロゴとエビ。毎日毎日同じでまったくもって芸がない……だが、暗示力はお見事の一言だ。はたして反能力主義の面々はそわそわしだし、夕食の買い出し係が注文をまとめ始めた。そこで俺は軽く、思考同調能力者――つまり連中の言う悪魔――の姿を思い浮かべてやった。わかりやすいように、連中が掲げる看板に描かれた悪魔を丸写しにしてやる。すると、流石は日ごろから悪魔退治にいそしむ方々だ。途端にピクリと反応してお互いの顔を見合わせ始めた。
「なんで私たち、毎日毎日飽きもせずエビばかり食べているんでしょう?」
「なんでって、そりゃ…… ちょっと待て、まさかこれは……?」
 生まれた疑念はあっというまに広がり、連中の猜疑心があらわになる。その疑いは当然のことながら、『キングフィッシャー』へと向けられた。その会話を聞きながら、ダメ押しとばかりに悪魔と看板、そしてあのまずいエビの皿をセットにして送ってやる。疑惑は確信へと変わり、横断幕を先頭に彼らは行進を始めた――この港に3つある『キングフィッシャー』の1つ、一番大きな店舗に向かって。
 俺はその後をついていきながら煽るように思念を飛ばし続け、時折マイルズの顔なんかもまぜてやった。

 ……あれから数週間。昼ともなれば、俺は相変わらず『ネーベルホルン』のシュリンプ・ランチを食っている。
 そして仕事に戻る。『キングフィッシャー』も前とそう変わっちゃいない。相変わらず港の労働者たちが列をなしているが、今までに比べればちょっと短い。もちろん、そう仕向けているのは俺だ。マイルズの奴はあの日、例の団体によって悪魔だと断じられる前に港から去っていった。奴は金の亡者だ。経歴に傷がついちゃ、たまらんということなのだろう。こういう時、執着がない奴はありがたい。あっというまに退散してくれる。
 だが、マイルズの顔を刷り込まれた悪魔狩りの面々はそれじゃ収まらない。あっという間に悪魔が港を出ていったことを突き止め、追いかけていった。その素早さと執念ったら、まったくもって二度とこの港へは来てもらいたくないね。
 それで奴らを見送った後、俺は慌てふためいている様子の上長野郎を捕まえて、集客係はいらないかと持ち掛けてやった。何しろここのエビは酷いもんだからな。返事をもらう前から、もうすでに答えはわかっていたね。
 この港には毎日世界中から船がやってきて、そして出ていく。新しいニュースには事欠かない。エビがらみの悪魔排斥騒動なんざ、すぐに忘れ去られるさ。もちろん、しばらくはおとなしくしてなけりゃならないが……そこはほら、俺はライバル店の広告だって飛ばしちまう不良集客係だからな。うまいことバランスをとってやってるってわけだ。つまりメシも仕事もすっかり元通りで、俺はご機嫌な日々を送っている。めでたしめでたし。

 常連たちも戻ってきた。『ネーベルホルン』はもうつぶれることもないだろう。このまま末永く、旨いエビを出してもらいたいものだ。  


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