遭遇

 規則で日課と定められている地球への定時連絡を終えたサイガは、ソファに寝そべって身体を伸ばした。クルーの交代は何事もなければ1年ごとに行われる規則だ。既に5度、自分の番が回ってきていた。そして最後に目覚めてからもう87日目だ。クルーは全部で7名。自分は4番目の当番だったから、地球を出てからおおよそ40年弱経っていることになる……もちろんこの船の環境主観でだ。地球ではどれほどの年月が経っているだろうか。計算すればすぐにわかるが、それにどれ程の意味があろう。4年と87日も一人で代わり映えの無い虚空を見続けていると、何もかもがどうでもよくなってくる気がする。
「なんでこんな旅に志願しちまったかな」
 室内重力を調整し、サイガは浮かび上がりながら独り言ちた。外宇宙への移民。地球なんて広大な宇宙の片隅に浮かぶ小さな星だと、常々感じていた。夜毎、空を見上げれば広大な世界が広がってるというのに、俺たちは大地にへばりついて生きている。宇宙飛行士になったのちも、その思いはますます強くなる一方だった。自分をちっぽけな存在だと思い知らされ続けてきた彼に、中年を過ぎてから訪れたチャンス。地球を離れ、はるか遠い場所へと旅立つ移民船のクルーに彼が志願したのは当然の成り行きだった。床に据え付けられたソファーを見下ろしながら、彼は到着後にすべきことに想いを馳せた。まずはテラフォーミングが先決だ。そのために必要な藻は積んでいる……惑星の大気成分を精査し、藻にしかるべき調整を施して……。環境が整うためには長い時間がかかるだろう。その間、今と同じように交代で眠りながら待つのだ。未だ旅路の途中にあり、先々やることも多い。彼は早く次のステップに進みたかった。来る日も来る日も光速近い速さで進む船から何もない景色を眺め、長い眠りについて目覚めても変わり映えのない生活はもう十分に思えた。

「サイガ」不意に声をかけられて、彼は覚醒して意識を集中させた。どうやらうとうとしてしまっていたらしい。
「どうした、休息に入るのが遅かったのか? しゃっきりしてくれないと困るぞ」
 そう言いながら、同僚のコダマが眠気覚ましの錠剤を差し出す。彼らは2人で、地球から送られてくる物資を受け取る重要な仕事についていた。サイガは受け取った錠剤を奥歯でかみ砕いた。
「出現座標を調整――アリオスIII公転軌道上、ポイント239」
「了解。地球からの送品を確認……ラグは0.0077、いつも通りだ」
 二人は安堵の息をついた。今回もトラブル無く仕事は完了だ。「あとは回収するだけだな……3日後か」

 席を離れながら、サイガは初めてアリオスIIIの映像を見た時のことを思い出していた。宇宙空間からこの星を捕えたその姿は美しかった。薄汚れた地球とは比べるべくもなかった。この美しい自然を守りながら、人類の新たな家として発展させる。それが彼の悲願となった。文明の発達は空間の隔たりを超えて人類を他の惑星へ送り込むほどまでに発達していたが、そこに至るまでの過程で地球を蝕んでしまっていた。せっかく掴んだチャンスだ。次こそは上手くやらなければならない。アリオスIIIを地球と同じように汚し切ってしまう未来は避けなければ。

 何度目の当番の、何日目だっただかもう定かではないが、その日サイガは定時連絡を入れることをやめた。前々から思っていた。この行為に何の意味があるのかと。ここがどこだか考えてみろ。地球からどれだけ離れていると思っている。無駄だ無駄だ無駄だ。もう未来のことだけ考えていたい。彼は目を閉じた。まだその日ではなかったが、とにかく今は眠りに入りたかった。

「ずいぶん古い記録を調べているな」
 サイガが開いたボードを覗きながら、コダマが言った。「しかも地球のデータじゃないか。俺たちの仕事の役には立ちそうにもないが……そういう趣味でもあるのか?」
「反面教師にはなりそうなんでね」サイガはボードの表面を流れる情報から目を離さずに答える。「かつて人類がどれほど環境を乱してきたか。大昔には物凄い威力の武器も作られていたらしい。それこそ必要以上の、さらに何倍もの破壊をもたらすようなやつさ。過去に学ぶことは多いよ……アリオスIIIは地球の代わりとして選ばれたんだ。けど、同じ過ちはここでは繰り返すべきじゃない。僕らは次の『代わり』を必要としない、そんな発展をしていかなくちゃ」
 コダマはへぇと言って笑みを浮かべた。「なるほど。ご立派なことを考えているんだな」

 あれからどれほどの月日が経ったろう。いよいよその時が近づいてきていた。船は減速しており、幾分歪んではいたが景色が戻ってきていた。そして目的地である惑星の姿を彼らのカメラは捕えていた。クルーは7人とも覚醒しており、全員が初めて顔を合わせていた。
「分析結果を見たが、思ったよりテラフォーミングに時間がかかりそうだな。地表の26%を覆っている物質の解析はまだなのか」浮かぬ顔で1人が言った。
 当番にあたっていたナダが――彼が皆を起こしたのだ――重い口調で告げる。「事態は深刻だ。どうやらそいつは自然に生成される可能性はないらしい。つまり、先住民がいるようなんだ」
「なんだってそんな……! 確率はほぼ0だったはずじゃないか!」別の誰かが悲鳴を上げた。
「探査機は破壊された。撃墜されたんだ」
 もう、誰も何も言わなかった。今更地球へ戻ることは不可能だ。計画の全てはここへ到達することだけを目的に組まれており、他の星へ向かうこともできやしない。彼らがとるべき道はただ一つ、先住民を根絶やしにして、星を乗っ取ることだった。
「どんなに確率が低いとしても、我々は覚悟してきたはずだ……そうだな?」キャプテンが呟いた。サイガを含めたクルーはうなずくことしかできなかった。彼ら7人の背後には、250万人もの未だスリープ中の移民たちがいるのだ。だが、本当に覚悟できていた者がいただろうか? 希望ある――都合の良い未来のみを見てきたのではないか?  

 非常事態だった。アリオスIIIはかつてない緊迫感に包まれていた。この地に住まう者は全員息をひそめ、空を見上げ窺っていた。
 確実に星の環境に悪影響を与えるであろう兵装が準備されていく様子を見ながら、サイガはため息をついた。「……こんなことが起きるなんて」
 だが、戦わなければならないことは明白だった。この星に根付いた人類を危険に曝すわけにはいかなかった。かつて人類が破棄した破壊の技術。それが今あれば……思わず脳裏をよぎった考えに彼は戦慄した。恐ろしいことだ。

「俺たちだけじゃなかった」サイガは近づいてくる星から目を離さずに呟いた。「そりゃそうだ……宇宙は広いんだ。地球だけが特別なはずはなかった」
「先手を取ることが肝要だ。初撃でカタをつけるぞ」7人の指が引き金にかけられる――中には、ひそかに指を放した者がいたかもしれない。そうすることで心が守られるのだから。

「……地球にいたころ、遠い先祖の記録を見つけたんだ。もう誰も見向きもしないような古いアーカイブだ」空を見上げながらサイガが呟いた。普段は物資の受け取りに従事している彼らも、防衛戦のために駆り出されていた。
「転移ゲート技術もまだない時代の宇宙移民だ……。ほとんど望みなんてないような状態にもかかわらず、彼らは宇宙へと出た。偶然かもしれないが、僕と同じ姓のクルーがいたんだ。僕はそれを知ってすごいことだと思った。だからこの星へ来たのかもしれない。彼の志を継ぎたかったとか、そういうことじゃない。ただ、尊敬できると思ったんだ」
「じゃぁ、この戦いには負けられないな」誰に聞かせるでもなかったその言葉を、コダマが継いだ。「俺はただ、新しい場所で人生をやり直したかっただけさ……ここじゃなくても、どこでもよかった。だが、今はここを守りたいという気持ちでいっぱいだよ、サイガ。なにしろアリオスIIIにゃ、何億人もの人間が住んでいるんだからな」
 そう、ここはやっとの思いで人類が得た第二の地球だった。はるかな昔に宇宙の深遠で連絡を絶った移民船。そのクルーだった同じサイガという男。おそらくは果たせなかったであろうその想いを守るため、彼は引き金を引いた。

 気の遠くなるような時間をかけて新天地に到達した船もまた、同時に引き金を引いた。  


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