バロメッツ

『本日のメニュー

 ・肉の煮込み ―― 700g
 ・サラダ、血のソースがけ  ―― 500g
 ・ジュース(果肉入り) ―― 最低コップ3杯

 お代わり歓迎。
 食べ残しは厳禁。違反者は食料償却法によって裁かれます』

「もうバロメッツは飽きましたよ」
 またしてもニールは半泣きになってこぼした。あまりにも日常の一部となっていたので、もう何度目かも数えていなかった。それは愚痴を聞かされているトヴィアスにしても同じだ。何を言おうと無駄なのだ。たとえニールが一億回喚こうが、世界中の人間が一斉に訴えようが、食事のメニューが変わることはない。
 共同食堂の長いテーブルにつき、無理やり食事を口に詰め込む。少しでも胃の中に隙間を作ろうとして、でっぷりと太った身体をゆする。最後の一口をジュースで流し込み、食器を片付けるために立ち上がれば、出っ張った腹でつま先が見えない。同じように煮込みを詰め込んだニールも立ち上がった。食事はもう喜びではない。果たさなければならない責務だ。全人類に課せられたノルマだった。
「あと何時間かすれば、また地獄の食事タイムってわけですよ……胃袋に余白を作らなきゃ」
 少しでもカロリーを消費しようというわけだ。フィットネスルームへと向かうニールと別れ、トヴィアスは自室へ戻った。彼は代謝のいい体質に恵まれていた。余計なことをせずとも、静かにしているだけで腹は減る。食糧危機の時代だったなら生き延びることは到底できなかったろう。だがそれはもう昔の話だ。今は真逆の時代だった。
 部屋に戻ると、今日の速報が送られてきていた。だがトヴィアスは見もしなかった。どうせ、ほとんど消費できてはいないのだ……

『本日のメニュー

 ・ステーキ ―― 1200g
 ・ジュース(果肉入り) ―― 最低コップ3杯

 お代わり歓迎。
 食べ残しは厳禁。違反者は食料償却法によって裁かれます』

「速報を見たかね? この世には絶望しかない……毎日毎日バロメッツ三昧だというのに……」
 天――といっても食堂の照明だが――を仰いでグランバザールが言った。彼もまた太っていた。
「この数か月、数字はほとんど横這いだ。私たちがどれだけ消費しようとも、同じだけ連中は増えているというわけだ。たしかにバロメッツは食糧難を救った。だがそれが本当に正しかったのか?」
 グランバザールの声が大きくなった。
「否! やつらは悪魔だ! 確かに飢える者はいなくなった。だがその代わり、全人類が過食に苦しめられているではないか。しかもそうしなければ人類は滅亡するんだ……これが悪魔でなくて何だというのか!」
「その辺にしときなよ。あまり騒ぐとしょっぴかれるぞ」
 トヴィアスは悪魔の肉を頬張りながら言った。食の推奨に反する扇動もまた、食料償却法に触れるのだ。ニールがいなくなってから数日が経っていた。バロメッツの煮込みが四日連続となったあの日、ついに彼の胃が受け付けなくなったのだった。
「知り合いがいなくなっちまうのはストレスになるんだ……悲しくて心が弱っちまうからな。そしたら食欲も失せてしまうだろう?」

『本日のメニュー

 ・串焼き ―― 5本で900g
 ・内臓と葉の炒め物 ―― 600g
 ・ジュース(果肉入り) ―― 最低コップ3杯

 お代わり歓迎。
 食べ残しは厳禁。違反者は食料償却法によって裁かれます』

 やかまし屋のグランバザールもいなくなっていた。トヴィアスは長テーブルのいつもの場所に座り、一人もくもくと食べていた。グランバザールの大仰な嘆きも、ニールの愚痴も、エドワードの憤りもリディアの絶望も、ミンスターもアラゴンもキノシタもフィリップもサニーも誰もかもがいなくなってしまった。皆が死んだわけではないのが救いだった。法を犯した者は、例外なく強制食堂へ移動させられるのだ。そこではかつて行われていたフォアグラの生産が如く、無理やりバロメッツのミンチを管で胃に流し込まれるという噂だ。肉も血も、葉や茎に至るまでバロメッツの全てがまぜこぜになったパテを想像して、トヴィアスは軽くえづきそうになった。
「まともな食事だよな……たとえ悪魔の肉だとしても」彼は串に刺さった肉を見ながら呟き、再びかぶりついた。強制食堂送りなんてまっぴらだった。

 バロメッツは世界の食糧難を解決すべく作り出された。タンパク質合成技術と、遺伝子操作の結晶で、動物と植物がまじりあった人工の生命体だった。肉は極めて美味。茎と葉には消化を助ける成分が多く含まれていて、さらには大きな実をつける。その上繁殖も早く、迅速な収穫が見込めた。
 世界の七割が飢餓にさらされていた時代において、バロメッツは救世主だった。研究室から工場に生産の場が変わり、コストダウンのために自然繁殖する機能が与えられた。バロメッツには移動するための器官はなかったので収穫は容易だった。世界中にバロメッツの加工食がいきわたり、飢えで苦しむ者はいなくなった。

 しかし、バロメッツは依然として増え続けた。短期間で世界を救うためには確実な収穫が必要だったため、もともとバロメッツは多くの病気に対抗できる強靭さを与えられていた。奴らの世代交代は早く、数は増える一方だ。そして少し前に突然変異を起こしたバロメッツは、あらゆる病気に打ち勝ってしまうようになっていた。それだけではない……バロメッツ食を確実に全世界に届けることができるようにするためには、加工されてなお鮮度を保つことができる強靭な生命力の必要があったが、これもアダとなった。変異を経て今や焼却すらも無駄となり、加工されたバロメッツを焼いた灰からもこの悪魔は蘇る。バロメッツを駆逐する薬剤の研究は続けられていたが、奴らはその完成を待たずに耐性を得てしまう始末だった。
 もちろん人類とてバカではない。安定供給できるよう設計されたバロメッツは突然変異を起こす確率は極めて低く調整されていたはずだった……だが、奴らは人類の手を振り払ってしまった。その手段は純粋な数と、世代交代のサイクルの速さだった。

 かくして飢餓から解放された人類は飽食の時代に入った。
 それはローマやミレニアム前後のそれとは違い、生き延びるための飽食だった。

 食料償却法が定められ、バロメッツ食が全人類に強制された。他の食材は一時御法度となった。蔓延る悪魔を完食したら、思う存分味わってよろしい……だが今はバロメッツだ。
 死刑は廃止された。バロメッツを食う人員を減らすなど言語道断だ。刑務所と死刑台に代わって、強制食堂が作られた。
 毎日のようにバロメッツの消費率が計算され、皆のもとに届く。バロメッツが人類の胃袋に収まった量と、奴らが新たに増えた量がせめぎあう戦いの記録だ。あのグランバザールが嘆いていた通り、戦況は硬直していた……いや、人類のほうが不利なのは明白だった。医療技術の進歩によってそうそう死ななくなったとはいえ、人類総肥満なのだ。病気のリスクも高く、出生率も徐々に低下している。当然だ。もはや人類は健康とは言い難い……無理なものは無理なのだ。それでも生まれてきた子供たちには遺伝子改造がなされ、強靭な消化力が備わるよう処置されているが……バロメッツの繁殖スピードに次世代の成長が追いついていないのが現実だった。

 変異を繰り返すバロメッツがいつ人類を滅ぼしうる毒を得てもおかしくはなかった。解決策はただ一つ。その前に全て食らいつくすこと以外に道はない。

 今日も共同食堂に全世界共通のスローガン――戦歌が響く。
 産めよ増やせよ、食せよ、食せよ、食せよ!  


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