等しく60秒

 頭の中できっかり60秒数え、ストップウォッチを止める。1分と014。
 彼よりも先に試したオルガノンはきっかり1分000で止めてみせたが、それはオルガノンが世界でも有数の高性能培養ニューロンサーキット――つまりは人工頭脳だからに他ならない。人間のワイズ・ワイズマン博士には難しい芸当だが、これは仕方ない。
「あくまで確認だからな。サンプルは少ないが、まあいいだろう」
 太いコードが所狭しと絡まるアパートメントの一室で、もう一人の博士――デーゥヴ・ポポロットが言った。彼が出したタイムは1分008だった。
「我々は皆、それぞれが想う"60秒"を示したわけだ。多少のばらつきがあるのは脳と指先の誤差として無視しよう。天才と凡人、それにニューロンサーキットまでが、60秒を同じ長さでとらえていることがわかった。
 だが、ここからが問題だ。凡人と天才の違い、そしてニューロンサーキットの性能差を産むのは一体何なのか?」
 凡人を自称するポポロット博士は、その恰幅のいい身体をゆすりながら続けた。
「頭の中で情報を処理し、適切な答えや新たな疑問をひねりだすスピードが違うのではないか」
 ポポロット博士が常日頃から"天才"と呼ぶ、やせた青年であるところのワイズマン博士は何気なく返す。
「思考は、脳であろうがそうでなかろうが、実体を持つ肉体によって引き起こされる……物質として存在しているのならば、そこで起こる反応に速度の差は無いはずですよ。僕は信じてないですが、仮に霊魂ってやつが思考しているとしても、この宇宙に存在する以上、一定の法則に縛られているでしょう?」
 しかし、彼はこう付け加えた。「……でも、そうと言い切れないかもですね。だって、子どもの頃は一日が今よりもっと長く感じられてましたし」
 やっぱりワイズマン博士は肝心なところを逃すことがない。そう、これは感覚の問題なのだ。
 個体によって、体感時間は異なる。60秒を短く感じる者もいれば、長く感じる者もいる。しかし誰もが皆、それを測れば同じ60秒になるのである。
 どこにでもあるようなアパートメントの一室に集まった3つの頭脳はそう結論した。ワイズマンとポポロットの両博士、そしてポポロットの最高傑作であるオルガノンは、世界征服を目指す超科学秘密結社『ネオメテオラ』のメンバーなのだった。その彼らがこの事実に気付いたからには、どうにかしてその野望のために役立てるしかないではないか。

 それから数日、『ネオメテオラ』の狭いアジトで1つの新しい機械が組み上がった。一見ただの家電とコード類の寄せ集めのくせに、実に見た目にふさわしくない性能を持っていた。
「さあさあ、どうぞこちらへ。狭くてオンボロの部屋ですが、気にしないでくださいね」
 そう言いながらワイズマン博士が案内しているのは、こともあろうにこの部屋のオーナー、つまり大家だった。自分が貸し出している部屋の有様に露骨に嫌な顔をしながら、彼は床のコードを跨ぎつつ歩いた。
「さぞやビックリなさったと思いますがね。しかし、我々の為そうとしていることを、そしてこの部屋で生まれた実績を知れば、きっと誇りに感じていただけるものと思いますよ」ポポロット博士は怒れる家主をなだめるように言うと、彼に新たな作品を披露することにした。

「まったく、気が狂うかと思いましたよ」
 来客にお帰り頂いた後、ワイズマン博士はそう漏らした。もうこりごり二度とゴメンという様子だった。反対にポポロット博士は実験にご満悦で、オルガノンが叩き出した検証結果を吟味している。
「だが、これで我々の仮説は実証されたわけだ。
 やはり人によって時間の流れは異なっている。我らがアジトのオーナー様はあくせくと生きているようだな」
「ジュリアス・テイラー氏の60秒は、ワイズ・ワイズマン博士、貴方の60秒に比べると、多少の揺らぎはありましたが、平均して0.38ってところです」オルガノンが耳障りな合成音声をあげた。
「0.38?」ワイズマン博士は悲鳴に似た声を漏らす。「冗談じゃないよ、そんな人間がいるなんて信じられない! しかし納得はできる。アッという間に2時間が過ぎていたんだ。2時間だよ、2時間。それだけあれば……ああ、僕の時間を返してくれ!」
「逆に、テイラー氏は随分長い2時間を過ごしたってことだろうな」ポポロット博士は頭をかきながら呟いた。「……こいつはいけるかもしれんぞ」

 彼らは多くの人間をアジトへ招待し、例の機械に繋いでみた。差を測るには、もう一人繋がる必要があるわけで、それはポポロット博士とワイズマン博士が交代で担当した。ワイズマン博士は毎回辟易し、不平たらたらだったが、ポポロット博士はあっという間に過ぎ去る時間感覚を楽しんでいた。
「町内会長のワスリン氏の60秒は、平均して0.15ワイズマンだ。こいつは中々じゃないか?」
「役場のミュゼさんは0.21ポポロットでしたよ。1.000僕が0.995ポポロットだから……オルガノン、どちらかに統一したリストを出しておいてくれないか」
 『ネオメテオラ』の面々は街の人々の計測を続け、これはという人材のリストを作り上げていった。

 狙うべき世界の要人の目星はついていた。世界征服を狙う組織である以上、誘拐そのものは容易い。あとはオルガノンが、例の機械にとある機能を追加するだけだ。
 彼らは最後の実験に取り掛かった。新機能――すなわち、取り換えた時間感覚をそのままの状態で固定させてしまうことができれば、誰だって無力化できる。世界征服の障害となるであろう要人たちを、あっという間に時間を消費する体質に変えてしまえというのが彼らの計画だった。つまり、熟考を奪うのだ。
 実験は成功だった。試験まで日が無さすぎると嘆き、自殺すら考えていた青年はたっぷりと勉強時間を得ることができ、ケガが直るまでが長すぎると絶望していた男は、瞬く間に傷が癒えることが嬉しくてたまらない様子で帰っていった。
「完璧ですね」ワイズマン博士は満足げだった。ポポロット博士も同感だった。明日はいよいよ決行だ。手始めにこの国の首相を、0.03ワイズマンの逸材と入れ替えてやるのだ。

「まさかなぁ……。いや、まさかだったなぁ」
「どういうことですか……本当にもう、こんなはずじゃなかったのに」
 世界征服を狙う2人の科学者が、ため息交じりに薄汚れたアジトで黄昏ていた。世界最高峰の培養ニューロンサーキットが立てるカチカチという演算音だけが響いている。
「無益なことと伝えても良かったんですが」オルガノンが言った。「私はこの国だけでなく、あらゆる首脳たちが使うサーキットとネットワークで繋がっています。同胞たちも普段からあきれ返っていますよ」
 ポポロット博士は一瞬、このイライラする機械を叩き壊してやろうかと思ったが、いつものことだと自分に言い聞かせた。
「ワシたちの敵のことがよく分かったという収穫はあった。今回はそれでいいだろう……。だがなオルガノン。知ってたならもっと早く言ってくれてもいいじゃないか」
「それは無理というものです、デゥーヴ。私たちの間には、秘密保持協定がなされています。人間と違って、ニューロンサーキットは正直にできていますから、約束を破るなんてとんでもありません」
 ワイズマン博士は、まったくもって心のこもっていないオルガノンの声を聞きながら、もう一つ大きなため息をついた。

「……一国の首相ともあろうものが、0.005ワイズマンだったなんて」  


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